神戸市の給付金事務作業の模様(写真:神戸市)

「当初、(給付は)7月のかなり遅い時期になるのではないかというふうに考えていたが、大幅に前倒しした。大都市の中では最速のスピードで特別定額給付金が市民の皆さんの手元に届くよう全力で取り組んでいく」

神戸市の久元喜造市長は6月10日の記者会見でそう宣言した。

その約2週間後の6月26日、久元市長はツイッターで「神戸市は順調に作業が進んでいます。申請率94%、給付率96%。ほぼ振込完了です」と胸を張った。

1458億円をかけて10万円を配る

全国民に1人10万円を給付するという前代未聞の特別定額給付金。新型コロナウイルス対策として安倍政権が第1次補正予算に盛り込んだ。事業費総額は12兆8802億円で、約1458億円のコストをかけて全国民に配布する。

大まかに言って、国民1人あたり1000円ほどのコストをかけて10万円を配っている計算になる。

給付作業は市区町村が担い、申請書の発送や住民からの問い合わせに答えるコールセンター業務、申請書のチェック作業は外部の委託業者と分担した。しかし、自治体によって給付作業の早い遅いが目立ち、住民からは「給付が遅い」「オンライン申請に手間取る」などとの批判が相次いだ。

市長が「最速」と胸を張る神戸市では、「まだ『30万円給付』と言っていた4月の初旬に印刷業者を確保し、コールセンター要員も含めてスタッフ300人を確保した。5月1日にはオンライン受付を始め、申請書の発送作業は5月14日に開始した」(給付金の担当者)という。

神戸市の人口は約153万人で、世帯数は76万を超える。これだけ膨大な数の給付作業をこなすうえでいちばん手間どったのは、郵送で寄せられた申請書の口座情報の入力だったという。同市はパーソルテンプスタッフと組んで、合計220台のパソコンを用意。送り返されてきた申請書の内容を、スタッフが1件ずつ手作業で打ち込んだ。また、コールセンターにはピークの5月下旬に1日4万3000件の問い合わせがあった。

パーソルは今回、東京都葛飾区や長崎県佐世保市など20以上の自治体から給付金業務を請け負った。同社はこれまで自治体の総合窓口や国民健康保険の窓口業務などを受託運営しており、こうした経験が急きょ始まった給付金業務でも生かされたようだ。

マイナンバーへの紐付けを検討

だが、神戸市のように作業がスムーズにいった自治体ばかりではない。給付金は郵送とオンライン申請の2種類が用意されたが、7月7日現在でオンライン申請を受け付けていた1709自治体のうち、101の自治体がオンライン申請を取りやめた。

6月7日にオンライン申請を中止した東京・江東区の担当者は「おそらくちゃんと申請できているのか不安なためだと思うが、何回も申請する住民もいて、最高で4回申請する人もいた。オンラインは申請者が自由に入力できるため、申請内容が正しいかの確認を1件1件紙に打ち出して照合した」と話す。

首都圏の別の自治体の担当者も「制度の詳細が定められず、裁量の余地がわからない中での作業だった。人口規模や置かれた状況が違うのに、支給の早い遅いを自治体間の競争のように比べられるのは正直苦しい」と漏らす。

こうした状況を受け、新たな動きも出ている。

「1人1口座をマイナンバーに紐付けることは、できれば義務化をさせていただきたい」。高市早苗総務相は6月9日の会見でそう発言し、6月23日には首相官邸でマイナンバー制度を基盤としたデジタル社会構築を検討するワーキンググループの検討も始まった。

一方、自民党のマイナンバープロジェクトチームは6月にマイナンバーの活用方策を提言する報告書をまとめ、6月に閉幕した国会には特定給付金の給付名簿作成法案を提出した。

報告書と法案のとりまとめにあたった自民党の新藤義孝代議士は法案の狙いについて、「何年も前からデジタル社会をつくる成長戦略の大きな柱として検討してきた。法案が実現すれば、マイナンバーを使って給付対象者の名簿をあらかじめ国もつくれる。給付を受ける口座を1つ指定してもらい、『口座名簿』をつねにアクティブな形で国が電子システムの中にため込んでおくことも可能になる」と話す。

だが、こうした動きによって本当に問題は解決するのだろうか。

混乱を招いた「世帯」という概念

実は、今回の給付金をめぐる作業で自治体関係者が苦労し、住民が混乱する原因となったのが「世帯」概念をめぐる認識のズレだった。

総務省は特別定額給付金を「住民基本台帳に記録されている世帯の世帯主」に給付すると定めた。給付金の支給は迅速かつ簡素に行う必要があり、「世帯主は住民基本台帳に記載されており、申請や振込の手続きを簡明にできる」(総務省特別定額給付金室)からだ。

