2018年、ハリルホジッチ是か非か問題が浮上したときも、同じ疑問を抱いたものだ。テレビ局がコメントを求めるべきは、普段から関わりのある解説者、評論家ではないのか。

 現在、解説者、評論家の立場に就いているにもかかわらず、元選手はなぜ雄弁に語ろうとしないのか。そこに日本スポーツ界の闇を見る気がする。

 解説者、評論家を名乗りながらその大抵は、純粋なジャーナリストではない。何かとしがらみが多い芸能系の事務所に所属している場合が多いので、個人としての中立性を保ちにくい環境にいる。東京五輪は中止した方がいいとか、森元首相はお辞めになった方がいいとか、立ち位置的に、目立った言動をしにくいのだ。

 サッカーでさえこの程度だ。他の競技は推して知るべし。日本のスポーツ界を改革しようとする有能な人材が現れない理由を見る気がする。日本のスポーツ界の改革者と言えば、川淵三郎さんを想起するが、それに続く名前は出てこない。鈴木大地(前スポーツ庁長官)、室伏広治(現スポーツ庁長官)、山下泰裕(JOC会長)らは、現役時代の方が何倍も魅力的だった人たちになる。

 東京五輪を、そうした日本の風土病とも言うべき体質から脱却する機会にして欲しかったと、前々からと考えていたが、それもどうやら無い物ねだりに終わりそうだ。東京五輪が幻の大会になるのか定かではないが、この先も、日本のスポーツ界の体質が大きく改善されることはないだろう。残念ながら、「お前、男だろ!」とか、「お前、キン○マ、付いてるのか」とか、言い出す指導者は、まだまだ出現しそうだ。いまのままでは、国際感覚や世界の常識は日本のスポーツ界に浸透していかないと見る。