早稲田大学ビジネススクールの入山章栄教授が『キングダム』の魅力を語ります(©原泰久/集英社)

東洋経済オンラインでは、期間限定で大人気漫画『キングダム』の序章を無料で公開中だ(こちらからご覧ください)。2000年以上前の中国で縦横無尽の活躍を見せるキャラクターのなかには、後に始皇帝となる若き王・嬴政(えいせい)など実在の人物も含まれる。

経営学を専門とし、多くの研究業績や著書のある早稲田大学ビジネススクールの入山章栄教授は、今注目のスタートアップから大企業まで幅広い人脈の中で、経営者たちが『キングダム』にハマっていることに注目。自身も『キングダム』ファンであると同時に、経営学の観点から同作を分析してきた。

経営学者は『キングダム』をどう読んだのか。

ビジネス漫画として読まれることが増えている

――『キングダム』を初めて読んだのはいつごろですか。

4〜5年前です。付き合いのある起業家たちの中で『キングダム』が流行り始めたのがきっかけでした。実は、当初は絵柄が苦手な気がして読むには至らなかったのですが、流行に気づいてから1年ほど経ったころ、本格的に読み始めた。

最初は4巻までまとめて買いました。本当に面白くなるのは5〜6巻以降だと今は思っていますが、1〜4巻も飽きずに読み進められた。その後、一気にハマって、既刊すべて読み切るのですが、これは『キングダム』ファンにはわかってもらえる感覚ではないかと思います。

今、『キングダム』はビジネス漫画として読まれることが増えている。それは、組織に属するビジネスパーソンに響く部分が多いからでしょうね。作者の原泰久先生自身が、漫画を描く傍らビジネス界を含む多くの人と交流していることも作品に影響しているのではないか。

また、原先生と以前対談した際には、SE(システムエンジニア)としての経験が作品づくりに生かされているという話もありました。『キングダム』は史実に基づいている以上、いつかは嬴政が中国を統一する。ゴールはわかっているので、それに向けた要件定義をしていくような感覚だそうです。思いつきではなく、システムを構築するようにストーリーを作っているから、途中でつまらない話になることはないともおっしゃっていました。


入山章栄(いりやま・あきえ)/慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。2008年にアメリカ・ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.取得。同年よりニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクール助教授。2019年から現職。専門は経営戦略論、国際経営論。著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』(英治出版)、『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』(日経BP)など。監訳に『両利きの経営』(東洋経済新報社)(写真:梅谷秀司)

――最新刊の64巻までには何度もストーリーの山場があります。

その山場の熱が極端に冷めることなく次に続いていく。作中でかなり盛り上がるのが、25巻からしばらく続く合従軍編。他国が連携して秦を攻めるストーリーですが、僕は読みながら、ここが『キングダム』のピークになるんじゃないかと思ったりもしました。

――一読者として、同感です。

ですよね、そう思うじゃないですか。でも、その後も勢いが落ちないし、さらに面白くなる。作者が山場の後も盛り下がらないよう意図して描いているからです。

自分を重ね合わせられるキャラクターが登場する

――緻密に作り込まれた世界に、起業家たちも引き込まれたと。ここ数年の起業家の傾向やスタートアップを取り巻く環境の影響もありますか。

なぜ今、『キングダム』が起業家に受けるかというと、起業家の世界が戦国時代の様相を呈しているからです。運の要素も強い、群雄割拠の時代です。『キングダム』のいいところは、ストーリーの面白さはもちろん、それぞれのキャラクターの個性が立っていて、自分を重ね合わせられる人がどこかには登場するという点です。

そのうえで、起業家が感情移入しやすいのはやはり主人公の信や、のちの始皇帝・嬴政のようです。


主人公の信(右)と嬴政(左)(©原泰久/集英社)

とくに信は5人1組で構成される軍の最小の単位である「伍」のメンバーの1人として武人としてのキャリアが始まる。そこからだんだん出世して、率いる人数が100人、1000人、3000人と増えていき、将軍にまで上りつめていく。経営者が会社を1人か2人で立ち上げて、大きくしていくのはこれと似た感覚です。

経営者にとってのゴールの1つがIPO(新規株式上場)だとすると、『キングダム』の世界では、将軍になることがそれなんです。そして、どのくらいの共感を得られるかわかりませんが、少年漫画を愛読する人間の好物の1つが「強さの数値化」なんですよ。

――漫画好きとして、よくわかります。

『ドラゴンボール』もそうですよね。スカウターで強さを数値化する。海賊漫画の『ワンピース』も、実はかけられた賞金額での数値化が行われている。主人公の強さの位置が、主人公自身にも読者にも共有されるわけです。『キングダム』ではそれを部下の数でやっているイメージ。

そして、数値が上がっていくと同時に信がリーダーとしていい感じに成長している。飛信隊という、主人公・信が率いる部隊のメンバーも魅力的です。途中で険悪になるシーンもありますが、当初からの仲間、いわば創業メンバーも信の部下として一緒に階級が上がっていったりする。そんなリアルさも起業家に響いているんじゃないでしょうか。

――昔の起業家と今の起業家で傾向の違いはありますか?

