商品やサービスにはたくさんの機能を詰め込めばいいと考えがちですが、逆のことを試したほうがいいケースも多々あります(写真:kai/PIXTA)

ロジカルに考えれば、安価な商品のほうが高価なものよりも売れ、多機能な商品のほうが、機能が少ないものよりも売れるのが当然だろう。

しかし、現実のビジネスの世界においては、これらの常識を否定するような成功事例にあふれている。私たちは、自分たちは日々合理的に物事を判断していると考えたがり、無意識に影響されているなどとは考えもしない。だが、人間の心理や行動はロジカルには進まない進化がもたらしたものであり、ロジカルな思考によっては理解できないことが多いのである。 

今回、世界的な広告会社オグルヴィUKの副会長が、人々の心理に働きかけ、行動を変えるさまざまな「魔法」について書いた『欲望の錬金術』から、一部を抜粋・編集してお届けする。

市場調査で反感を持たれたウォークマン

経済学のロジックは、より多いことがよりよいと提案する。心理(サイコ)ロジックは、より少ないことがより多いことになると信じている場合がしばしばである。


盛田昭夫は、日本で17世紀の半ばから酒の製造と販売を、そして19世紀の半ばごろから醤油や味噌の製造と販売も行ってきた家の出身だった。盛田はビジネスパートナーの井深大とともに、1946年にソニーを(東京通信工業株式会社という名称で)創業した。

同社が最初に焦点を当てた製品はテープレコーダーで、その後は日本初のトランジスタのポケットラジオを発売した。だが、盛田が天才ぶりを遺憾なく発揮したのはおそらくソニー・ウォークマンを製造したことだろう。これはいわばiPodの祖先である。

1975年以降に生まれた人にとって、人々がヘッドフォンをつけて歩き回ったり、電車の中で座ったりしている光景は少しも奇妙ではないだろう。だが、1970年代の後半にはこんな行動はとてもおかしなものだった。

1980年代後半の、人前で利用することがばかげていると思われかねない、初期の携帯電話を使っている光景に匹敵するものだっただろう。市場調査では、ウォークマンに関心を持つ人は非常に少なく、かなり反感を持たれていると判明した。

「頭の中で音楽を鳴らしながら歩き回りたいと思うはずがない」というのが典型的な反応だったが、盛田はそれを無視した。

ウォークマンが生まれたのは70歳の井深がきっかけだった。東京とアメリカを結ぶ飛行機の中でオペラをまるまる聴けるような小型の装置が欲しいと言ったのだ。

開発したエンジニアたちはとりわけ誇らしさを感じていた。盛田から作れと簡潔に指示されたもの──小型のステレオカセットプレーヤーの製造に成功したばかりか、録音機能までもどうにか付けられたからだ。

その余分な機能を取り外せと盛田に命じられたとき、エンジニアたちは意気消沈しただろう。大量生産の経済を考えると、録音機能が付いても、製品の最終価格に数ポンドほど上乗せするだけにすぎない。だったら、この意義ある機能を付け足さない理由などあるだろうか?

「合理的な」人なら、エンジニアの助言に同意したらどうかと盛田にアドバイスしただろう。しかし、複数の人の話によれば、盛田は録音ボタンを禁じたという。

これはあらゆる一般的な経済ロジックに逆らっているが、心理(サイコ)ロジックには従っている。盛田は録音機能があると、新しい装置の目的は何なのかと人々が混乱すると思ったのだ。これは口述録音のための装置だろうか? レコードをカセットに録音すべきなのか? それとも、生の音楽を録音すべきなのだろうか?

マクドナルドが店からナイフやフォークを排除したことで、ハンバーガーをどう食べるべきかを明らかにしたように、ソニーはウォークマンから録音機能を排除したことにより、機能の幅は狭いが人間の行動を大いに変える可能性を持った製品を生み出したのだ。可能な利用方法を減らして1つに絞ったことによって、この装置が何を目指しているかを明確にしたのである。

「アフォーダンス」の明確性

これを技術的なデザイン用語では「アフォーダンス」と呼ぶ。もっと知られてもいい言葉である。ドナルド・ノーマンがこう述べているように。

「“アフォーダンス”という言葉は、ものの認識された性質と実際の性質を指している。主として、あるものがどのように使われる可能性があるかを決定する基本的な性質のことだ。[……]アフォーダンスはものがどのように使われるかに強力な手がかりを与えている。板は押すためのものだ。ノブは回すためのもの。スロットは何かをその中に挿入するためのもの。ボールは投げたり弾ませたりするためのものだ。アフォーダンスがうまく働くとき、一目見ただけでそのものの使用法がわかる。写真もラベルもいらないし、指示書きも不要である」

この概念がわかれば、盛田が正しかった理由を理解できるだろう。何かに機能を付け加えることはいつでも可能だが、それによって新しいものが多用途になるとはいえ、そのアフォーダンスの明確性は減る。使用する楽しさが少なくなり、購入を正当化することがより難しくなるだろう。

