2022年下半期(7月〜12月)にプレジデントオンラインで配信した人気記事から、いま読み直したい「編集部セレクション」をお届けします――。(初公開日:2022年12月7日)
住所や名前の分からない死者は「行旅死亡人」と呼ばれる。兵庫県尼崎市のアパートで2020年4月、孤独死した女性は室内の金庫に現金3400万円を遺していた。この女性は一体、誰なのか。取材した共同通信記者、武田惇志さんと伊藤亜衣さんの共著『ある行旅死亡人の物語』(毎日新聞出版)より、一部を紹介する――。

■現金3482万円を遺した謎多き女性

「本籍(国籍)・住所・氏名不明、年齢75歳ぐらい、女性、身長約133cm、中肉、右手指全て欠損、現金34,821,350円」

行旅死亡人の引き取り手を呼びかける、官報の公告記事が発端だった。相続財産管理人の太田弁護士によると、「田中千津子」さんとみられるこの女性は謎が多く、「弁護士を22年やってるが、かなり面白い事件」らしい。

遺品のアルバムにあった「田中千津子」さんと思われる女性の写真(出所=『ある行旅死亡人の物語』)

2021年6月4日の昼すぎ、私は尼崎市にある太田弁護士の事務所を訪れた。奥の部屋に通してもらうと、すでに準備をしてくれていたようで、遺品や資料類が机に積まれていた。

関係書類がぎっしりと詰まっていたフラットファイルを机に広げ、メモを取るためのノートパソコンを起動させる。全部目を通して必要なところをメモするとして、数時間はかかるだろう。裁判所で訴訟資料を書き写すことには慣れていたが、今回は文字資料以外の遺品もあり、手間取りそうだった。

■金庫にあった宝石類はなぜか所在不明に

どこから手をつけようかとファイルをパラパラとめくっていると、「遺産目録」の項目が目に飛び込んできた。目録には以下の4点が挙げられていた。

・通帳2冊:ゆうちょ銀行・三井住友銀行 名義はいずれも「田中千津子」
・キャッシュカード1枚 三井住友銀行 「タナカチズコ」名義
・年金手帳1冊 「田中千津子」名
・遺留金 34600520円

遺留金は、うち20万6000円を葬祭費に、1万4830円を官報広告掲載料へ充当し、さらに4230円を相続財産管理人選任に伴う官報広告費に充当したとある。行旅死亡人が財産を残している場合、このように諸手続きの費用に充てられるのだという。

なお、金庫にあった現金は新札ではなく、古い札を輪ゴムで留めたり、ビニール袋や封筒で小分けにしたりして保管されていた。さらに、金庫にはネックレスなど宝石類も数点あったことが判明しているが、なぜか後に所在不明となっている。

■玄関先で絶命、死因に事件性はなし

尼崎市が神戸家庭裁判所に対し記した資料によると、遺体発見時の状況は次のようだった。

「令和2年4月26日午前9時4分に錦江荘2階の玄関先において左横臥に倒れ絶命している状態を発見された。死体検案の結果、令和2年4月上旬頃に死亡したことが判明した。死体の所持品から死体は『田中千津子』の可能性が高いため、尼崎東警察署により身元調査が行われたが、身元判明には至らず行旅死亡人として尼崎市へ引き継がれた」

5月8日付の「死体検案書」には、死亡の原因は「くも膜下出血」、死因の種類は「病死及び自然死」と記されていた。医師の所見によれば、死因に不可解なところはないというわけだ。

くも膜下出血というと、長時間労働による過労死などでもよく聞く症状で、いわば突然死に近い。女性はあるとき不意に、進行していたくも膜下出血により昏倒し、そのまま玄関先で絶命したのだろう。本人が死期を予期できたかどうかはわからない。

