客離れを懸念して値上げに踏み切れない企業は多い。マーケティングに詳しい小阪裕司さんは「価格にうるさいお客は、本当に大切なお客ではない。値上げは優良な顧客を絞り込むチャンスでもある」という――。

※本稿は、小阪裕司『「価格上昇」時代のマーケティング』(PHPビジネス新書)の一部を再編集したものです。

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■いったん値引きをやめてみる

物価が上昇する中、値上げが不可避になっている企業は多い。しかし、今まで価格の安さを訴求してきたメーカーや、値引きで顧客を集めていた店は、「顧客が一気に離れていってしまうのではないか」という恐れから、なかなか値上げができない。

もちろん不安はあるだろう。しかし私の答えは、「いったん、スパッと値引きはやめる」、そして「必要な値上げはやる」というものだ。

一時的には顧客が離れていき、売上が下がることもあるだろう。安さを求める客は必ず一定数以上いるから、そうした人は確実にいなくなる。しかし、数々の事例を見ていると、「思ったほどは落ちない」「まったく落ちなかった」というケースが多いようなのだ。

■値上げの決断の経緯をお客にきちんと説明する

一例として、東京都八王子のペットサロン「リーデレカーネ」が値上げに踏み切った経緯を見てみよう。

同社は2022年5月、同社が営むサービスのうちトリミングとペットホテルの料金を大幅に値上げした。その背景にはご多分にもれず、燃料、光熱費、備品などの価格が軒並み上がってきたこともあるが、そもそも業界全体としてトリミング料金が安すぎるという問題もあった。いつかはそれを是正しなければ、どのみちこの先、良いスタッフを育て、良いサービスを提供し続けることはできなくなるのだ。

値上げにあたって店主・原口八恵子氏は、世の中の流れに便乗し、単に「大変だから値上げします」としたくはなかった。これまでの経緯、意図があっての値上げであること、ある意味苦渋の決断でもあることをしっかり伝えたいと考えた。

そこで、事の経緯や背景を、定期的に発行しているニューズレター「スマイルドッグ通信」に書き、店のLINEや店頭のカウンターでも、「トリミングと、ペットホテル料金の値上げを行います。この苦渋の決断の経緯とお客様に対する思いがスマイルドッグ通信に綴られています。ご一読お願いします」と発信し、訴えた。

■「常に人がいる」など店の価値を前面に出した

結果はどうだったか。値上げ前の4月の数字を100とすると、トリミングの売上は100.2%、ホテルは127.9%、その他、近年力を入れているドッグトレーニングは149.9%、物販122.1%で、どの分野も前年を超え、5月の売上全体でも108%だった。

ホテルの伸びについては、5月にはゴールデンウィークもあり、コロナが収束状態に入っていくというタイミングも良かったと原口氏は言うが、タイミングだけならむしろこの機に安い他店に流れてしまう可能性もあったはずだ。

「自宅兼店舗で夜間も無人にならない」「フリースペースがあるので、ケージに入れっぱなしではない」など、安心や温かさなどの価値を前面に出し、それを伝えていることが功を奏したのだろう。「こちらが思うより、抵抗なく値上げを受け入れてくれている感じがしました」と原口氏は言う。

そしてこの結果、月間の粗利は前月比215%となった。「粗利の伸び率を計算したときは、何か間違っていないかと思いました」と彼女は言うが、まさにそれが、正当な対価なのである。

■値上げに対して4つの反応があった

安売りや値引きを止めたことで、あなたのもとにクレームが来ることがあるかもしれない。どんな世界でも「1円でも安いもの」を求める人はいるからである。たった一人からでも「高い」と言われてしまったら、値上げに躊躇する気持ちが生まれるのも無理はない。

