※この記事は2021年10月05日にBLOGOSで公開されたものです

日本には今、どれぐらいの数のお笑い芸人がいるのだろうか。最大手である吉本興業には6千人以上在籍していると言われている。便宜的に6千人として、その実態が副業(バイト)を要せず本業である芸人の仕事のみで生計を立てているかどうかは、いったん横に置き、ともかく何かしら仕事依頼があれば「芸人」として稼働する人がそれだけいる、ということだ。

松竹芸能の公式サイトに掲載されている芸人を数えてみる。総計309名。(念のため内訳は、ますだおかだなどタレント枠に21名、ベテラン芸人枠に23名、ヒコロヒーなど若手芸人枠に265名である)芸人数という物差しだけで計った場合、吉本は松竹の20倍の規模だということがわかる。

次に、主な芸能事務所の公式サイトから芸人数をカウントしてみる・・・

ワタナベエンターテインメント(157名)
ホリプロコム(82名)
太田プロダクション(117名)
プロダクション人力舎(233名)
サンミュージックプロダクション(134名)
マセキ芸能社(102名)
浅井企画(96名)
ケイダッシュステージ(62名)
タイタン(55名)
グレープカンパニー(58名)
ソニー・ミュージックアーティスツ(15名)

ほおお、人力舎が抜けているのか…なんだろう、身の寄せやすさみたいな何かがあるのだろうか? さておき、上記の小計が1111名だ。他にもお笑い芸人が在籍する事務所は多々あり、プライム、佐藤企画、田辺エージェンシー、三木プロダクション、イザワオフィス、ビクターミュージックアーツ、ナチュラルエイト、TAP、ワハハ本舗、大川興業、ビッグワールド、トップ・カラー、ASH&Dコーポレーション、トゥインクル・コーポレーション…etc。これらの事務所の芸人数をカウントしたら合計200名ぐらいにはなるだろう。

ということで、6000名(吉本)+309名(松竹)+1111名(主な事務所)+200名(他の事務所)→7620名。これがひとつの目安だが、現在の日本にいるお笑い芸人のうち、漫才・コント・ピン芸・ものまね等で芸能事務所と在籍契約をしている数となる。実際にはさらに多くいるのだろう。

師弟関係→お笑い養成学校 芸人の数が爆増

今更ながらだが、日本の芸能史において今現在が最もお笑い芸人の数が多い状態だ。

なぜこれほど増えたのか? それは「なりたいと思う人が増えたから」なのだけど、第一の理由となるのは、芸人志望者を受け入れる業界の構造が変わったからだ。

目新しい話ではないが、戦前~1970年代あたりまでは芸人になるための主な入口は、師匠への弟子入りだった。そこにはおのずと上限があり、師弟関係は芸人の成り手を抑制する役割を果たしていた。

しかしながら1980年代に漫才ブームで「お笑い」の業界はビッグバンを起こし、需要は右肩上がりとなっていく。そこに見合う供給を生むため吉本興業は芸人の養成学校であるNSCを設立する。芸人養成を師弟関係に託すのではなく、芸能事務所が学校を作って運営し、講師が授業という名のレッスンとオーディションを施し、一定の時間をかけてふるいにかけ、優秀者をプロの世界に送り出していく。入学金と授業料もしかと徴収しつつ。

芸能界の下部構造として俳優や歌手の養成学校がそれ以前にすでにあった。吉本はそれをモデルにお笑いに養成所システムを取り入れたのだろうけど、師弟関係が当然の芸人社会により長年支えられてきた吉本が、それを否定するシステムを導入してしまう商魂のたくましさとかシビアさにうなってしまう。

80年代当時、NSCから生まれた若手芸人はノーブランドと呼ばれた。ファッション用語のDCブランドをDC(弟子)と見立て、師匠を持たない、弟子入りしない、良かれ悪しかれ新世代という意味だ。

歴史を振り返れば、この養成所システムの第一期生でダウンタウンが誕生するのだから、成功以外の何物でもない。

こうして吉本が芸人の入口を構造改革したことで、新規参入への壁ががくんと低くなり、結果、現在のお笑い芸人数の増加につながっている、という話だ。

さらにつけ加えれば、その次世代となるのが、芸能事務所による養成所システムを通過することなく、ダイレクトに(笑いであれば笑いの)自己表現をするYouTube直行世代だろう。

寄席がホームの落語家や講談師、浪曲師の数は?

では、漫才・コント・ピン芸・ものまね等で、テレビやバラエティ番組での成功を目指すタイプではなく、落語・講談・浪曲など寄席やホール公演を基本ベースにする芸人は、今、日本に何人いるのか?

