人は何をきっかけに違法薬物の使用を続けるようになるのか。龍谷大学嘱託研究員の廣末登さんは「多くのきっかけは誰もが経験する日常のストレス。つまり、どんな人でも、何らかの薬物に逃避し、依存する可能性がある」という――。
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※写真はイメージです - 写真=iStock.com/KatarzynaBialasiewicz

■薬物乱用は累犯者が多い

前編「『お土産品を1万円分買うのがコツ』元ヤクザの運び屋が明かす"覚醒剤密輸"の手口」では、覚醒剤取引のリアルをお伝えした。今回は、覚醒剤を購入して使用している人は、なぜそれに手を出し、使用し続けたのか。覚醒剤乱用者の肉声をお伝えする。

薬物乱用は、本人が被害を受けるものであり、被害者なき犯罪ともいわれる。したがって「誰にも迷惑はかけていない」という意識から使用者本人に反省の色が無く、累犯者が多いという特徴がある。

薬物と一言に言っても、乱用される種類はさまざまである。例えば、覚醒剤、ヘロイン、モルヒネ、LSD、コカイン、大麻、脱法ドラッグ、シンナー、眠剤(睡眠薬)を含む一般処方薬等がある。

これらの薬物を摂取すると、心理的・生理的な快楽を一時的に得られるが、薬物を習慣的に摂取する「乱用」は、身体的・人格的な異常を引き起こし、日常生活の崩壊につながる。その結果、薬物の乱用は、個人的な害悪にとどまらず、社会全体の退廃につながるため、多くの国が法律によって使用や譲渡、売買を禁止している。

薬物犯罪は「接触」「使用」「常用=乱用」「密売」という深化のプロセスをとるが、「常用」の段階にとどまる者と、この段階を経ずに「密売」の段階に移行する者に分かれる。前者は中毒者として被害者になり、後者は犯罪組織の末端に組み込まれて加害者となる。ちなみに、薬物犯罪の被害者となる人は、心理的・身体的な不全感を持ち、内向的で意志が弱く、自己否定感や他人への依存・同調傾向が強いタイプといわれる(細江達郎『犯罪心理学』ナツメ社 2001年)。

これから紹介するのは、さまざまな理由から覚醒剤の乱用に至った人たちの声である。その理由は、われわれ誰もが日常で経験するストレスであることに注意されたい。つまり、われわれは、機会があれば、誰しも何らかの薬物に逃避し、依存する可能性があるのだ。

■薬物乱用者は何をきっかけに沼にはまったのか

▼乱用者A(女性)

薬物とつながる前は、グタグタになって生きていた。私は、ひっそりと腐ってゆく冷蔵庫の底の野菜のような人間だと思っていた。自分が楽しい時間は、日常生活では得られないと思って薬物に手を出した。

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ダルク(薬物依存症からの回復をサポートする施設)に来て、薬物を使わないでよさげな生活もあることを知った。使わない時間を積み重ねることで、うっすらとではあるが、先が見えるようになった。しかし、先が見えることに慣れていない自分がいる。光が見えると悔しい――自分は腐ってゆかねばならないのに……戸惑い、ドロドロした感覚が懐かしいとも思える。

希望と不安が混在した生活を経て、ダルクのプログラムに参加することで、「私、腐りそう」と、誰かに話すことができるようになった。話ができる人、話ができる場所が与えられた。だから、今日1日、薬物を使わなかった。あ、今回は3日使わなかった……。そんなところから始めて、ちょっとずつやり直すことができるようになった。

▼乱用者B(女性)

もともと同性にヒガミやねたみがあった。だから、カワイイ――ムカつく。彼氏カッコいい――ムカつく。金持ち――ムカつく。高学歴――ムカつく。他人のすべてにムカついていた。

中学から女子校で周りがそこそこの家庭の子だった。私は、コンプレックスがあったと思う。自分にあるモノを見ずに、他人が持っているモノばかりに目が行く。19歳で薬物を使って楽になった。13年間、お酒とセットで薬物を使い続けた。周りには黙っていればいいと思った。黙っているのはうそではない。これは、自分ルール。嫌なことは酔って終わり。しかし、それでは解決しない。

ダルクのプログラムを続けるうちに、今日、幸せだなと感じるようになれた。夫とのたわいない会話、実家の親との会話に幸せを感じることができるようになった。他人を気にせず、自分のために前向きに生きてみようと思える。

バブルで遊び歩いていた頃、クスリに出会った

▼乱用者C(男性)

