「ワースト」という評価をどのようにして下すかは難しいところだが、ここでは「活躍を期待されながらそれを大きく裏切った」という基準を設けることとした。

 必然的に、鳴り物入りで移籍したけれど思いっきり「ハズレ」に終わったというケースが大半を占めることになった。中にはキャリアそのものが期待されてはそれを裏切る連続だった、というケースもある。しかしそれは、それだけ大きな期待を集めるタレントの持ち主だったわけで、その意味で非常に残念だと言わなければならない。

 その代表格と言うべきなのが、このベスト11の中でも圧倒的な存在感を放つ2トップ、すなわちマリオ・バロテッリとアントニオ・カッサーノだ。ともに10代でセリエAに鮮烈なデビューを果たし、その圧倒的な才能を見せつけたにもかかわらず、その後のキャリアはピッチ上の活躍よりもピッチ外のトラブルで話題を呼ぶばかりだった。

 あのサミュエル・エトーをして「あと数年以内にワールドクラスに成長しなかったらぶっ殺す」と言わしめるタレントの持ち主だったバロテッリは、インテルで監督のジョゼ・モウリーニョと喧嘩別れした後、マンチェスター・シティ、ミラン、リバプールとメガクラブを渡り歩きながら、輝いたのは短期間だけで、ついにその潜在能力を開花させられず、メジャーな舞台から姿を消した。そしてニース、マルセイユを経て流れ着いたブレッシャでも力を発揮できず、チームはセリエAの最下位に沈んでいる。
 
 カッサーノはサンプドリアやパルマのように自身を特別扱いしてくれる中小クラブでこそ、文字通り「王様」として君臨してしばしば違いを作り出したが、ローマ、レアル・マドリー、インテル、ミランといったビッグクラブでは、チームの結束を乱すトラブルメーカー以外ではあり得なかった。

 期待外れという意味でこのベスト11にリストアップせざるを得ないのが、ミランで自ら望んで10番を背負った本田圭佑だ。クラブの斜陽期に重なったとはいえ、サポーターからは当時の主将リッカルド・モントリーボと並ぶ「ダメなミラン」の象徴として記憶されており、残念なことに「クラブ史上最低の10番」という不名誉な評価を受けることも珍しくない。
 期待外れの数に関してはインテルがライバルのミランを大きく上回る。とりわけマッシモ・モラッティ会長時代は、大盤振る舞いしてはハズレ、という選手を毎年生み出すのが恒例だった。

 なかでも、インテリスタの間でそのシンボルとして今なお語り継がれているのがMFヴァンペッタだ。ブラジル代表としては42試合に出場し、2002年ワールドカップの優勝メンバーに入ってすらいるのだが、クラブでの実績は少なくとも欧州ではほとんどゼロ。2000年夏、FWロビー・キーンと並ぶ補強の目玉としてインテル入りしたが、たった1試合に出場しただけでマルチェロ・リッピ監督に見限られ、半年後にはパリ・サンジェルマンへと厄介払いされて終わった。

 さらに、同胞のモウリーニョのゴリ押しによって、移籍金2500万ユーロ(約30億円)で加入したものの、まったく活躍できず、得意の「トリベーラ」(右足アウトサイドのトリッキーなキック)を無駄打ちするプレースタイルが笑い話として記憶されているウインガーのリカルド・カレスマも忘れるわけにはいかない。

 ボランチのフェリペ・メロに至っては、フィオレンティーナから移籍したユベントスでサポーターと対立して1年でガラタサライにレンタル放出され、そこから移籍したインテルでもトラブルメーカー扱いと、2つのメガクラブで悪評を積み重ねるワーストプレーヤーっぷりだ。
 
 今でこそセリエA8連覇とわが世の春を謳歌するユベントスだが、2006年のカルチョポリ・スキャンダルでセリエBに降格してから、アントニオ・コンテ監督の下で復活を遂げるまでの5〜6年はかなり迷走していた。