世界にはこの手の目に見えない知性が満ちている。伝統的な建築物について私がいつも用いる弁護の言葉は、それが利用しやすいというものだ。

数年前、私はロンドンのサウスバンクにある、1960年代のひどく殺伐とした建物で開かれた会議で発表予定の人々と一緒だった。われわれはみなその建物のまわりをうろうろし、どこから入ったらいいのかわからずにガラスのドアをあちこち試していた。あなたが大英博物館についてどう言おうとかまわないが、150年後にその古典的な屋根つき玄関に近づいてこんなことを思う人はいないだろう。「うーん、ドアはどこにあるんだろう?」。

ちょっと想像してほしい。取っ手と「押し板(push plate)」が付いていて、押し板の上には「PULSH」〔訳注 push(押す)とpull(引く)の合成語〕と書かれたドアを。

録音機能の付いたウォークマンをソニーが製造していたら、このドアと同じことになっていただろう。「PULSH」──つまり、機能が少しも明確ではないものだ。

ウォークマンは明確な心理的発見、あるいは経験則──「多芸は無芸の法則」──というものも応用している。すなわち、1つの働きしかないものは、多くのことができると主張するものよりも優れていると、人間は自然に推測するのである。

同様に、「ソファベッド」という言葉を聞いたときは本能的に、ソファほど優れていないが、ベッドとしてもあまり快適でない家具が思い浮かぶ。スポークというものを見たことがある人もいるだろう。スプーンとしては不出来で、フォークとして使うにはあまり役に立たない道具だ。

グーグルは「取り除くこと」で成功した

科学的な傾向の持ち主は──かなりと言っていいほど──ウォークマンから録音機能を取り除いたことがよいアイデアだった証拠はないと主張するだろう。多機能モデルが発売されて大失敗したという並行世界は存在しないのだ。

さらに、ウォークマンの後のバージョンには録音機能が付け加えられたことも事実である。もっとも、これはウォークマンという装置の機能が広く認められて理解されたあとに起こったことだが。

しかし、ここで私が証拠として当てにできるのは、ある出来事が同じパターンで繰り返して現れることである──あるものに何かを付け加えるよりも、何かを取り除いたことによって重要なイノベーションが生まれる話は驚くほど多い。

あけすけに言えば、グーグルは検索ページに散らばっている無関係なたわごとがないヤフーである。そしてヤフーは当時、作りつけのインターネットへのアクセス機能がないAOLだった。どちらのケースも、競争相手が提供しているものに何かを付け加えるよりは、何かを取り除くことによって、優勢になることに成功したものだ。

同様にツイッターの存在理由は、投稿の文字数を理不尽に制限することから生まれた。ウーバーは最初、事前に車を予約できなかった。『ザ・ウィーク』誌のように大成功している刊行物は世界の新聞を効果的に取り上げ、多くの無関係な中身を取り除くことによって読みやすくしている。

マクドナルドは伝統的なアメリカの食堂のレパートリーから99%の商品を取り除いてしまった。スターバックスは創業した最初の10年間は食べ物をほとんど重視せず、コーヒーだけに専念していた。格安航空会社は機内では必要ない快適さが何なのかに基づいて競争した。

使い勝手のよさ──そして購入しやすさ──を提供したいなら、多くの機能があると主張しているスイス・アーミーナイフのようなものを勧めないほうがいい場合が多い。携帯電話という注目すべき例外はあるが、たいていの場合、人々は1つの目的にしか使えないものを買うほうがよいことに気づく。

しかし、エンジニアの考え方は──ソニーの場合のように──これに逆行している。機能を取り除くというアイデアは実に非論理的に思えるし、どんなビジネスや政府でも、従来型のロジックを無視せよと主張するのは非常に困難である。あなたが取締役会長か最高経営責任者か、責任のある大臣でもないかぎり。

意思決定に影響する解雇や非難への恐怖

人間は本能的に可能な範囲で最善の決定をしたがるものだと思われるかもしれないが、ビジネスの意思決定を動かすもっと強力な力が存在している。責められたくないとか、解雇されたくないという思いだ。

非難されないようにするための最高の保険は、あらゆる決定の場面で従来型のロジックを用いることである。「IBMを買ったことでクビになった者はいない」はIBMの公式なスローガンではなかった──だが、ITシステムの企業のバイヤーたちの間で広く認められるようになると、その言葉は何人もの評論家が「存在する中でもっとも価値があるマーケティングのスローガンだ」と呼ぶものとなった。

企業間取引で最強のマーケティング方法は、自社製品が優秀だと説明することではない。手に入る代替品で間に合わせた人に恐怖心を植えつけたり、不確かさや疑念を覚えさせたりすることだ(恐怖[fear]と不確かさ[uncertainty]と疑念[doubt]は今やFUDと略すのが普通である)。

いい決断をしたいという願いと、解雇や非難をされたくないという欲求は一見すると、似たような動機だと思われるかもしれないが、実を言えば、決して同じものではなく、ときにはまったく異なっているのである。

(翻訳:金井真弓)