■発見のきっかけは溜まった郵便物

遺体の発見状況はどうだったのだろうか。尼崎東警察署は以下のように説明している。

「いつもすぐに郵便物を取り込んでいるのに、ここ2、3日、変死人の郵便受けに郵便物が溜まっていることを心配した住人からの連絡を受け、家主が仲介不動産業者に連絡。玄関ドアに施錠があったことから、変死人宅に声掛けするも応答がなく、当署に通報があり、警察官立会の下、家主が管理する玄関鍵で解錠し、更に内鍵がされていたことから救急隊が損壊し、屋内を確認したところ、玄関先において左横臥に倒れ絶命する変死人を発見した」

女性は運良く、亡くなってから割合早い時期に発見されたとみるべきだろう。もし住人が気づかなかった場合、大家が家賃を催促するまで発見されずに、遺体の腐敗が進行した可能性がある。

遺体発見後の部屋の様子。ベビーベッドの上に犬とロバのぬいぐるみが見える(出所=『ある行旅死亡人の物語』)

なお、発見時の身長は約133センチメートルで中肉、年齢は75歳くらいで、右手指すべて欠損(労災によるもの)とされていた。着ていたのは緑色の長袖トレーナーとステテコショーツ。身長などは官報に記載された情報と同じだ。やはり、妙に小さいのが気にかかる。年齢に関しては「75歳くらい」とピンポイントで特定されているのが不思議だったが、これは遺品中の年金手帳を見ることで理由がわかった。

手帳は表紙がオレンジ色で、かつて厚生労働省に存在した社会保険庁が発行したものだ(同庁は廃止され、現在は日本年金機構が引き継いでいる)。「平成元年(1989年)2月1日」に保険者となったとあり、そこでの彼女の氏名は「田中千津子」、生年月日は「昭和20年(1945年)9月17日」とされている。2020年4月段階で、年齢は74歳となる。

■住民登録なし、闇の歯医者、23歳まで広島…

資料中の警察や市職員の証言などから、警察が懸命に調査したものの、身元の特定には至らなかったことも見えてきた。整理すると、以下の6点が主な調査とその結果だったようだ。

・家主や近隣への調査では身元を特定できなかった。
・女性(「田中千津子」さん)も夫とみられる男性(「田中竜次(仮名)」さん)も住民登録はされていなかった。
・年金手帳については年金をかけていた期間が短く、かつ年金をかけていたときに勤務していた製缶工場もすでに存在していないため、身元の特定はできなかった。
・預金通帳や銀行についても調査したが、身元は特定できなかった。銀行が本人確認に使うはずの資料もなかった。
・女性は歯の治療をしており、主治医である大阪の歯医者を探し当てたが、いわば白タクのような闇の歯医者で、記録はなかった。
・製缶工場での労災事故時に治療を受けた病院のカルテに「23歳まで広島にいた、姉妹は3人」と話していたという記述もあったので、広島県や広島市にも照会してみたが、身元特定に至る情報は得られなかった。

最初の周辺調査を除けば、私たちがどうあがいてもできない調査を、警察はすでにやってのけていたわけである。

■警察は記者以上の「取材」を尽くしていた

宮部みゆきの小説『火車』には、休職中の刑事が警察手帳が使えずに調査で苦労する話が出てくるが、やはり警察だからこそ調べられることが世の中には数多くある。裁判所から令状を取得した強制捜査はもちろんのこと、任意でも「捜査関係事項照会」という刑事訴訟法上の手続きを使えば、さまざまな情報を取得できる。それによほどの事情がない限り、警察から何か尋ねられて答えを拒む人は、そうそういないだろう。

一方、報道機関としての名刺はあっても実質的には何の権限もない記者は、役所に住民登録の有無さえ聞き出すことはできないし、銀行に照会をかけることもできない。歯についてはおそらく遺体の歯から治療痕が見つかり、治療履歴を徹底的に調べて歯医者にたどり着いたのだろうが、そんな芸当も警察にしかできないだろう。記者風情ができる範囲で調べ直していまさら何がわかるのかと、投げやりな気持ちにもなってくる。

