江戸時代に興味を持っている方は多いと思いますが、その天下泰平の時代を支えた徳川将軍家の将軍たちの性生活はもっと気になるのではないでしょうか?

前回に引き続き、性生活ランキング(奥方数で順位付けしています)のつづき、

いよいよ1位〜5位を発表したいと思います。

これまでの記事はこちら

一番の強者はだれだ!?徳川幕府 全15将軍の性生活ランキング その2

※なお、今回ご紹介する内容は、江戸幕府公式史書である『徳川実紀』をもとにしておりますが、年齢や人数などには若干の誤差がある場合もありますので、あらかじめご了承ください。また、今後新たな史料の発見などにより、情報が更新される可能性もあります。

奥方とは?

今回は将軍の奥方たちをベースにランキング付けをしていますが、奥方とは、正室(高貴な身分にある人物(この記事では将軍)の正式な妻)、継室(正室が亡くなったり、正室と離婚したあとにもらった妻。けいしつ、と読みます)、側室(正室以外に公的に認められた妻)、を足したもので数えています。

第5位:徳川吉宗(とくがわ・よしむね)

「暴れん坊将軍」として徳川将軍家のなかでも人気がある8代将軍の徳川吉宗。享保の改革を行ったことでも有名です。彼の奥方数は7人(正室1人、継室0人、側室6人)でした。色々なタイプの女性を好んだとのことで、肉食系男子だったことがわかっています。

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第3位:徳川家光(とくがわ・いえみつ)

武家諸法度や参勤交代の制度を整え、幕藩体制を確立した3代将軍、徳川家光。彼の奥方数は9人でした(正室1人、継室0人、側室8人)。ちなみに、30歳ごろまで子どもがいなかった家光を心配し、乳母の春日局が整えた制度が、「大奥」の始まりだと言われています。

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同率3位:徳川家慶(とくがわ・いえよし)

12代将軍として、天保の改革や蛮社の獄などを行い、黒船来航の直後に亡くなった徳川家慶。彼も奥方を9人(正室1人、継室0人、側室8人)持っていました。しかし、子どもの数は27人!

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第2位:徳川家斉(とくがわ・いえなり)

やや日本史のなかでは目立たない存在に思える、11代将軍徳川家斉が第2位です!奥方数は17人(正室1人、継室0人、側室16人)。しかも、史料によっては側室がもっとたくさんいたという説もあります。また、子どもが50人以上ととても多かったことでも有名です。

第1位:徳川家康(とくがわ・いえやす)

関ケ原の戦いを制し、江戸幕府を開いた人物、初代将軍の徳川家康が第1位にランクイン!奥方数、なんと22人(正室1人、継室1人、側室20人)。史料によっては、側室が20人以上いたとも言われています。強力な江戸幕府を開いただけあり、女性関係も派手だったのですね。

いかがでしたか?

それぞれが行った政策が様々なように、彼らの性生活も人それぞれ。その面白さを少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです!