覚醒剤所持で逮捕された後、自らの半生を見つめて更生の道を歩んできた高知東生さん(撮影:今井康一)

高知東生さんによる自伝的初小説集『土竜』が話題を呼んでいる。高知さんは、1993年に芸能界デビュー後、俳優として活躍。ところが、2016年に覚醒剤と大麻の所持容疑で逮捕され、懲役2年、執行猶予4年の判決が下されると、以後、芸能界の表舞台からは姿を消すようになる。その彼が、自身の過去と向き合い、腹をくくりすべてをさらけ出して書き上げたのが『土竜』だ。

侠客の父と、ネグレクトの果てに自死した母。17歳で天涯孤独となった彼は、喧嘩と女に明け暮れ、全財産6万円を握りしめ上京する。そして、薬物に溺れ逮捕された――。

あらすじを見てもわかるように、高知さんの生い立ちは“普通”ではない。父親は、有名暴力団組織の組長であり、母親はその愛人だった。さらには、その父は実の父親ではなく、母は真実を語ることなく、高知さんが17歳のときに突然、自ら命を絶った。『土竜』は、そんな若かりし時代の高知さんの胸中や視点を私小説のように描きながら進んでいく。薬物で捕まり、地の底に沈んだ自分の恥部まで包み隠さずに。

世間は、まだ俺を許してくれていないのでは…

「自分の過去と向き合うことは……簡単に話せるものではなく、つらかったです。ますます、自分は生きていていいのかなと思いましたし、最低な男じゃないかって突き刺さっていきました」

高知さんは、そう苦笑を浮かべながら振り返る。そうした懺悔にも似た葛藤は、半生記『生き直す 私は一人ではない』(青志社)に詳しくつづられているが、その執筆途中に小説のオファーがあったと明かす。だが、「たいして本を読んでこなかった自分には小説なんて書くことはできない」と断った。

その心境に変化が生じたのは、ともに薬物依存と戦う仲間たちの姿だったという。

「依存症のリハビリを続けている仲間の一人が、『書きたくても書けない人がたくさんいるのに、何をビビっているんですか? 最善を尽くしてチャレンジしたらいいじゃないですか』と、背中を押してくれたんです」(高知さん、以下同)

反面、「世の中の人たちが、まだ俺を許してくれていないのではないか。そんな思い込みもありました」と語る。

自己をさらけ出すことにも抵抗があった。先ほど、高知さんの父が実の父親ではないと触れたが、母の死後、戸籍謄本を確認すると、本当の父親は徳島県にある暴力団組織の幹部であることがわかった。嘘のような本当の話。「大人は嘘ばかりつく」。心を開けない自分がずっと存在していた――そう高知さんはこぼす。

「逮捕されてからの2年間は、ずっと孤独でした。まだ、依存症から回復しようとする仲間たちとも出会っていませんでした。 その後、同じ苦しみを持った人間たちが語り合う自助グループに参加するようになったのですが、最初の頃は取り繕った自分がいたんですね。先んじて自助グループに参加している人たちは、正直に弱みも、恥も、つらさも、苦しさもすべて話していた。でも、僕はそんなことを話せるわけがないと思ったし、『この人たちと一緒にするなよ』……そんな気持ちも半分くらいあったんです」

しかし、回を重ねるごとに心が柔らかくなっていく自分がいた。山梨県にある薬物依存症の人たちの回復支援施設「山梨ダルク」を訪れると、ある一人の薬物依存症への告白を聞いて、大泣きした。

「俺一人じゃないんだって。自分は恥ずかしいことだと思ってさらけ出せないのに、目の前にいる人は向き合い、堂々と話している。温かさとなつかしさ、なんというか田舎に帰ってきたときのような安心感がありました。それからは、自分のことを段々と語れるようになりました」


「恥も、つらさも、苦しさもすべて話せるようになった」と語る高知東生さん(撮影:今井康一)

恨んでいる人、傷つけた人、恐れている人

薬物依存から立ち直るプログラムに、「12ステップ」というアプローチがある。「12ステップ」は、薬物以外にも、アルコールやギャンブル、買い物などさまざまな問題行動・行為からの回復に効果があるそうだ。

そのプロセスの中で、「自分の過去と向き合う」というステップがある。たとえば、人生の中で恨んでいる人、傷つけた人、恐れている人を思い返し、自分の中で掘り下げていくという具合である。高知さんにとって母親は、自身を顧みたとき、そうした“瑕疵”のような存在だった。

「何度も自分のルーツがある高知県へ行きました。おふくろと同じクラブで働いていたおばあちゃんにお話を聞いたり、当時一緒によく遊んでいた先輩などに話を聞いたり、一つひとつ向き合っていきました」

高知さんは、今でも母親の姿を思い出すことがあると吐露する。「最初は母親じゃなくて、おばちゃんだったんです」。初めて会った光景が忘れられないと、呆れたように笑いながら振り返る。

「突然、祖母から『今からあなたにとって大切な人が会いに来るから』と言われました。しばらくすると、スーツ姿の男3〜4人に囲まれた和装の女性が、日傘の影に隠れながら現れた。映画のワンシーンのようで、子どもながらに怖くなって、祖母の後ろに隠れたことを覚えています」

何でも好きなものを買ってくれる、たまに姿を現すおばちゃん。出会ってから約3年後、高知さんが小学校5年生のとき、祖母から「実はあの人はあなたのお母さんなんだよ」と真実を教えられた。

