[画像] トヨタ自動車の「スライダーを捨てた男」が都市対抗で圧巻投球。アクシデント降板もドラフト上位候補に急浮上

 人は何かを得ようとする時、何かを捨てなければならないことがある。

 今や球界を代表するクローザーとなった栗林良吏(広島)は3年前、トヨタ自動車に入社直後に「スライダー」を捨てた。先輩捕手の細山田武史(現・コーチ)からこんなアドバイスを受けたからだ。

「このスライダーじゃ、社会人のバッターは振ってくれない。曲がりが大きすぎて、変化するタイミングが早いんだよ」

 細山田はDeNAなどでプレーした元プロ野球選手。その言葉は栗林に響いた。以来、栗林は一番の自信のあったはずのスライダーを封印する。

 名城大時代の栗林は、プロ志望届を提出しながら指名漏れを経験していた。指名を検討していた球団もあったが、3位以下の指名なら社会人に進む「順位縛り」を設けたことがネックになった。

 だが、結果的にトヨタ自動車に進んだことで栗林の野球人生は上昇気流へと乗っていく。スライダーの代わりにカーブやフォークを磨き、2年間で力をつけてドラフト1位指名を勝ちとった。プロ入り後の華々しい活躍は今さら説明不要だろう。


都市対抗初戦で好投したトヨタ自動車の吉野光樹

都市対抗で4回7奪三振の快投

 今年、そんな偉大な先輩に続こうとしている存在がいる。

 吉野光樹──上武大から入社して2年目の右投手である。なお、高校時代は九州学院高に在学し、村上宗隆(ヤクルト)は1学年後輩だった。ただし、高校では腰の故障に泣き、エースではなかったという。

 身長176センチ、体重78キロの中肉中背ながら、今年に入って急成長してきた。藤原航平監督はその成長に目を細める。

「強いボールを投げられるようになって、(ストライク)ゾーンで勝負できるようになりました。無駄なフォアボールが減って、すごく成長を感じます」

 7月19日、都市対抗野球大会の初戦・日本製鉄かずさマジック戦で、吉野は先発マウンドに上がっている。

 メインで使う球種は3種類。最速150キロに達する好球質のストレート、打者の目線を上下動させる変化量の多いカーブ、そして130キロ台で落ちるフォークだ。吉野は4回までかずさマジック打線にヒットを1本も許さず、7個の三振を奪う鮮烈な投球を展開した。

 大学時代の吉野と比較して、あることに気づいた。多投していたスライダー系のボールを投げなくなっていたのだ。試合後に吉野に尋ねると、決然とした口調でこんな言葉が返ってきた。

「あのスライダーは社会人では通用しないと思ったので、捨てました」

 その言葉を聞いて、2年前の栗林の姿が思い起こされた。ただし、吉野の場合は細山田からの助言ではなく、自分の判断だったという。

 スライダーを捨て、代わりに手にしたのは決め球のフォークである。吉野は「川尻(一旗)コーチと吉見(一起)コーチ(元・中日)に教わりました」と、その投げ方を解説する。

「前まではボールを『抜く感じ』で投げていたんですけど、ふたりから『しっかり指にかける感じ』と教わりました。回転を殺すのではなく、回転をかけて落とすイメージです」

 ボールを回転させないようにすればするほど、空気抵抗を受けたボールは落下する。その一方で、回転の少ないボールは打者に球種を見破られるリスクを伴う。吉野の投じるフォークには適度な回転がかかっており、打者にストレートと見分けがつきにくい「煙幕」になる。東京ドームの硬いマウンドとの相性もよく、吉野は面白いように三振を量産した。

アクシデントで無念の降板

 だが、好事魔多し。4回途中に右足ふくらはぎをつり、吉野はこの回限りで大事をとって降板する。同じくドラフト候補の3年目右腕・渕上佳輝の好リリーフにも助けられ、トヨタ自動車は初戦を2対0で制した。

 アクシデントこそあったものの、藤原監督は「初戦の入り方の難しいところで勢いをつけてくれた」と吉野をねぎらった。栗林を擁した2年前ですら初戦でセガサミーに0対2で敗れており、都市対抗初戦を突破したのは3年ぶりだった。

 バッテリーを組む高祖健輔は、マスク越しに吉野の進化を感じとっていた。

「入社した頃はシュートしたり、引っかけたりすることが多かったストレートが、今は回転数も増えて浮き上がるようなボールになりました。初めての都市対抗初戦のマウンドなので『どうなるかな?』と吉野の顔色をうかがっていましたが、いい顔をしていましたね」

 プロスカウトが社会人投手に求めるハードルは高い。だが、吉野がその能力を見せつけ、プロ即戦力の評価を得るには4イニングで十分だっただろう。

 ドラフト上位指名は確実。今後のアピール次第では1位指名も見えてくるのではないか......。今の吉野の勢いを見ていると、それほど高い期待をかけたくなる。

 スライダーを捨てた男はフォークだけでなく、さらに大きなものを手に入れようとしている。