なぜドイツ人女性は「専業主婦」になりたがらないのか(写真:studio-sonic/PIXTA)

かつて日本には「寿退社」という言葉もありましたが、今や女性が結婚後も働くことは珍しいことではありません。「結婚後も働くのは当たり前」と言いたいところですが、その一方でこの国には根強い「専業主婦願望」も見られます。

マイナビが実施した「大学生のライフスタイル調査」によると、2021年卒の女子大生・女子大学院生のうち、16.7%が将来は専業主婦になることを望んでいます。

6人に1人というと、数としてそれほど多くないかもしれませんが、「大学や大学院に通う女性」の中にも専業主婦になりたいと考える人がいるのはある意味、日本特有の現象かもしれません。

例えばドイツでは大学に通う女性に専業主婦願望の人はまずいません。今回は海外と日本を比べながら「日本の専業主婦願望の根底にあるもの」を考えてみたいと思います。

ドイツの女性は「専業主婦」に憧れない

筆者の母国ドイツでも今から30年以上前までは専業主婦をしている女性は珍しくありませんでした。ドイツで「家事」というと、「掃除」の優先順位が非常に高く、その中でも家の窓を常にピカピカに磨く女性が専業主婦の鑑だとされていました。

数年前、筆者がドイツに行った際、知人女性の実家に遊びに行きました。当時、彼女の母親は既に高齢だったにもかかわらず家の中は掃除が行き届いていて、もちろん窓ガラスもピカピカでした。

「あなたのお母さん、家の中をきれいにしていて凄いわね」と言ったところ、彼女は「母親はずっと専業主婦だったからね。でも、ワンピース一枚も買えない生活で、母親が一時期パートをしていたときは好きな服が買えて本当に幸せそうだった」と話していて、色々と考えさせられました。

彼女の実家は貧乏ではありません。むしろ裕福なほうです。それなのに、なぜ母親がワンピース一枚も買えなかったのかというと、日本で見られるような「夫が稼いだ給料を、専業主婦の妻が管理する」というスタイルはドイツにはないからです。

昔ながらのドイツの家庭では家計の管理は男性である夫がしていました。夫の収入が高くても、夫が「専業主婦である妻に微々たるお金しか渡さない」ケースも多かったのです。そのため「家自体は裕福」なのに、服もロクに買えず自分の好きなものにお金を使えない専業主婦が昔のドイツにはたくさんいました。

そのような母親を見て育った娘は当然ながら専業主婦になりたいとは思いません。ドイツで「専業主婦」というと「男性である夫にお金を管理されているかわいそうな女」のイメージがどうしても強いため、専業主婦に憧れる人はあまりいないわけです。

かつては「男女不平等国」だったドイツ

日本では「ドイツは男女平等」だというイメージが浸透しています。確かに2019年の男女平等ランキングを見ると、153カ国中の日本の121位に対し、ドイツは10位でした。アイスランドやスウェーデンなどと比べるとおくれをとってはいるとはいえ、ドイツは世界の中でも男女平等が進んだ国だといえるでしょう。

そのため筆者を含むドイツ人は「男女平等が進んでいない国」に対して厳しい見方をしがちですが、そのドイツも「ついこの間まで」は実にひどい状況でした。

既婚女性が仕事をする場合、ドイツの法律では1977年までは「夫の同意」が必要でした。既婚女性が働く場合は職場に「妻が働くことに同意します」と書かれた夫からの同意書(証明書)を提出しなければなりませんでした。それというのも、ドイツには1977年まで「既婚女性は家事をする責任がある。既婚女性の仕事は家事や家庭に差し支えない範囲でのみ可能」という法律があったからです。

ところで先ほど「専業主婦である妻に微々たるお金しか渡さないドイツ人の夫」の話を書きましたが、1958年までは法律上、夫のみに妻や子に関する決定権があったため、妻が外で働いている場合も「妻の給料は夫が管理する」ことが普通でした。

日本と比べると、今もなおドイツでは金銭にシビアな男性が多いのは、あの頃の名残なのかもしれません。

ドイツで専業主婦願望の女性が少ないのは、金銭感覚がシビアな男性が多いからだけではありません。ドイツでは「学んだ分野の仕事に就く」のが理想だとされています。

日本では、大学の法学部を出た人が必ずしも法律関係の仕事に進むとは限らず、別分野の仕事に就くこともありますが、ドイツでは法学部を出た人は弁護士などの仕事を目指すのが一般的です。法学部に限らず、専門学校や大学で習った分野をそのまま仕事に生かすべきだという考え方が強いのです。そのため、もし大学で学んでいる女性が「専業主婦になりたい」と言った場合、ドイツでは即「せっかく勉強したのにもったいない」と言われてしまいます。

ドイツで専業主婦になる場合、ドイツ語に堪能でなかったり持病があるなどの「理由」がないと、周囲の人から「なぜ働かないの?」と聞かれてしまいます。

日本でドイツ人男性と結婚したある日本人女性は、夫の都合でドイツに引っ越しましたが、住んでまだ間もないのに、現地で会うドイツ人に「あなたはなぜ働かないの?」と頻繁に聞かれ精神的につらかったと言います。ドイツへの引っ越しの理由は前述通り「夫の仕事の都合」によるものでしたが、そのことを説明しても、「あなたも早くドイツ語を覚えて働けばいいのに」と言われたのだとか。

「女性の生き方」について考えるとき、日本ではよく「欧米のほうが自由に生きられる」と思われがちです。確かに役職がついているポジションであっても時短で働くことが可能であるなど、「働く女性」は日本よりも自由です。しかし「専業主婦という選択肢」はないに等しいので、意外にも日本で言う「女性の多様な生き方」は認められていないのでした。

「専業主婦願望」は決しておかしなことではない

以前、ある食事会で会った20代の日本人女性は「将来は専業主婦になりたい」と話していました。理由を聞くと「専業主婦の母が楽しそうだったので、自分も母のように暮らしたい」と語りました。

一家はかつて海外に住んでいた時期がありましたが、日本に帰国後、母親は海外で習った料理を近所の人などに教えていました。自宅で開いた料理教室に大人も子供も集い楽しかったそうで、女性は「自分も将来は時間を気にすることなくお稽古事をしたり、サロンを開いたりという生活がしたい」とのことでした。

考えてみれば、茶道や着付け、生け花などの伝統的な習い事から、アイシングクッキー作りやアロマセラピーなど現代的なものまで、日本には多岐にわたるお稽古事があります。面白いのは「お稽古事」がどこか「女性」と関連付けられていることです。

現に女性から「今日はお稽古事なんだ」という発言を聞くことはあっても、男性から「お稽古事をしている」という発言はあまり聞きません。そして「お稽古事」が「時間的にも経済的にもゆとりのある専業主婦の生活」と結び付けて考えられていることもまた多いのでした。

そういったことを考えると、冒頭の「ロクに服も買えないドイツの専業主婦」とは違い、「日本の専業主婦」にはどこか優雅なイメージがあり、そのあたりが日本で「専業主婦に憧れる女性がいる」一因の気がします。

ヨーロッパとは違い、日本で女性が「専業主婦に憧れている」と堂々と言えるのは、もしかしたら幸せなことなのかもしれません。