1205名である。


その数が難なく出てきてしまうのは、このほど刊行された『東西寄席演芸家名鑑2』のおかげだ。その1205名がすべて写真入りで掲載されている分厚いハンドブックなのだが、寄席芸人の世界に浸るのにはたまらない一冊で、見ていて飽きないコンプリートカタログの悦楽が詰まっている。

作成を担ったのは東京かわら版編集部だ。ちなみに東京かわら版は関東圏の落語会情報を毎月網羅して掲載する月刊情報誌で、1974年の創刊以降、落語ファン寄席ファンの間で脈々と愛読…いや、ある一線を越えると生活必需品とかライフラインとか、それぐらい欠かすことのできないハンディタイプの小雑誌だ。鉄道ファンにとっての時刻表が、寄席演芸ファンにとっての東京かわら版である。


寄席演芸界の動向とデータを日夜大小くまなく収集している東京かわら版編集部だからこそ成せる、地道にして丁寧な東西寄席芸人のデータブック。具体的にどんな芸人達が掲載されているか、その項目は以下となる――

<東(東京)>

落語協会(310名 色物50組/63名)
落語芸術協会(167名 色物50組/72名)
五代目円楽一門会(59名)
落語立川流(58名)
講談協会(43名)
日本講談協会(24名)
日本浪曲協会(60名)

<西(上方)>

六代目笑福亭松鶴一門(62名)
笑福亭松之助一門(1名)
森乃福郎一門(3名)
三代目桂米朝一門(63名)
月亭一門(16名)
五代目桂文枝一門(62名)
三代目桂春團治一門(25名)
露の五郎兵衛一門(14名)
林家染丸一門(17名)
桂文吾一門(2名)
上方講談協会(17名)
大阪講談協会(10名)
なみはや講談協会(8名)
浪曲親友協会(28名)

<その他>

フリーの演芸家(21名)

これで総計1170組・1205名となる。

パラパラとページをめくる――、めくってもめくっても芸人の顔写真が続く。宣材写真も多用されているが、この名鑑用に芸人自身がセレクトした写真も多い。なぜこの写真なのか? 眺めていると写真へのそんなこだわり具合が勝手に思い浮かびあがる。

セルフプロデュースのセンスを感じたり、いかんともしがたい不器用さを感じたり。どっちであってもそれもその芸人の個性として感じるものがある。

この名鑑は『2』であり、前出の『1』があるわけだけど、『1』は2015年に刊行され、これも見事な名鑑だった。『1』で掲載された芸人は1122名だった。『2』で1205名だから、この6年の間に芸人が約80名程増えたわけだ。

その要因は主に落語家が増えたことによる。『1』から『2』での推移を見れば、

・落語協会

2015年…282名→2021年…310名

・落語芸術協会

2015年…143名→2021年…167名

と、それぞれ増えていた。

東の落語家の総数は40年で倍以上に


ちなみに、1982年に刊行された「落語家面白名鑑」(かんき出版)という名鑑本があり東の落語家を扱っているのだが、そのデータで落語家の数をカウントすると落語協会155名、落語芸術協会84名、落語すみれ会(現・円楽一門会)10名で、まだ立川談志師匠も落語協会に在籍していて立川流を創設していない時期の東の落語家の総数は249名である。「東西寄席演芸家名鑑2」による最新データと比較すると、東の落語家の総数は、

1982年…249名
2021年…591名

と、この40年で倍以上(2.3倍増)になったことがわかる。


一方で、西(上方)の落語家の総数は、2006年に刊行されたこれまた力作の「上方落語家名鑑」(やまだりよこ著 出版文化社)によると2006年時点で198名だったので、

2006年…198名
2021年…265名

と、この15年で1.3倍に増えている。

東西の落語家はなぜ増えたか? なぜだろう? 落語家の養成スクールができたわけではないのに。推察できるのは80年代から現在に至る中で「芸人」という稼業を志すことが異端の選択ではなくなったということだろう。

そのハードルが専門学校へ行く程の低さになっていった中で、笑芸ジャンルでもある落語家への道もハードルの低いものになっていったということだろう。

周りを見渡せば、エンタメを発信する側の数というのはこの30~40年の間に、どのジャンルも増えていると言えば増えている。なぜ増えているのか? ネットやSNSの登場により発信しやすくなったから? 本当にそうなのかどうかはわからない。社会学方面で研究されている方がいると思う。

春風亭一之輔「この名鑑でいつまでも飲める」

さておき「東西寄席演芸家名鑑2」だが、『1』から『2』になり情報欄に追加されたのが、芸人それぞれから寄せられた「なにか一言(自己PRまたは趣味や特技など)」の一文だ。短文ながら思わず吹き出すオチをつける達人もいれば、コロナ禍の厳しい状況下で自身を鼓舞する人もいれば、何も書かない人もいれば、書きすぎる人もいる。

ここにも芸人自身のセンスや人柄が見え隠れして、いい味わいの読みどころでもあり、そこから伝わってくる「その人らしさ」が名鑑としての貴重な情報となっている。

この名鑑に対し、春風亭一之輔師匠を始め、落語家自身から聞こえてくる感想の多くは「この一冊でいつまでも飲める」というもの。賛辞である。大賛辞というよりは小賛辞という感じか。と、わかる人にはわかる程度のシメ方が少々気恥ずかしい。