裕福な家庭に生まれて人生のレールが敷かれていた。バブル期に大学時代を過ごした。毎晩、遊び歩いていた。バブル崩壊後も、この生活が永遠に続くと思っていた。そんな時にクスリに出会って、ストレートに生きてきた人生がばからしくなった。しかし、それが転落の序章であることが後になって認識できた。

逮捕されて、執行猶予となったが、それでもクスリを使い続けた。そして、全てを失い、「どうやって生きてゆけばいいのか」途方に暮れた。

プログラムを始めて、クスリとの縁切りは自力では無理ということに気付いた。ダルクという場、依存症と戦う仲間、何でも打ち明けられる仲間がいないと社会復帰できなかった。

しかし、社会復帰して気づいたのは「普通の人になっちゃった」こと。過去の栄光は瓦解していた。そして、また、クスリに走ってしまう。その時は「自分はかわいそうだからクスリ使っていいんだ」という言い訳をして。結果、ヨレヨレになってダルクに帰ってきた。

いま、常に自分に言い聞かせている。「新しい人生を始めなくてはいけない」と。これは具体化するにはもう少し時間が必要だと思う。

■20年間の薬物依存は親のせい

▼乱用者D(男性)

若い頃は親に寄生して生きていた。高校の頃にクスリと出会った。仕事をしていた30代でも、親の支配は続いていた。自分が仕事に出ているとき、母親が部屋を掃除に来たり、何かと世話を焼く。煩わしかったが、困れば親に泣きつけばいいという思いもあった。

20年位クスリを続けて、依存症になったのは親のせいだと思った。しつけは厳しいし、言いたいこと言わせてくれない。そうした気持ちがある一方で、親に死なれたら困る――支配されたくないけど、依存できると思っていた。

「母子カプセル」という言葉を知った時、納得した。支配と依存の関係の継続。親子の関係を超えて、その外にある世界が見えなくなっていた自分に気づいた。

ダルクの仲間と共にプログラムに参加して、仲間と共に社会性を身に付ける訓練をしている。これは、自立ための一歩。日を追うごとに、自分の人生を生きている感じがしてきた。自分の人生を、自分の意思で生きるために、親との距離を考える。そして、依存しないこと。いま、実践中である。

■自助グループを運営する薬物乱用経験者

先述した薬物乱用者のリアルな声は、北九州DARC=ダルクという「薬物依存から立ち直るための自助グループ」において、薬物離脱プログラムに参加している人たちから聴取した。

ダルクとは、ドラッグ(DRUG=薬物)のD、アディクション(ADDICTION=嗜癖、病的依存)のA、リハビリテーション(RIHABILITATION=回復)のR、センター(CENTER=施設、建物)のCを組み合わせた通称である。ここでは、さまざまな薬物依存を対象に、適切なプログラムと医療サポートにより、依存傾向からの回復を目指す活動を行っている。

このDURCを運営する堀井宏和代表も、かつては薬物乱用者であった。現在の精悍な風貌からは、そうした過去は伺い知ることができない。筆者は、堀井氏の過去――つまり、なぜ薬物の乱用に至ったのかという入り口、そして、薬物乱用から回復したプロセスを詳しく知りたいと考え、失礼を承知しつつ直球で尋ねてみた。

■「生きるために覚醒剤を使っていた」

「私は関東の生まれです。学生時代は、家庭内でストレスをため、対人関係も苦手だったから、居場所というものがどこにも無かった。ですから、16歳でシンナーに走り、21歳の頃にイラン人と出会ってからは、「冷やし仲間(覚醒剤乱用者の仲間)」に入り、覚醒剤を使用するようになりました。

薬物乱用の理由は、先のことが見えない絶望感を日々感じていたからだと思います。だから、クスリは逃避のための道具なんです。「シラフで居たくない」という現実逃避的な理由ですね。

不安、罪悪感、自己嫌悪――誰にも分かってもらえない、相談できないという苦しみに加え、先のことをいくら考えてもポジティブになれない。投げやりな気持ちになりますから、大学も中退し、バイトも続かない。何をやっても負の連鎖が生じるわけです。

だから、自殺も企図しましたし、精神科病院には6回も入院しています(カギを掛けられて出られない保護房には、2回入りました)。自殺は、家族が気づいたからこそ未遂に終わりましたが、そうでなかったら死んでいました。

人間はそう簡単には死ねません。私の場合には、「生きるために」覚醒剤を使っていました。

ダルクとの出会いは、24歳の頃です。親の紹介で東京ダルクにつながりました。最初は、プログラムに参加しても、「自分には関係ない」と思いナナメに見ていました。しかし、覚醒剤は自分では止められません。ですから意を決し、翌年、故郷を離れて、沖縄ダルクに入寮しました」