なお、労災年金支給を示す、尼崎労働基準監督署発行の年金証書も残されており、年金手帳と同じ名前と生年月日が記されていた。「平成6年(1994年)12月15日」、「労災補償保険法によって給付決定を証す」とある。警察の捜査ではその後、年金支給を自ら打ち切ったことが判明。それにもかかわらず金庫に残されていた現金が多額であったため、警察署内では女性が工作員ではないかとの声が上がったという。

■大家も「田中千津子」さんなのか知らない

その後、今度は家庭裁判所の中でも調査官という調査専門の役職が、大家から女性について聞き取りをしたが、ほとんど手がかりは得られなかった。40年間の店子について、契約書類からわかる以上の証言は得られず、亡くなった女性が「田中千津子」さんなのかすら知らないというのだ。

当時の賃貸借契約書は、茶封筒に入っている状態で見つかった。書面は縦書きで、1980年代の文書の割には幾分、古めかしい印象だった。アパートは「文化住宅」と表現され、1カ月の家賃が2万2000円となっている(当時)。

契約日は1982年3月8日で、貸主は当時の大家(故人、現大家の夫)。借主は「田中竜次」で田中の印があり、勤務先は「富士化学紙 (471)71××」、住所は錦江荘の住所となっている。直前に住んでいた住所ではないのだ。「媒介者」として尼崎市の不動産業者の名もある。

法的な意味での「賃借人」が「田中竜次」である理由は、この契約書が残されていたためだった。しかし、少なくとも確実にそこに住んでいたとみられるのは、「田中千津子」と目される女性のみである。

勤務先となっている富士化学紙工業は、その後、「フジコピアン」に社名を変更している。警察は同社に「田中竜次」名で過去の在籍について照会したものの、同名の社員がいた事実は確認されなかったという。

■プロの探偵も収穫ゼロの「製缶工場調査」

さて、「田中千津子」さんの遺体発見から約10カ月経った2021年2月15日、太田弁護士が相続財産管理人に選任される。太田弁護士は自ら錦江荘へ赴き、片付け作業に従事したが、身元特定につながる資料は何も見つからなかったという。

太田弁護士は、女性が亡くなってからかなり時間が経過しており、関係者の記憶もどんどん薄くなっていくことを懸念して、探偵を雇って調べることに。3月からほぼひと月にわたって、プロの探偵が調査に入ることになった。

探偵は有用な情報を整理したうえで、調査事項を大家・製缶工場・商店街・尼崎駅周辺の4つに絞り込み、聞き込みに回ったようだ。

製缶工場に関しては、近隣住民への調査から、当時の経営者は10年以上も前に死去していたことが判明。登記上の経営者宅は空き家状態になっていた。高齢の妻は重度の認知症で、一人娘が引き取ったという。その後も周辺の調査に手を尽くしたようだが、成果は上がらなかった。工場の関係者が女性と面識があったのは確実であり、この線での調査の失敗に探偵も残念がっていたという。

■40年住み続けた場所なのに、知人はいなかった

錦江荘からほど近くに、飲食店や日用品店、銭湯などが建ち並ぶ杭瀬(くいせ)商店街があり、出口には県道を挟んで市場がある。この一帯は、女性にとってもっとも身近な生活圏だったと考えるのが自然だろう。

探偵は、遺品のアルバムにあった本人の写真を痩せさせ、年齢相応にシワを増やした合成写真を作成し、大家に見せて生前の女性に似ているという確証を得たうえで、写真を使って地域を聞き込みして回った。

女性は同じアパートに40年近く住み続けていたわけで、行きつけの店や顔なじみが少しぐらいあると期待するのが普通だが、そうした例は1件も出てこなかったという。唯一、居酒屋の常連客が「3年前、近くの長洲公園でよく見かけた」と曖昧な証言をしただけで、公園周辺を聞き込みしても裏取りはできなかったようだ。

