(写真:筆者撮影)

背が高く、いかにもスポーツをしてきた体つきの、そして非常に穏やかで、優しそうな風貌の男性だった。

高校を卒業してからある専門職として働く佑太さん(仮名・30代)。彼は幼少期より、不仲でけんかばかりしている両親を見て育った。高校時代には、一家が離散しかねない事件が続いたが、周囲の大人たちは皆「あなたがいるから大丈夫」と言った。勇気を出して相談しても、踏み込んで助けてくれる人はいなかった。

そんなものか、と思って生きてきたけれど、本当はとてもつらかった。そう気づけたのは大人になってから、妻が当時の気持ちを受け止めてくれたからだ。

「今悩んでいて、誰にも相談できないでいる男性が、誰かに話せるきっかけになれば」と連絡をくれた佑太さんに、話を聞かせてもらった。

「仕事を辞めたい」と言うようになった父

両親は大学の同級生として知り合った。母親は「夫婦は対等」という意識がとても強かったが、父親は九州出身で、「ナチュラルに『男を立てろ』と考える」タイプだった。

佑太さんが幼い頃から両親はよくけんかをし、外でも人目をはばからずに口論をした。だが、仲がいいときはいい。「今思えば、そういうタイプの愛情表現だった」と理解している。

家の空気が変わり始めたのは、佑太さんは小4の頃だった。佑太さんが住む地域が、大きな自然災害に見舞われたのだ。自宅はそれほど被害を受けなかったが、父親は地元の役場に勤めていたため、何日も帰れない日が続いた。仕事がかなりきつかったらしく、「仕事を辞めたい」としばしば口にするようになった。

だが、母親は父親が離職することに反対していた。夫の望みで専業主婦になったのに、その夫が今さら仕事を辞めるだなんて、と感じたのかもしれない。夫婦げんかは頻度を増した。

「中学生の頃、父は私に『仕事辞めてもいいかな?』と聞いてくるんですよね。『好きにしたら』って答えると、父は『ほら、佑太もそう言ってるぞ』と母に持って行って、またけんかになる。そういうことが本当に増えました」

だいぶ後から聞いたところ、父親は当時多額の家のローンを抱えていたらしい。

父親が失職したのは、佑太さんが高校1年のときだった。家のローン分の公金を自分の口座に振り込むという横領に手を染めたのだ。

あまりに単純で無計画な犯行は、当然ながらすぐに職場で発覚した。直ちに返金したので刑事責任は問われなかったが、退職は免れなかった。

父の失職で経済的に困窮し、佑太さんは奨学金を借りて高校に通った。子どものときから続けてきた野球や、仲間たちと過ごす時間だけが救いだった。

両親が家を出て行き……

横領が近所で噂になることを怖れた両親は、事件後間もなく家を出ていった。どこにいたのかちゃんと聞けたことはないが、父親は親せきが経営する店で働き、母親は金策のため実家に頭を下げていたようだ。

佑太さんと妹は、この頃母親が関わっていた宗教施設に預けられた。隣町だったのでなんとか高校には通えたが、嫌だなと思うこともあった。

「施設があったのが家と反対方向だったんですよね。学校帰りに逆向きの電車に乗っていたので、『おまえ、どこ行ってるんだよ?』とよく言われていました。『俺はこっちに愛人宅があるんだよ』とか茶化して、深く追及されることはなかったんですけれど。友人も何か察していたのかもしれません」

隠したかったわけではないが、家のことを話して気を遣われるのは避けたかった。何よりも大切な友達との時間を壊したくない、という気持ちが強かった。

自宅に戻ったのは約半年後、父親の再就職がきっかけだった。だが父親はその後も転職を繰り返し、夫婦げんかは激しさを増した。父親は机をひっくり返し、母親に手をあげる。母も気が強いので応戦して、けんかはますますエスカレートした。

部活からの帰り道、母親が泣きながら電話をかけてきたことも何度かある。父親の暴力を止めるのは怖かったが、家に妹がいることを思うと、自分が帰るしかなかった。ただ、佑太さんが家に着く頃には大体、けんかはクールダウンして口論に移行していた。父親も、体力的に息子には勝てないとわかっていたからだろう。

高3のときには、父親が職場の女性と不倫騒動を起こす。なぜか隠そうとしないので、母親もすぐに勘付いたが、父親は開き直り、ある日「出て行く」と告げて家を去る。そして3日で帰ってきた。佑太さんと母親が、銀行口座からお金をおろせないように手をまわしたからだ。

「父が戻ってきて、母的にはちょっとうれしかったんでしょうね。でもそのあとも、母がどうしてもチクチク嫌味を言うもんだから、もっとけんかが激しくなって。朝起きて台所に行ったら、父がナイフを取り出している、みたいなシーンも何回かありました」

「うちは駆け込み寺じゃないからね」

この頃、佑太さんは受験生だった。地元で有数の進学校に通っていたので、周囲は皆、部活が終われば勉強に打ち込み、大学の合否判定を気にしていた。うらやましかった。「なんでうちは『ふつう』じゃなかったのかな」と、よく考えた。

大人に相談をしたこともある。一時期身を寄せていた宗教施設には「相談役」と称する人物がいたので、会いに行って両親のことを話してみたが、少しも助けになってはくれなかった。

