■ウクライナ侵攻前の価格まで下落した天然ガス価格

ヨーロッパの天然ガス価格が下落している。指標となるオランダTTFの天然ガス価格(図表1)は、昨年2月24日にロシアがウクライナに侵攻したことを受けて急騰し、8月21日週の終値で339.195ユーロ/MWhまで上昇した。その後、天然ガス価格は下落に転じ、昨年の最終週の天然ガス価格は76.315ユーロ/MWhまで落ち着いた。

年明け以降も天然ガス価格の下落トレンドは続いており、今年1月15日週の天然ガス価格は66.900ユーロ/MWhとなっている。ロシアがウクライナに侵攻する直前の昨年2月13日週の天然ガス価格が73.760ユーロ/MWhであったから、ヨーロッパの天然ガス価格はロシアによるウクライナ侵攻前の水準まで落ち着いたことになる。

ヨーロッパの天然ガス価格が安定した理由にはさまざまな要因が考えられる。まず、天然ガスの消費量そのものが減少したことがある。EU(欧州連合)の閣僚理事会(各国の閣僚からなる政策調整機関)は昨年7月、今年3月までに各国で天然ガスの消費量を15%削減することで合意した。その後、各国は天然ガスの節約に努めてきた。

■記録的な暖冬に救われたEU

EU統計局(ユーロスタット)によると、最新時点(昨年10月)におけるEUの天然ガスの域内消費量(inland consumption)は前年比23.2%減と、3カ月連続でマイナス幅を拡大させた。もちろん、後述のようにロシアから天然ガスの供給が絞り込まれた影響も大きいが、EUはEUとして天然ガス消費の節約に努めてきたのである。

加えて、ヨーロッパが年末年始に記録的な暖冬となったことも、天然ガスの消費の抑制につながったようだ。中東欧にあるハンガリーの首都ブタペストの元日の最高気温は実に18.9℃と、春並みの気温になった。フランスでも年末の気温が過去最高を記録し、地中海の都市には元日に夏日(25℃)となったところもあるようだ。

温暖化対策に注力するEUは、脱炭素化と脱ロシア化の両立を図っている。いわばEUは「二兎(にと)を追う」戦略に出たわけだが、脱ロシア化の観点からすれば、少なくとも今年の冬に限っては温暖化がプラスの方向に働くという皮肉な結果となっている。

写真=EPA/ALEXEY DANICHEV/SPUTNIK/KREMLIN POOL/時事通信フォト
2023年1月18日、ロシアのサンクトペテルブルクにて、レニングラード包囲戦解放80周年の記念式典に参加したウラジーミル・プーチン大統領 - 写真=EPA/ALEXEY DANICHEV/SPUTNIK/KREMLIN POOL/時事通信フォト

とはいえ年明け以降、ヨーロッパの気温は例年並みに低下しており、天然ガスの消費量は相応に増えたと考えられるので、今後、天然ガスの消費量がどの程度減っていくのかは不透明だ。

■天然ガスの供給再開をチラつかせるロシアの意図

すでに述べたように、主要先進国からの経済・金融制裁に反発するロシアは、ヨーロッパに対するガス供給を絞り込んできた。主要なパイプラインによるロシアからヨーロッパへの天然ガスの供給量は、ノルドストリームとヤマルパイプラインによる供給の停止を受けて、ウクライナ侵攻直前の5分の1程度にまで減少している(図表2)。

そのロシアは、EUに対して天然ガスの供給再開を持ちかけているようだ。昨年12月25日付でロシア国営の通信会社タス通信が伝えたところによれば、ロシアのアレクサンドル・ノバク副首相は、ベラルーシとポーランドを経由するヤマルパイプラインを通じた天然ガスの供給に関して、それを再開する用意があると発表した。

ヤマルパイプラインによる天然ガスの供給が停止された背景には、ガス料金の支払いに関するロシアとポーランドの交渉の決裂があった。ロシアによるルーブルでの支払い要求をポーランドが拒否したため、ロシアがヤマルパイプラインを通じたガスの供給を停止したのである。ではなぜこのタイミングで、ロシアは再開を持ちかけたのだろうか。

