[画像] この夏の主役候補、日本文理・田中晴也の短すぎた夏。甲子園での敗戦は「伝説」の序章にすぎない

「試合が終わって本当に悔しい気持ちが一番強いですし、勝てる自信を持って臨んでいたので、こういう結果になって悔しいです」

 試合後、肩・ヒジのメディカルチェックを終え会見場に現れた日本文理(新潟)のエース・田中晴也は、淡々と記者との受け答えに応じた。

 0対11の初戦敗退。「こんなはずではなかった」と嘆いてもおかしくない残酷な結果だったが、鼻から下を白いマスクで覆われた田中から、そのような感情は読みとれず、一見すると穏やかな会見に思えた。

 だが、そのポーカーフェイスの裏側で自分への怒りが沸き立っているのだろう。田中という野球選手は、極度の負けず嫌いだからだ。


海星打線につかまり無念の初戦敗退となった日本文理の田中晴也

6回7失点で無念の初戦敗退

 田中は最速150キロの快速球やスピードを使い分けるスライダーなど、超高校級のボールを持っている。それなのに、試合中の田中から「もっと速い球を投げたい」「もっとすごい変化球を投げたい」といった野心を感じたことがない。以前、田中に「投手としてもっとも快感を覚える瞬間は?」と聞いた時、こんな答えが返ってきた。

「最後のバッターを打ちとった瞬間です。勝つことに一番の喜びを感じます」

 夏の花火大会で有名な長岡市出身。本人も大の花火好きで、好きな花火の種類を聞いても「黄金色の花火」と勝利を連想させる回答だった。脳天から足の爪先まで勝利への飢餓感で占められている。それが田中晴也なのだ。

 大会直前の有望選手を紹介する記事で、私は田中についてこう書いている。

「今夏の主役になりうる男」

 だが、結果的に田中は主役になれなかった。海星(長崎)との甲子園1回戦で田中は先発登板し、6回を投げ7失点。7回以降は一塁の守備に回ったが、同じく超高校級と評判の打撃も4打数1安打2三振と結果を出せなかった。

 試合のラストバッターとなり、空振り三振に倒れた田中は名残惜しそうに打席で固まり、バットを見つめた。主役候補としては、あまりに短い夏だった。

 乱調の原因は指先にあった。新潟大会準決勝で右手人差し指にできたマメが潰れ、投球に支障をきたすようになった。それでも新潟大会決勝は延長11回を投げ抜き、1失点の好投でチームを甲子園に導いている。その後は治療回復に努めたが、海星戦では「5回くらいから悪化し始めた」(田中)という。ユニホームの太もも部分は指先を拭うため、血に染まっていた。

 マメが潰れると投球にどんな影響があるのか田中に聞くと、こんな答えが返ってきた。

「(ボールをリリースする際の)最後のひと押し、もうひとかかりが通常より弱かったと思います。影響はありましたが、そのなかで抑えないといけませんでした」

 リードする捕手の竹野聖智は、田中のボールについてこう証言する。

「序盤はいい球がきていたんですけど、ボールが先行してしまって打者有利のカウントにして連打を浴びるケースが多かったと思います。万全とは言えない状態でした」

進路は「これから考えます」

 この夏が田中にとってリベンジの舞台になるはずだった。昨夏に初めて甲子園のマウンドを経験したが、敦賀気比(福井)の強打線に15安打とつかまり、8失点を喫している。「無力感を覚えました」という田中は、その後の1年間で自分を磨き上げ、今やドラフト上位候補と呼ばれるまで力をつけた。それでも、1年後に待っていたのは過酷な現実だった。

 日本文理の鈴木崇監督に「甲子園のファンに田中投手のもっと違う姿を見てもらいたかったのではないでしょうか」と尋ねると、鈴木監督は質問が終わり切らないうちに「本当にそうですよね」と実感を込め、こう続けた。

「指のアクシデントも不運な打球もありましたけど、それもあっての野球ですから。そんななかでも田中らしさをみなさんにも見てもらいたかったですし、田中にもしてもらいたかったですね」

 田中に今後の進路について聞くと、プロ志望届を提出するかを含めて「これから考えます」と答えた。大学進学という選択肢もあるようだ。

 いくら「逸材」ともてはやされようとも、高校生は未熟である。思うような「最後の夏」を送れた球児など、ほんのひと握りしかいない。だが、田中のように負けず嫌いで思考力の高い選手ほど、自分に求める理想が高くなるものだ。「将来は世界で通用する選手になりたい」と高い目標を口にする田中には、今夏につまずいた自分が許せないという感情もあるかもしれない。

「あの田中も高校時代には甲子園で打ち込まれたんだよ」

 いつかそう語り継がれるような選手になる可能性は十分にある。田中晴也の野球人生は、まだ第1コーナーを回ったばかりなのだから。