高給かつ安定した局アナのキャリアを捨てて、転身したのはなぜなのでしょうか(写真:筆者提供)

大阪の朝日放送にアナウンサーとして入社し、プロ野球や女子プロゴルフなどの実況を担当するなど順風満帆なキャリアを歩んでいた平岩康佑氏。ところが2018年に同社を辞め、日本初のeスポーツ(ゲーム)実況アナウンサーに転身した。ゲームが好きだったとはいえ、高給かつ安定した「局アナ」のキャリアを捨て、なぜ未知の世界へ飛び込む決断ができたのか。平岩氏の新著『人生の公式ルートにとらわれない生き方 ゲームが好きすぎて局アナを辞めた僕の裏技』を一部抜粋・再構成し、退社を決断した経緯や生計を立てるノウハウをお届けします。

収入を失うのが怖いなら発想を切り替える

現在の収入に不満があり、いまの仕事と同業・同職種、もしくは関連する仕事の中から「少しでも待遇のいい会社を目指す」という転職ならともかく、「これまでとはまったく異なる仕事に就きたい」という業種・職種変えの転職であれば、入社しても新人からのスタートになります。

現職ほどの収入はすぐには望めないでしょう。まして起業ともなれば、事業が軌道に乗るまでは無収入になるかもしれません。そんなこともあって「1年間収入がなくても暮らせるだけのお金を貯めてから、転職しましょう」などとアドバイスするファイナンシャルプランナーもいます。

しかし、本当にしっかり貯蓄してからでないと転職はできないのでしょうか?あなたがもし、今の収入を失うのが怖くて退社をためらっているなら、このように考えてみてはどうでしょう。

「今の収入を捨てるのは惜しいと思える程度には、高給を得ているということ。つまり自分はすでに実力があると認められているのだ。ほかで通用しないわけがない」

そう発想を切り替えてみるのです。もちろん養わなくてはいけない家族がいたり、高額の住宅ローンを抱えていたりすれば事情は変わってきますが、仮に僕が若い単身者から「どれくらい貯金できたら、転職を現実的に考えてもいいですか?」などと尋ねられたら、間違いなく「今、持っているだけでかまわない」と答えます。

こんなことをいうと「平岩は退職時、さぞかし貯金があったのだろう」と思われるかもしれませんが、まったく逆です。会社を設立するのに必要だったお金を払ったら、手元にはほとんど残っていませんでした。けれど、なんとかやっていけるので一歩踏み出して良かったと思っています。

会社設立にあたっていろいろと事業計画を練りましたが、最初から達成が見込めそうな売り上げは、正直、100万円ほどしかありませんでした。借金こそしなくて済んだものの、収入はアナウンサー時代の10分の1、いや、諸経費も考えるとそれ以下に激減することが目に見えていました。ですから、とことん固定費をかけないスタートを目指しました。

祖母の家の余った部屋を住居兼オフィスに

オフィスを構えたのは東京都大田区の一軒家。「なんだ、お金かけてるじゃないか」と感じるかもしれませんが、実はその家、もともと祖母の家なんです。部屋が余っていたので、そこを住居兼オフィスにしました。

起業のスタートは歳が50以上も離れた祖母との同居から始まりましたが、これなら家賃も駐車場代もタダで済みます。起業といっても社員は僕ひとり。僕が仕事を受けて、現場に行って、仕事をして帰ってくるだけなので、人件費もかかりません。同じ起業でも、何かモノをつくって売る仕事だったらある程度の元手がなければ始まりませんが、僕の場合は、極端にいえば身ひとつでスタートできる業態だったことも幸いでした。

また、これは後になって実感したことですが、「おばあちゃんの家で会社を始めたんですよ」なんて話をすると、思いのほか好印象なのです。余分なところにお金をかけない、家族思いで堅実な人柄と思われたのかもしれません。

それにしても年収1000万円だった当時の僕は、いったい何にお金を使っていたのでしょう? 思い出せる使い道といえば、月々の家賃と飲食費、ゲーム代くらい。好きなクルマだけは、入社5年目にして思い切って高級な外車を買いましたが、それ以外は高級腕時計もブランド物のスーツも、ほとんど買った記憶がありません。

よく「年収1000万円の社員と650万円の社員では、手取り額はそんなに変わらない」といいます。あるラインを超えると所得税がグンと上がるからですが、もちろん当時の僕はそんなことを意識していませんでした。先々のことも考えず、あるだけ使っていたのでしょう。今思えば自分の管理能力の低さに愕然とします(笑)。

それはともかく、起業の準備を進めていたらなんだかんだとお金がかかり、わずかな蓄えも消えてなくなりました。おまけに当面はほぼ無収入になることが確定している。でも悲観的な気持ちはありませんでした。

今の時代、会社から1000万円の給料をもらっていても、この先もずっとそれが続くとは限りません。会社がなくなるかもしれないし、自分のスキルが通用しなくなり、放り出されることだってあり得ます。

だったら目先の収入にこだわらず、今しかできないことにチャレンジするほうが、結局は得になるのではないでしょうか。一時的に収入が激減しても、数年後に数千万円、1億円の収入が得られるかもしれないと考えれば、今の収入に縛られてやりたいことを諦めるほうが損だと思ったのです。

だから、やりたいことがあるなら絶対にチャレンジしたほうがいい。少なくとも若いうちは、そのほうが後悔は少ないと思います。

スピードこそ最大の武器

転職にしろ、起業にしろ、自分にマッチする仕事(会社)が見つかったら、一秒でも早く現在の仕事を辞めることをおすすめします。

「とりあえず区切りのいいところまで」といった感覚で、だらだらと在籍期間を引っ張っても、ほとんどメリットはありません。それよりも新しい仕事に向けて、少しでも早く動き始めるほうが有意義です。