■国家財政は火の車になっている

最大の理由は、ロシアの国家財政が急速に悪化していることにあると考えられる。ロシアの昨年10〜12月期の連邦ベースの財政収支は▲3兆3608億ルーブルと、赤字幅は7〜9月期(▲1兆3192億ルーブル)から1.5倍に増えた。前年比でも、昨年10〜12月期の赤字幅は一昨年から2倍に膨らんでいる(図表3)。

歳入は堅調に増えており、特に石油・ガス収入といわれる資源企業からの税収は3兆796億ルーブルと近年にない高水準だった。にもかかわらず財政が悪化しているのは、歳出がそれ以上のペースで増えているためだ。歳出の細目はまだ不明だが、その増加をもたらしているのは、ウクライナとの戦争に伴い急増が続く軍事費であろう。

軍事費が膨張しているにもかかわらず、兵士への報酬は支払いが停滞し、士気を低下させているようだ。ロシアの独立系メディアThe Insiderは昨年11月2日、ウリヤノフスク州にある軍事施設で給与の未払いに抗議した兵士による100人規模のストライキが発生したと報じている。つまり、軍事費の多くは兵器など資材の調達や訓練の費用に充てられているのだろう。

ウクライナとの戦争が長期化すれば、軍事費のさらなる膨張は避けられない。政策的経費である軍事費が膨張すれば、経常的経費(通常の行政サービスを提供するための経費)が圧迫され、政府による公共サービスが劣化を余儀なくされる。目に見えるかたちで市民の生活が悪化すれば、ロシアの厭戦(えんせん)ムードは一段と強くなる。

とはいえ、ウクライナとの戦争がすぐに停戦に向かう展望は描けない。中国やインドに代表される新興国向けに石油やガスの輸出を増やしたところで、歳入を増加させるには限度がある。こうした状況に鑑みて、切れるカードは切っていくという観点から、ロシアはEUに対してヤマルパイプラインの再稼働の可能性をチラつかせているのだろう。

■ロシアのもくろみは外れることになる

EUはロシアの提案には乗らない公算が大きい。EUはこの間、天然ガスの使用量の削減に取り組むとともに、ロシア以外からの天然ガスの調達を増やしてきた。このこと自体は、ロシアも想定していたはずだ。そしてロシアは、この動きは緩やかに進むか、あるいは限定的なレベルにとどまると想定したと考えられる。

しかしながら、EUの天然ガスの脱ロシア化は、ロシアの想定以上のペースで進展した。もちろん、ロシアからの天然ガスの供給に依存していたドイツや中東欧の内陸国の天然ガス需給は厳しいままだが、一方で米国産を中心とする液化天然ガス(LNG)の輸入は、地中海や大西洋に面した国々を中心に、着実に増加しているようだ。

写真=iStock.com/Seiya Tabuchi
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Seiya Tabuchi

それに経済・金融措置の報復として、ロシアがヨーロッパに対してパイプラインによる天然ガスの供給を削減したことで、EUはロシアに対する不信感を一段と強めた。EUもまた、ロシアからの天然ガスの供給が完全に停止する事態を恐れていたが、それが現実味を帯びたことで、EUはむしろ腹をくくったものと考えられる。

もちろん、EU側にも懸念される要素が多い。今冬の天然ガス需給は逼迫(ひっぱく)を免れるだろうが、来冬は分からない。引き続き消費の節約を試みたところで、厳冬となれば天然ガスの消費量は増加する。それに、再気化や貯蔵のためのターミナルを増やしていかなければ、第三国からのLNGの調達を増やすことはできない。

こうした状況に鑑みれば、ヨーロッパのエネルギー事情は引き続き不安定であり、そのためディスインフレ(インフレ率の低下)も順調には進まないであろう。こうした点がヨーロッパの経済の圧迫要因となるが、とはいえEUが天然ガスの脱ロシア化を見直すとはまず考えにくく、ロシアのもくろみは外れることになるのではないだろうか。

(寄稿はあくまで個人的見解であり、所属組織とは無関係です)

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土田 陽介(つちだ・ようすけ)
三菱UFJリサーチ&コンサルティング 調査部 副主任研究員
1981年生まれ。2005年一橋大学経済学部、06年同大学院経済学研究科修了。浜銀総合研究所を経て、12年三菱UFJリサーチ&コンサルティング入社。現在、調査部にて欧州経済の分析を担当。
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(三菱UFJリサーチ&コンサルティング 調査部 副主任研究員 土田 陽介)