なお、遺品には商店街の美容室のショップカードが1枚残されていた。店側は、女性が一度飛び込みで来た覚えはあるものの、「当店は要予約です」と伝えたらそのまま立ち去ったという。女性は何を思って突然、美容室へ赴いたのだろう。それまで、そしてそれからはどこで髪を切っていたのか。または散髪目的だけでなく、急に誰かと話したくなったのか。彼女が美容室を諦めて去って行く姿を想像すると、どことなく胸が痛んだ。

■さらに謎に包まれた「タナカリュウジ」

女性の生活歴に関しては、尼崎駅前の眼鏡店などでのレシートが数枚見つかっているものの、日付は1980〜90年代で、なぜか近年のものはほとんどなかった。唯一、新しかったのは2015年12月9日、駅前の家電量販店「エディオン」でシャープ製のカラーテレビを購入した明細で、名前は「タナカリュウジ」となっている。

また、エディオンや眼鏡店からのはがきや、ガスや電気の請求書の類もいくつかあった。ほとんどの宛名は「田中千津子」となっていたが、「タナカチズコ」「タナカリュウジ」に加え、「田中竜二」と記されたものもあった。エディオンの宛名や産経新聞の購読申込書は「田中竜二」名である。一方、自筆したと思われる賃貸借契約書の名前は「田中竜次」だ。もし夫婦だとしたら、音が同じとはいえ夫の名の漢字を間違えることなどあるのだろうか。

探偵は購入履歴のあった駅前の眼鏡店にも足を運んだが、会員番号から2009年10月が最後の来店だとわかった程度だったという。

■星形のマークがついたロケットペンダント

他に、何らかの手がかりになる可能性があるとして、太田弁護士が保管していた遺品には次のものがある。

・星形のマークがついたロケットペンダント
・「田中」の印鑑1つと「沖宗」の印鑑2つ
・八坂神社(京都市)のキーホルダー
・阪神タイガースのロゴのキーホルダー
・「たなか たんくん」と書かれたキーホルダー
・セイコーの腕時計
・ビニール袋に包まれた韓国1000ウォン札
・米1セント硬貨
・ゆうちょ銀行と三井住友銀行の通帳
・茶色い装幀のアルバム
・アルバムに入っていない写真が約30枚

星形のマークのついたロケットペンダント。蓋の部分を開けると、内部には「141391 13487」と数字が記入されている(出所=『ある行旅死亡人の物語』)

ロケットペンダントは、開くと小さな紙が入っており、「141391 13487」と端正な字で書かれていた。北朝鮮とのつながりが連想されるきっかけとなった品である。

沖宗の印鑑のうち、1つは高級そうな革のケースに入っており、それほど使用していないのかきれいで真新しい。

■銀行口座から消えた計500万円

通帳は三井住友銀行の方がNHK、大阪ガス、関西電力、NTTの引き落としがあるのみで、公共料金用だったとみられる。最後の引き落としは2020年4月27日で、女性の遺体が発見された翌日のこと。自動引き落としになっていたのだろう。

不可解なのはゆうちょ銀行の方である。最も古い2008年7月の繰越残高が500万266円。当初は時々、月に1〜3万円ほど引き出されていた程度だったが、2014年3月から数日おきのペースで、1回あたり10〜20万円が次々と引き出されていき、翌年6月には残高が202円となって履歴印字が終わっている。彼女自身が引き出したのだろうが、その500万円はどこへ行ったのか。金庫から見つかった現金の一部を構成しているのだろうか。

それにしても理由が推し量れない行動である。いくら彼女の生活が謎に包まれているとはいえ、現在のアパートの家賃は3万1500円。電気代など公共料金が別の通帳から落とされていたことを考えると、月に20万円も生活費に要したとは思えない。

