川崎の鬼木達監督は、ホームにリーグ2位のG大阪を迎え自力で優勝を決められる一戦に、紛れもなく最適のスタメンを送り出したはずだ。主に後半から試合を決める役割を託されて来た三笘薫を最初からピッチに立たせ、鹿島戦で足首を故障し2試合欠場していた家長昭博には「次は出て欲しい」と訴えた。もしこれがカップファイナルなら、出場停止の谷口彰悟だけを入れ替えて臨んだに違いない。

 5−0というスコアは、まさにこの一戦に集中した川崎の底力を浮き彫りにした。しかしそれでも試合後に鬼木監督は言った。

「人の組み合わせにより、いろんなパワーの出し方がある。これがベストだというものは、まだ僕の中には全然ないですね」

 定石と言えばそれまでだが、おそらく本音をしまい込んだ指揮官の言葉にこそ、マネージメントの要諦がある。チームは生き物なので、新しい栄養補給が止まった瞬間に衰えていく。つまりベストメンバーが固定されれば、それをピークに下降線が始まる危険性が高い。Jリーグの短い歴史の中でも、ベストへの過信が長引き停滞を招いた例がいくつか存在する。
 
 コロナ禍による過密日程の影響で総体的に故障離脱が目立つシーズンだったが、実は川崎の被害は他チームと比較してもむしろ甚大だった。何より開幕時に大黒柱の中村憲剛が不在で、絶好調でシーズンインした長谷川竜也が間もなく離脱。中村憲の役割を引き継ぐはずの大島僚太もコンスタントにプレーが出来ず、後半戦に入ると小林悠までが故障。これだけ次々に重要な役者が消えれば、舞台なら延期や中止も検討されそうな事態だった。

 圧倒的なポゼッションスタイルで連覇を築いた川崎も、昨年までは「憲剛のチーム」という色から脱却できていなかった。あるライバルチームの指揮官も「川崎だって憲剛がいなくなれば、あのサッカーは出来なくなる」と見ていた。だが今年のシーズンのフタが開くと、憲剛不在でも川崎は突っ走った。逆にひそかに引退を決めていた中村が「簡単には戻れない」と危機感を覚える充実ぶりを示した。

 実際、今年の川崎では、抜けてしまうと致命傷になる存在はいなくなった。最も影響力が大きいのはジェジエウだろうが、それでも山村和也や車屋紳太郎で補填は効く。反面基盤となる最終ラインは必要最小限の変更に止め、インサイドハーフとワイドアタッカーはコンディションを見極め回転させていく。こうして安定と日替わりのヒーロー誕生というサイクルが確立されていった。奇しくも中村が引退していく時に、川崎は中村憲剛不在でもスタイル継承の手応えを得たし、だからこそ中村も心置きなくユニホームを脱ぐ決断を下せたという見方もできる。
 
 この夜、川崎に敗れたG大阪の10番倉田秋は、王者との違いをこう語った。

「個々のレベル、チームの完成度……、挙げればキリがない。さらにいつも僕らが表現している“闘う”部分も出せなかった」

 川崎の記録破りの強さは、当然ながら一朝一夕で出来上がったわけではない。遡れば風間八宏監督招聘を発端に、アカデミーまで新たな技術意識を浸透させ、何より強化部が結果の出ない時期にも覚悟を決めて信頼を貫いた。こうして築かれた土台の上で、鬼木監督は主に攻撃的な守備を軸に戦術と魂を吹き込んでいった。

 ただし一方で見逃せないのが、現場と両輪を成すフロントの戦略的展望に基づく仕事ぶりだ。充実するアカデミーを最大限に有効活用するために、板倉滉、三好康児らの欧州志向は尊重し、反面大学へ進んだ脇坂泰斗や三笘らも引き続き追跡。また大卒の有力選手を次々に主力級へと変貌させていったことも、指導スタッフとそのノウハウの熟成や、スカウト陣の眼力を際立たせた。
 
「チーム一丸となって」は、もはや手垢のついた表現だが、川崎はまさにクラブが一体となり、ピッチに立つ選手たちを輝かせ、ピッチ上を理想に近づけるには、まずその背景が大切だということを知らしめた。

 残念ながらJリーグは、フットボーラーの終着点ではない。中村憲剛や遠藤保仁は、突出した水準でも国内に止まった最後の年代で、きっと今の川崎からも欧州に飛び出していく選手が出て来る。だが長く混戦が続いたJリーグにも、ようやく終着点となるクラブが誕生しつつあるのかもしれない。

 かつてリヴァプール生え抜きで「ワンダー・ボーイ」と言われたマイケル・オーウェンがレアル・マドリーへ移籍し、次にニューカッスルに戻ってくるとファンは激高した。「レアルに行くのは仕方がない。しかし国内の他のクラブへの移籍は許せない」

 川崎へ行けば上手くなる。川崎に誘われたら仕方がない――。フロンターレは、そんな憧憬のクラブへと確実に近づいている。
 
取材・文●加部 究(スポーツライター)

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