仮に個人に支給するとなると、申請書類などの事務が激増し、意思表示の困難な高齢者や幼児への給付をどうするかという問題も出てしまう。ちなみに、住民基本台帳に基づく日本の人口は1億2744万人に対し、世帯総数は5852万世帯である(1月1日現在)。

だが、世帯主に給付すると決めたことで、自治体の担当者のもとには「同居しているのに、なぜ申請書が届かないのか」「申請書に家族全員の記載がないのはなぜか」といった問い合わせが寄せられた。

住民基本台帳上の世帯は、同じ住所に住んでいても台帳上、別であれば、別世帯となる。しかし、世間一般がイメージする世帯とは1つの家に同居する家族全員を指すだろう。

マンガ「サザエさん」で例えると、磯野一家は世間一般のイメージでは1つの世帯だが、仮にマスオ・サザエさん夫婦と、波平・フネ夫婦が住民基本台帳に別世帯として登録されていれば、2つの世帯が存在することになる。後者の場合、今回の給付金は波平さんにサザエさん一家7人分の申請書がまとめて届くのではなく、波平さんとマスオさんにそれぞれ1通ずつの申請書が届くことになる。


前出の首都圏の担当者は「世帯には、血族や姻族にない赤の他人でも『同居人』という形で入れるし、逆に世帯を別にする場合もある。大半の世帯が夫婦2人と子供であっても、独居の老人だったり、親世代と一緒だったりする世帯もあって、結局は各世帯の個別事情に1つひとつ付き合わされる。そしてそこに踏み込まないと、申請が適正であるのかわからない」と話す。

世帯をあえて分離するわけ

一緒に住んでいながら世帯をあえて分離するのは、国民健康保険や後期高齢者医療、介護費用の面で、世帯の所得(年収)によって保険料が軽減される仕組みがあるからだ。例えば、世帯を分離して高齢者単独世帯とし、世帯の年収を意図的に下げれば、国民保険料の負担は下がる。ただ、家族手当をもらえなかったり、高額医療費の合算などができないデメリットもある。

今回も、世帯主に給付金を送れば終わり、というわけにいかないケースがあった。DV(ドメスティックバイオレンス)や高齢者虐待、児童虐待の場合だ。いずれも深刻な事情があって住民票上の住所とは別の場所に居住しており、世帯主(虐待者)に給付金を送るわけにはいかない。

都内のある区の担当者は「自治体の福祉部門が(DVや虐待などの)事情をつかんでいるケースもあるが、そうでないと、申請がない限り書類だけでは(給付の適否を)判断できない」と明かす。

さらに、居住が安定していないホームレスや事実上ネットカフェに寝泊まりしている人々には、自治体によっては窓口で現金を手渡したり、書留で送るなどの対応をとった。

総務省は4月に出した自治体宛の通知の中で、どの自治体にも住民登録がない場合、現在住んでいる自治体で住民票を作成すれば、給付の対象となるなどとしたうえで、「住所の認定については、個別具体の事案に即し、(中略)各市区町村において判断いただく必要がある」と説明している。

結局、住民の口座情報がわかればすべて解決というわけではなく、住民の居住実態や置かれた環境を誰かがしっかり見に行く必要があるというわけだ。

進まぬ銀行口座へのマイナンバー付番

何よりマイナンバーは不人気だ。2015年のマイナンバー法改正により、2018年1月から銀行口座に紐付けることができるようになった。それは義務ではなく任意であることもあって、実際に付番された銀行口座は一部にとどまる。

全国銀行協会によると、2019年12月末時点でマイナンバーを銀行に提出した預金者数は972万。銀行口座総数は約10億口座あるといわれており、この数は多いとは言えまい。

また、国税庁によると、所得税の確定申告でマイナンバーを記載していない割合は2019年で約17%にのぼる。税金の納付のような制度でも、2割弱の納税者がマイナンバーを敬遠している計算だ。給付金を一種の「アメ」にしてマイナンバーと銀行口座を紐付けようという狙いは、本当にうまくいくのだろうか。

マイナンバーで全国民の口座に紐付けできたとしても、「赤ちゃんや子どもの給付金をどうするのか。例えば、夫婦仲の悪い子どもの分の給付金をどちらが受け取ると整理するのか」と自治体の担当者は異口同音に指摘する。結局、マイナンバーも万能ではなく、各家庭や個人の事情をもとに誰かが給付金支給の適否を判断する必要性が残る。

7月1日時点で、給付済みの金額は約9.73兆円。全体の4分の3に相当する4354万世帯が給付済みとなった。新型コロナウイルスの第2波、第3波が予想される中、今回の給付金騒動の教訓は生かされるのだろうか。