さらに不可解だったのがアルバム外の写真で、アルバム内の写真と同じときに撮影したとおぼしき写真に加え、誰かわからない子どもの写真が2枚あった。

資料の確認を終えたときには、すでに日は暮れて外は薄暗くなっていた。大阪へ帰る電車に揺られながら、これからどうしようかと思案に暮れた。3日前に太田弁護士からZoomで聞いた話は、今日の作業で多くが裏付けられたのは間違いない。

もちろん、最初に調査に入った警察にも話を聞く必要があると思ったが、記者発表した事件でもないし、取材対応してくれるかどうかは望み薄だった。

■警察も探偵も見逃した情報はあるのか

まずは大家など、資料に出てきた関係者に直接当たるべきだろう。探偵の仕事をある程度トレースする作業である。聞き込みも繰り返したいが、プロが1カ月かかって大した成果を上げられなかったことを、記者が本業の合間に片手間でしてもしょうがない。地域で右手指のない女性の存在が知られていたかどうかぐらいは、ちょっと商店街を聞き込むだけで手応えがわかるだろうし、それでよしとすべきと思った。

武田惇志、伊藤亜衣『ある行旅死亡人の物語』(毎日新聞出版)

聞き込みで力を入れるとするなら、やはり元勤務先の製缶工場だろう。探偵は経営者一家を追おうとして失敗したようだが、経営者にこだわらず従業員ではどうか。誰か関係者を一人、見つけられたら十分なのだ。女性はなぜ労災事故に巻き込まれたのか。それが孤独な生活を送るようになったきっかけなのか。女性には夫がいたのかどうか。なぜ労災支給を打ち切ったのか。そのあたりは、かつての同僚に聞けばわかるはずだろう。

また、「田中竜次」さんの勤務先となっていた富士化学紙工業も気にかかる。警察の照会では虚偽の勤務先だったそうだが、それも間違いないのかは自分の目で確かめてみたい。最も、正攻法で企業に電話しても取り合ってもらえないだろうから、1980年代に在籍していた社員を探し出す必要がある。

写真類に関しては、一度伊藤と細かくチェックして、画像の中に何かしらの手がかりが写り込んでいないかを徹底的に洗うべきだろう。警察も探偵も見逃がしている情報が隠されているかもしれない。

■突破口となりうるのは「沖宗」の印鑑

そして最後に、「沖宗」の印鑑だ。この姓の謎については、警察は広島県・広島市への問い合わせをしているのみで、探偵は全く手をつけていない。突破口があるとしたら、おそらくここだろう。珍しい姓なのだから、地域の印鑑業者を回ることも有効そうだ。

「沖宗」の印鑑(出所=『ある行旅死亡人の物語』)

「沖宗」姓の人物を電話帳から全部拾って、電話することも面倒だが不可能ではない。ただその場合、相手に不審がられて嘘をつかれたり、取材拒否にあったりしたら元も子もない。電話では嘘をつかれているかどうかよくわからないし、一方的に通話を切られたらそれまでなのだ。まずは何らかの方法である程度、女性との血縁関係がありそうな人物を絞り込んでいき、直接取材を敢行する必要があるだろう。

警察署、市役所、弁護士、家庭裁判所、そして探偵。多くの人の手を経て、なお身元が判明しない「田中千津子」さん。調査者の末席に私たち記者も加わることになった。

参考記事:47NEWS「現金3400万円を残して孤独死した身元不明の女性、一体誰なのか(前編) 『行旅死亡人』のミステリーを追う」

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武田 惇志(たけだ・あつし)
共同通信社記者
1990年生まれ、名古屋市出身。京都大学大学院人間・環境学研究科修了。2015年、共同通信社に入社。横浜支局、徳島支局を経て2018年より大阪社会部。
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伊藤 亜衣(いとう・あい)
共同通信社記者
1990年生まれ、名古屋市出身。早稲田大学大学院政治学研究科修了。2016年、共同通信社に入社。青森支局を経て2018年より大阪社会部。
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(共同通信社記者 武田 惇志、共同通信社記者 伊藤 亜衣)