「新規プロジェクトの立ち上げメンバーとして来てほしい」と言われるような場合はなおさらです。もし同じくらいの能力の人が二人いたとして、どちらを採用するか迷ったら、「少し待ってください」という人より、「すぐ働けます。なんなら明日からでも」という人のほうが断然有利に決まっています。

タイミングの差で誰かにポジションを奪われる可能性があることを考えると、こと転職に関しては、「早く辞められる」というそれ自体がバリューになるケースは少なくありません。

退社時期は、僕もかなり悩みました。でも、日本のeスポーツ界の動きががぜん慌ただしくなっている中で、一日も早く動き出さなければ後れを取る、という焦りがあった。ここで退社を延ばしたら、せっかく起業してもうまくいかない可能性があります。

「eスポーツの世界に参入するなら、1日でも早く動いたほうがうまくいくと思うんです」と2018年3月の下旬に丁寧に説明を重ねたところ、最終的には上司も納得。晴れて6月15日付けでの退社が決まりました。

理解がある上司だったので何も言わずに送り出してくれましたが、僕が抜けた後始末でそうとう迷惑をかけたことは間違いありません。僕も人を動かす立場になり、マネジメントの大変さを痛感するようになりました。

それを思うと、当時の上司には今も感謝しかありません。会社を辞めたいと表明すると、たいていの人はいったん慰留されます。その言葉に気持ちがぐらつき、退職を考え直す人も少なくないと思います。

しかし、そもそも何のために辞めるのかを冷静に考えてみてください。自分は本当にやりたいことに挑戦して、成功するために辞めるのであって、会社のために辞めるわけでありませんよね。成功のために一日でも早く動いたほうがいいのであれば、そこで譲歩する必要はありません。 転職や起業では往々にしてタイミングがものをいう時もあります。

わがままを貫くことも時には必要

「会社のため」に残ることは「自分のため」にならないことが多いのです。 自分の成功といういちばん大切なことだけを考えて、わがままを貫くことも時には必要ではないでしょうか。

そして、だからこそ円満退社を目指すべきだと言えます。きちんと自分の気持ちを伝えるとか、引き継ぎをちゃんとするとか、できる限りのことをして恩義を返す姿勢を示せば、ほとんどの人は(渋々であっても)こちらの意思を尊重してくれて、快く送り出してくれるのではないでしょうか。

それでもやはり、誰にもまったく迷惑をかけずに辞めることなどほとんど不可能だ、ということは肝に銘じておいたほうがいいでしょう。どんなに円満退社したいと思っていても、場合によってはいま抱えているプロジェクトを途中で投げ出す形になったり、後輩に土下座する羽目になったりするかもしれません。

けれど転職や起業においては、誰かに迷惑をかけてでもわがままを貫き、自分の信じる道を突き進まなければならない時もある。そう覚悟を決めて、次の場で成功し、元の職場に何らかの形で恩返しするつもりで突き進めば、いい結果になると思います。

僕が1日、いや1秒でも早く会社を辞めようと思った理由はもう1つあります。それは、そのとき日本にはまだ 「eスポーツの実況キャスター」がいなかったから。 eスポーツという言葉さえ、ゲーム業界の人やゲーム好きの若い人を除き、一般にはほとんど知られていませんでした。

しかし、この時eスポーツは、ゲーム業界だけでなく、経済界からも熱い視線を集めつつありました。僕が会社を辞めた2018年といえば、世界的な盛り上がりからは少し遅れたものの、日本でもeスポーツを巡る動きが一気に表面化した年でした。

この年のゴールドマン・サックスのレポートによれば、世界におけるeスポーツの月間視聴者数は1億6700万人。2022年には2憶7600万人まで増加するという予測でした。

世界のオンライン人口が36億5000万人であることを考えると、まだまだ増加の余地があります。まったく新しい形の視聴プラットフォームであり、莫大な市場が生まれることは間違いありませんでした。

日本でもこの年から、eスポーツのプロライセンスが発行されるようになりました。プロリーグが発足し、アジア版オリンピックといえるアジア競技大会で『ウイニングイレブン2018』など複数のゲームタイトルがデモンストレーション競技に採用されるなど、次々と大きなニュースが飛び込んできていた。新しい成長産業としての注目度が一気に高まっていました。

今では「eスポーツ元年」と呼ばれるほど、2018年は大きな動きが相次いだ年だったのです。僕には、この流れに乗るならばなんとしても「1番手」にならなければダメだ、という確信がありました。

「急がないと誰かに出し抜かれてしまう」

どんな業界であれ、今まで世の中になかった新しいサービスや商品を提供するにあたっては、一番手でなければ意味をなさないことがとても多いと思います。とくに起業の場合、最初であること自体が大きなインパクトになります。


僕が目指したeスポーツの実況アナウンサーという仕事も、日本での第1号になれば、間違いなくその時点で「日本の第一人者」と認識してもらえます。それを考えると、このタイミングでのスピードは絶対に必要です。

「急がないと誰かに出し抜かれてしまう。早く!早くしなければ!」と気持ちが前のめりになったのもおわかりいただけるでしょう。

僕が局アナからゲームの世界に転身するというニュースが報道されたのは、退社日翌日の2018年6月16日。幸いにも、Yahoo!ニュースの「トピックス」欄に掲載されるほど注目されました。

ほかに大きな事件がなかったのも幸運でしたが、「最近よく聞くeスポーツってなんだ?」という興味に加え、「局アナからゲーム業界への転身第1号だって」「なんだか世界的にもゲームが盛り上がっているらしいぞ」という驚きが相乗効果となって、話題になったのでしょう。これが2番手だったら、おそらく大したニュースにはならなかったと思います。