リーデレカーネにもそうしたお客さんはいた。より具体的には、お客さんの反応は大きく四つに分かれたそうだ。

まず、値上げを理解いただけないお客さん。そして「あ、そうなんですね。わかりました」と言ってくれはするものの言葉は少なめで、次回の予約は入れてくれないお客さん。

ただ、多かったのは次の二つのパターンのお客さんだ。「かなり上がるねー。でもしょうがないよね」と言いつつ予約を入れてくれるお客さん。そして、「あー、はいはい、全然大丈夫だよ」と、普段とまったく変わらないお客さん。

もちろん、こうしたお客さんが多いことの背景には、原口氏を始めスタッフらが日ごろから顧客との関係性作りを意識し、「スマイルドッグ通信」などの情報発信によりコミュニケーションを取り、良い関係を育んでいたことがあるだろう。関係性のある顧客は値上げの許容度も大きいからだ。

■ある意味優良顧客を絞り込むチャンスでもある

しかし、いくら関係性を育んでいても、理解してもらえなかったり、受け入れてもらえないお客さんはいる。では、どうすればいいのか。

ここは考えどころだが、私はそういうお客さんは顧客にしようとしなくてもいいと思う。つまり「お客さんは選んでいい」。

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値上げは、自社にとっての優良顧客を絞り込むチャンスでもある。価格だけを求めていた顧客は、他にもっと安いものが生まれればすぐに移ってしまうだろう。しかし、価格を上げても流出しなかった顧客は、価値をあなたの商品や会社に見出してくれているということ。つまり、あなたの商品や店に意味合いを見出してくれているということだ。

ここにまず「値上げの作法」が一つある。

原口氏がそうしたように、自社・自店が価値あるものを提供し続けるための正当な対価を要求する。すなわち、必要であれば値上げをする。そのとき、その理由をはっきりと伝えるのである。

■田舎町のスーパー店主が安売りをやめた理由

「顧客は選んでいい」と言われても、「ただでさえ少ない顧客を失うのは忍びない」という人もいるだろう。そういう人には、北海道の十勝地方にあるスーパー「デイリーショップヤマモト」の事例をご紹介しよう。

小阪裕司『「価格上昇」時代のマーケティング』(PHPビジネス新書)

この店があるのは十勝地方の幕別町という小さな町だ。しかも高齢者率が非常に高く、人口も減っていっている。にもかかわらず、値上げにはまったく躊躇がない。この店の名物であるプリンは、値上げする前の2021年3月にはひと月で246個売れていたのが、値上げ後の2022年3月には612個売れたという。実に2倍以上だ。

店主の山本氏は、「価格にうるさいお客さんが来なくなったので、いいお客さんが自然と増える好循環が起きている」「確かに1円2円で動く人もいるが、そのようなお客さんは自分の客ではない」と言い切る。

なぜ、言い切れるのか。

このようなビジネスをしていた結果、幕別町だけでなく、北海道の十勝地方全域から顧客が来るようになったからだ。

かといって別に、排除しているわけではない。価格だけを言ってくるお客さんにとっては「自分には合わない店、居心地の悪い店」になるので、自然と足が遠のくというだけの話だ。

だからあなたも「値上げによって既存顧客を失うかもしれない」ことを、あまり深刻に捉えないでいただきたい。もし、本当に意味のあるビジネスを展開することができていれば、どこかから新たに顧客が現れる。さらに言えば、今やネットを使えば商圏は世界中になる。「安売り」を止めた先にはきっと、あなたが本当に求めている顧客が現れるはずだ。

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小阪 裕司(こさか・ゆうじ)
オラクルひと・しくみ研究所 代表/博士(情報学)
山口大学人文学部卒業。1992年「オラクルひと・しくみ研究所」を設立。人の「感性」と「行動」を軸としたビジネス理論と実践手法を研究・開発し、2000年からその実践企業の会「ワクワク系マーケティング実践会」を主宰。現在全都道府県から約1500社が参加。2011年工学院大学大学院博士後期課程修了、博士(情報学)取得。著書に『価値創造の思考法』(東洋経済新報社)、『「価格上昇」時代のマーケティング』(PHP研究所)など多数。 公式サイト
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(オラクルひと・しくみ研究所 代表/博士(情報学) 小阪 裕司)