■妹と母を殺めた男性の、70年越しの告白

「妹と母を殺(あや)めたんです」。70年間、誰にも語ることなく心にしまった記憶を、村上敏明さん(86歳)は優しく、丁寧に語ってくれた。

村上敏明さん。京都市の法然寺にて(2019年、筆者撮影)。

1938年、村上さんが4歳のころ「より良い生活を」と家族で満州に移住した。妹も生まれ、満州に咲いていた「芙蓉の花のように美しく育つように」芙美子と名付けられた。可愛い妹を村上さんはよくおんぶして遊んだという。

45年8月9日。旧ソ連が日ソ中立条約を破り、満州への侵攻を開始。戦火が日常にやってきた。46年3月に入りソ連軍が満州から撤退を始めると、中国の国民党軍と共産党軍の内戦が本格化。今度はその戦火に巻き込まれた。そして、満州引き揚げが決まった。

引き揚げ直前の7月、夏のことだった。父がシベリアに抑留され不在だった家に突然、日本人会の男性が5、6人訪れた。男性たちに囲まれ母が話していた様子を今でも写真のように覚えているという。村上さんは母に呼ばれ、男性たちに囲まれながら、真ん中に座り、妹を抱く母の隣で、手渡された液体を自身の手でスプーンを持って妹の口に運んだという。

「芙美子の瞳が『お兄ちゃん、何すんの?』と言っているかのように大きく見開いて、そのまま死んでいきました」。そんな妹の瞳を村上さんは忘れることができない。

「引き揚げの窓口になっていた日本人会が、病弱な子どもたちをこのようにすることはどのように決めたのか、当時の記録を探しても見つからなかったですが、他にもケースがあったと思います」

■村上さんの母は娘を失ったショックからか衰弱

村上さんの母は娘を失ったショックからか衰弱し、立つことすらままならなくなった。

数日間、列車に揺られ、ようやく引き揚げをする日本人が集められた葫蘆(ころ)島へたどり着くと、母親は病院に収容された。数日後、医者からいつもと違う薬を手渡され、何も考えずに母の口に流し込むと、すぐに泡を吹き亡くなった。最後の夜は母の亡骸の横で眠った。

「日本が二度と過ちを繰り返さないことへの思いを聞いてほしい」。そんな村上さんについての10分間のドキュメンタリーが2020年のTokyo Docs(※)で優秀作品賞を受賞した。「戦争の足音を止めるために努力を続けます」。村上さんの声が多くの人に届いてほしい。

※ドキュメンタリーの国際共同製作を含む海外展開を支援するための国際イベント。伊藤詩織氏が監督した『I Killed My Flowers』はヤフージャパンクリエイターズプログラムのHPで無料視聴可能。

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伊藤 詩織(いとう・しおり)
ジャーナリスト
1989年生まれ。フリーランスとして、エコノミスト、アルジャジーラ、ロイターなど、主に海外メディアで映像ニュースやドキュメンタリーを発信し、国際的な賞を複数受賞。著者『BlackBox』(文藝春秋)が第7回自由報道協会賞大賞を受賞した。
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(ジャーナリスト 伊藤 詩織)