■内面の話ができるダルクのプログラム

「ダルクでは、プログラム(ピアメンタリング・プログラム)があります。これは、その日のテーマ――例えば、「自分が傷つけた人について語る」など決めて毎日行います。これを重ねるうちに、私は気づきを得ました。

非行少年が非行に走る理由と同じように、薬物依存症の方は、薬物を用いることでさまざまなつらい事や生い立ちのキズをごまかしているのではないでしょうか。私も、家庭に不満を持っていましたし、自分の周りに居場所が無いということが、薬物に走る一因でした。

しかし、どんなに非行行為をしても20代になると飽きてくるものです。そうすると、何か胸の内にある、自分を非行や薬物に駆り立てていたモヤモヤに気づくことになるのです。

プログラムは、簡単にいうと、このモヤモヤを吐き出し、自分の内側を浄化するための『場』なのです。私は、モヤモヤを吐き出していくうちに、次第に『自分は物事を深刻に考え過ぎて生きているのがキツイのでは』と気づかされました」

■話すことで孤立が解消される

「これは、お互いの話を聞いている内に徐々に分かってきます。自分で自問自答するだけでは気づけなかったことなのです。なぜなら、人に言ったこともなく、感じたこともない、いわゆる内面のモヤモヤしていたものを他の人が代弁してくれるからです。そこで、共感が生まれるのです。

だから、自分も徐々に内面の話ができるようになります。このプログラムでは、言いっぱなし、聞きっぱなしですし、誰からも笑われず、軽蔑もされません。同じ悩みを抱えている仲間と、生きづらさの原因を共有できる場となります。そして、そうした経験は、安心感につながります。

専門的に言うと、プログラムは、類似した経験の共有や、お互いの現状の認識を通して、「自分が必要とされている」という高い自己評価を養うことを助けます。仲間から薬物乱用の解決策を学ぶ機会を得ると同時に、その経験をリアルに共有できるのです。

何より「その気持ち、分かるわ」という感じですか。一般社会ではオカシイと言われてきたことが、「何だ、おれだけではなかったんだ」と気づきます。この気づきが、社会的な孤立の解消になるのだと思います」

■同じ苦しみを味わった当事者だから説得力がある

筆者は、覚醒剤等の薬物の乱用レベルに達した人は再犯率が高く、なかなか更生できないと考えている。薬物中毒者に尋ねると、薬物のことを想起する度に「脳からヨダレが出る感じがする」という表現を聞いたことがある。実際、更生保護の世界で就労支援をしていても、薬物の再犯者はとても多い。

彼らの過去が記された「調査票(生い立ちや犯罪歴など)」を読むと、例外なく歪な家庭環境や交友関係を見いだすことになる。だから、薬物乱用者の人たちは、堀井氏が指摘するように、「つらい事や、生い立ちのキズをごまかす」と同時に、「生きるために」覚醒剤を使っているのかもしれない。

極論かもしれないが、筆者は、死を試みるくらいなら、薬物乱用のほうがマシであると考えている。なぜなら、死は挽回が不可能だが、薬物中毒は挽回できるからだ。ダルクには、生きづらさを感じ、「同じ悩みを抱える」仲間が支え合い「生き直し」を模索する場である。

コロナ禍で大切な何かを失い、誤って薬物に手を出してしまった人、生きづらさから薬物乱用に至った身内に悩む人は、近隣のダルクの門をたたいてみてほしい。そこには、同じ苦しみを経験し、生きなおしを支え合う仲間がいる。そして何より、そこには、あなたの苦しみや悩み、生きづらさに共感し、受け入れてくれる社会的居場所がある。

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廣末 登(ひろすえ・のぼる)
龍谷大学嘱託研究員、久留米大学非常勤講師(社会病理学)
博士(学術)。1970年福岡市生まれ。北九州市立大学社会システム研究科博士後期課程修了。専門は犯罪社会学。青少年の健全な社会化をサポートする家族社会や地域社会の整備が中心テーマ。現在、大学非常勤講師、日本キャリア開発協会のキャリアカウンセラーなどを務める傍ら、「人々の経験を書き残す者」として執筆活動を続けている。著書に『若者はなぜヤクザになったのか』(ハーベスト社)、『ヤクザになる理由』(新潮新書)、『組長の娘 ヤクザの家に生まれて』(新潮文庫)『ヤクザと介護――暴力団離脱者たちの研究』(角川新書)など。
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(龍谷大学嘱託研究員、久留米大学非常勤講師(社会病理学) 廣末 登)