その筋の愛人であった母は、一緒に暮らすようになると人が変わったように、高知さんに接するようになった。

「2〜3日家に帰ってこないこともあれば、帰ってきたとしても毎回酔っぱらって帰ってくる(苦笑)。あんなに優しかったのに、まったく優しくなくなって。もともと、これが普通だったのかもしれないけど、子どもだった僕は受け入れることができなかった。

打ち解けることができないまま、ある日、おふくろが『ねぇ……私、綺麗かな?』と聞いてきた。その直後に、車でどこかに出かけると、そのままトンネルの壁に激突して自決してしまった。おふくろを憎んでいた自分がいた。それをパワーに変えて、自分なりに一生懸命生きてきたと思っていました」

だが、母を知るかつての同僚に話を聞く中で、自身が抱いていた母親像が良い方向へと変わっていった。

「本当は愛されていたんだって気が付けた。もっといろんなことが話せたんじゃないかって。そういう気持ちを、『土竜』の中の一編である『アロエの葉』に詰め込みました。書きながら泣いている自分がいて、『本当はこういう思いだったんじゃないのか?』、そんなとらえ直しを小説を通じて描いたつもりです」

過去と向き合ったからこそのリアリティ

『土竜』は、『小説宝石』に発表された「シクラメン」をはじめ、6編の小説から構成される。俯瞰して自分を見つめ直したことで、主人公である竜二(高知さんの本名である丈二がモチーフ)のほか、異なる人物の視点で物語が進むものまである。

「自分の過去と向き合う」ステップがあったからこそ、物語は重厚かつ立体的に進んでいくが、その筆致力は、「これをあの高知東生が書いたのか!?」と驚きと称賛をもって迎えられるほど“本格的”だ。

たとえば、高校生の竜二が色街である玉水新地に足を踏み入れるくだりは、以下である。

(中略)土手道からどぶ川には、欄干に雲形の意匠を凝こらした石橋がかけられ、その橋を渡った先にある狭い低い土地が玉水新地だ。

ここはかつて、映画や小説で有名になった「陽暉楼」もあった遊郭で、戦後、売春防止法ができるまではひときわ賑やかな場所だったらしいが、今ではうらぶれ淫靡な匂いだけを残している。

もちろん俺はそんな小説も映画も興味はない。あるのは表向き「旅館」の看板を掲げた木造の長屋街で、法外の安さで抱ける女のことだけだ。

ディテールが伝わる情景描写や、登場人物の細やかな心象風景は、徹底的に自身と向き合い、現地で取材を重ねたからこその賜物だといい、他者に対する理解もあらためたと高知さんは語る。

「半生を振り返ったとき、家族、友人、自分にとってゆかりのあるいろいろな人々が頭に思い浮びました。中でも、僕が最初に気が付いた大きな後悔が夕子だった」

夕子は、高校時代の竜二を軸にした「シクラメン」に登場する、いわばヒロイン的な女性だ。夕子はとある理由から同級生から忌み嫌われ、所在を失っていく。

同調圧力に屈して素直になれなかった

「決められたように生きていくしかない人たちがいます。その人たちはその人たちで、精一杯、一生懸命生きている。でも、偏見や同調圧力によって、それが奪われることもある。僕自身、同調圧力に屈していた一人だった。なぜあのときもっと素直になれなかったんだろうと後悔しています」

折りしも、逮捕された後、高知さんは夕子のように白い目で見続けられた。あらためて向き合うからこそ、理解できる過去もある。恨んでいる人、傷つけた人、恐れている人――、高知さんは見つめ直しさらけ出すことで、今を再生、いや、新生しようとしている。

「僕がこうした活動をすることに賛否両論があることもわかっています。うれしい言葉もあれば、誹謗中傷のような言葉が送られてくることもあります。ですが、今はすべてを受け入れられる自分がいる。薬物依存から立ち直る中で鍛えられました(笑)。着実に自分が変わってきているという実感があるんです」

現在、高知さんは依存症の啓発や人が再起していく様子を描く「リカバリーカルチャー」を広める活動を行う。「僕にとって死ぬまでの役割だと思っています」。そう上を向く。

世の中には、自分自身と向き合うことを恐れている人が少なくない。向き合うと、どこかで間違っていたことを認めてしまうかもしれない。

そういう人がいたら、「高知さんはどんな言葉を送るか?」と尋ねると、「あくまで僕のとらえ方だけど」と前置きをしたうえで、こう続ける。


「自分を愛し直そうぜ――と伝えたいです。もっと自分を大事にしようよって僕は思うんですね。謙虚という言葉がありますが、かつての自分の中では、やたらと頭を下げ、自分を我慢するというイメージがありました。ですが、謙虚というのは、ありのまま自分を正直に出すということを教えてもらって、肩が軽くなった気持ちがしたんですね」

事実は小説よりも奇なり――そんな世界で高知さんは生きてきた。

「いま振り返ると、自分が大嫌いだったし、いつも人の目を気にしてばかりいた。苦しかったですよね。自分を愛し直し、自分を大切にすることができると、目の前にいる人に対しても優しくなれたり、思いやりを持つことができたり、そういった考えが生まれてくると思うんです。自分自身を、自分を応援する親衛隊長にしようぜって」

『土竜』というタイトルは、生涯土の中に埋めておこうと思った話がひょっこり顔を出したからだという。誰しも、恥だと思って隠し続けてきた心の内をさらけ出すのは怖い。だが、さらけ出して初めてわかることもある。

後編に続く

(我妻 弘崇 : フリーライター)