「『何かあったら来てもいいですか』って聞いたら、『うちは駆け込み寺じゃないからね』みたいなことを言われたのを、すごく覚えています。『(お父さんの暴力は)佑太くんが止められるでしょう』とも言われていて。

おばあちゃんも心配して何回か来てくれたんですけれど、やっぱり『何かあったら、あなた身体が大きいから止めてね』と言われるんですよね。『信頼してもらってるな』と思う反面、『お前がなんとかしろ』って突き放された感じもして、それが結構しんどかったな、と今になって思います。妹には『何かあったら連絡して』って言っていたみたいなのに」

いくら身体が大きくたって、中身はまだ10代の子どもだ。けんかをやめてほしいと両親に伝えてほしかったのに、「そういうことはちょっと……」と言って、誰も何もしてくれない。「大人って、本当にわかってくれないんだな」と感じた。

受験は結局、“投げた”。センター試験当日の朝にも大げんかをする両親を見て、気力が尽きてしまったのだ。限界だった。

「こいつら俺のことどうでもいいんだな、と思って。その日のこと、あんまり覚えてないんですよね、ショックすぎて。友達はみんな『(試験が)できた』とか『できなかった』とか言っていたんですけれど。こんな親から金を借りて大学に行くのもしんどいな、と思って就職しようと決めたんです」

佑太さんは実はこのとき、ある職の内定を得ていた。受かったら大学に行くと先方には伝えてあったのだが、もう一刻も早く就職して家を出たいと思い、気持ちを固めた。

なぜか実家にある「スーパーのカゴ」の山

一見気の毒な話だが、佑太さんはこの選択に「まったく後悔はない」と言う。彼はその後、就職先で特殊な資格を取得し、いまもその道で活躍している。

仕事はきつかったが、それほどつらくはなかった。何しろ家を出ることができたし、それに「みんな一緒に苦労する」ので、高校のときのように「自分だけが苦労している」と感じなくて済んだからだ。

「最近思い出したことがあって。実家に帰ったら、近所のスーパーのカゴがたくさんあるんですよ。『何であるの?』って母に聞いたら『あんた高3のとき、よく持って帰ってきてたじゃない』って。あまり覚えていないんですよね。

当時、自分はすごくまともだと思っていたんです。親がこうだからって、グレて人生を台無しにするのは嫌だと思っていたので。でも今思うと、けっこうヤバいことをやっている(苦笑)。一種の万引きですし、下手をしたら就職できなくなっていたかもしれない」

なお、両親は結局別れることなく、いまでも一緒に暮らしているという。父親の仕事が落ち着き、孫が生まれるなどするうちに、昔ほどけんかをしなくなったようだ。

高校の頃、とてもつらかった。そう自分ではっきり認識できたのは、結婚して数年経った、20代半ばの頃だった。20歳のときに知り合って結婚した妻に、彼の母親が過去のあれこれを話したことがきっかけとなった。

「上の子が生まれて、子どもを連れて実家に行ったとき、妻から『昔の話を聞いたよ、本当に大変だったね。実家に帰らなくても不思議じゃないのに、こうやって孫を見せに帰ってあなたエラいね』みたいに言われて。『ああ、俺大変だったんだな、すごくつらかったな』って。そのとき初めて、自分で認められたんだと思います」

「男の子だから」と言われない社会に

逆に、祐太さんはなぜそれまで自分のつらさに気づけなかったのかというと、どうやら「もっと大変な人」と自分を比べてしまっていたようだ。

「別に私自身が殴られてきたわけでもなければ、リストカットしてきたわけでもない。『女子のほうが大変だ』とか『もっとひどい家もある』みたいに、どうしても比べてしまって。『男なんだから』と思って我慢しちゃって。当時は『なんてことない話だよね』と思っていたんですけれど。

でも、妻に言われて振り返ってみると、すごくしんどかった。だからもし、あのときに気持ちを認めてくれるひとがいたら、もうちょっと楽だったかなって。いま、もし同じような思いをしている年頃の子がいるなら、そういう子たちが相談できると思えるような、『でも君、身体が大きいからね』と言われないような社会ができればいいのかなって思います」


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相談できるような誰かが、どこに居てくれたらよかったですかね? そう尋ねると、祐太さんは考え込んだ。思い切って相談をした相手には「あなたなら大丈夫」と言われてしまったし、逆に踏み込まれすぎて、警察や児童相談所が出てきたら困ってしまう子もいるだろうという。

「そういう意味では、ネットの記事というのはいいかもしれません。私もいろいろ読んできて、『こういう人もいるんだな』とか『こういう気持ちになるものなんだな』とわかったので。それだけでも何か違うかも、という気がします」

これまで書いてきた記事が、そんなふうに誰かの役に立つなら筆者としてもうれしい。ただ、いま渦中にある中学生や高校生は、こういった記事を読んでくれているのか? もし読んでいたとしても、読むだけで本当にいいのか?

もどかしい思いはずっとある。もし話を聞かせてもらえるなら、話を聞きたい。

本連載では、いろいろな形の家族や環境で育った子どもの立場の方のお話をお待ちしております。周囲から「かわいそう」または「幸せそう」と思われていたけれど、実際は異なる思いを抱いていたという方。おおまかな内容を、こちらのフォームよりご連絡ください。

(大塚 玲子 : ノンフィクションライター)