今の起業家はよくも悪くも、ピュアな人が多い。過去に日本で起業家が多く生まれたのは戦後です。その理由は簡単で、焼け野原になってしまった日本を何とかしなきゃいけなかったから。その中で成功したのが、ソニーを創業した井深大さんや盛田昭夫さん、ホンダを創業した本田宗一郎さん。

当時の起業家には人間としてはめちゃくちゃな人もいたようですが、時代もあって、経営者として成功したい気持ちと同時に、日本をなんとかしなければという思いが強かった。時代が彼らに大志をもたせた。

ただ、それは『キングダム』的な世界とは違います。群雄割拠での勢力争いというよりは、ゼロから作っていく世界ですから。日本の場合は、その後、高度経済成長期を迎え、終身雇用制が定着しました。起業は異端という時代が長かった。いい大学を出て、いい会社で働くのが是とされる時代です。例えば、就職人気ランキングでは大手損保がトップになるような。

全国転勤ありだけど、とにかく給料はいい。中国の歴史でいうと比較的安定した、宦官が跋扈する時代、科挙システムが機能していた時代のイメージでしょうか。今は多くの分野で老舗大企業とスタートアップが入り乱れ、終身雇用制も崩れてきて、日本のビジネス界が戦国時代的になってきています。だからこそ、ビジネスパーソンが『キングダム』に共感する。

ダントツで好きなのは廉頗

――起業家は信や嬴政に共感するとのことですが、ご自身の好きなキャラクターを5人挙げるとすると?

ダントツで好きなのは廉頗(れんぱ、18巻初登場)。登場時は魏に移っていましたが、過去には趙国三大天の1人として名を馳せた大将軍です。

ほかは、元野盗の首領であり残忍さで知られる秦の将軍・桓騎(かんき、19巻初登場)、高い能力を持ちながら危険思想を警戒される秦の将軍・王翦(おうせん、19巻初登場)、桓騎と王翦を副将として従える秦のベテラン大将軍・蒙驁(もうごう、18巻初登場)、合従軍で燕国軍の総大将を務める「北の山岳族の王」・オルド(25巻初登場)ですね。こうして挙げてみると、僕は「ど真ん中の人」にそれほど興味がない。

起業家の場合は、自分の夢に向かって組織を大きくしていくところにカタルシスを感じるところがありそうですが、僕はとにかくずっと現役で戦いたい、研究に取り組みたいという感覚が強い。いちばん好きな廉頗は、長く戦いに身を置きながらも自分が天下を取ろうとは思っていません。彼のずっと現役で戦いたいという感覚に非常に共感します。


趙国三大天の1人として名を馳せた廉頗(©原泰久/集英社)

――5人とも主人公たちより上の世代の現役将軍です。上司世代、というイメージもありますが、その意味では、結果を出しつつ穏やかな人柄の蒙驁は魅力的に思えます。対極の存在は野盗の首領から将軍へという異色の経歴を持ち、奇抜な行動と残酷さが目立つ桓騎でしょうか。

そうですね。蒙驁は安定感がありますが、起業家というよりは起業家をサポートする側にいそうなタイプですね。あるいは、大企業の経営陣にはこういう人がいる。


秦のベテラン大将軍・蒙驁(©原泰久/集英社)

一方の桓騎は、日本史でいうと織田信長タイプ。起業家と話をすると「こういうやついるよね」という話になるキャラクターだったりもします。一昔前、90年代の起業家のようなイメージでしょうか。法律スレスレのこともいとわない、ちょっとクレイジーなタイプ。事業が成功すると、派手なパーティーを開いたりして。


元野盗の首領であり残忍さで知られる秦の将軍・桓騎(©原泰久/集英社)

ただ、こういうタイプは最終的には成功しない。途中までは勢いがあっても、どこかで躓いていなくなってしまうんです。僕の周りの起業家には、漫画のキャラクターとしての桓騎を魅力的だという人はいますが、起業家としてのお手本にする人はいないように思います。(後編に続く)

『漫画「キングダム」(第1話)身の丈を超えた野望』はこちら

(山本 舞衣 : 『週刊東洋経済』編集者)