ジャパニーズウイスキーが世界で人気だ。輸出額はこの10年で9倍になった。トータル飲料コンサルタントの友田晶子氏は、「2001年に世界コンテストで1位と2位を独占したのをきっかけに、注目が集まった。日本人だけが“魅力”を見逃していた」という--。

■異常な値段で出品されるジャパニーズウイスキー

木箱入り750ml1本59万4000円。12月1日現在のヤフオクでの「ニッカウヰスキー竹鶴35年」の出品価格だ。売れ残っているわけではない。40万円前後の出品価格ならば、どれも落札済になっている。「竹鶴25年」の平均落札価格は9万4899円。未開封で箱入りなら12万円だ。

ちなみに、「竹鶴35年」の空き瓶は7万4800円。「竹鶴25年」の空き瓶で1万2000円。空き瓶をいったいなにに使うのだろうか。

比較的簡単に買えた「余市」や「宮城狭」のヴィンテージ入りシングルモルトも、終売になってからはプレミアム価格になったのはもちろん、市場そのものから見なくなってしまった。

「サントリーシングルモルトウイスキー山崎シェリーカス 2013 700ml」は楽天で84万円。ヤフオクでは「山崎18年」が7万円程度。ちょっとでも安い出品価格なら、こちらもどんどん入札が入っている。

オークションはもっとすごい。山崎でもヴィンテージの入らない「ファースト・シリーズ」50年物が3000万円越え。埼玉県秩父の人気蒸留所「イチローズモルト」の54本セットが香港で約1億円で落札されたニュースも耳に新しい。

今市場には「ジャパニーズウイスキー」がとにかく品薄。あっても異常な値付けになっている。ウイスキー市場に、今、いったい何が起きているのだろうか。

ニッカウヰスキーHP「ニッカウヰスキーストーリー」より

■マッサンがもたらしたジャパニーズウイスキー文化

ウイスキーバブルの理由を探る前に、日本におけるウイスキーの歴史を簡単に見ていこう。ウイスキーが最初に日本に伝えられたのは1853年(嘉永6年)ペリー来航の年。国産ウイスキー第1号は1929年(昭和4年)寿屋山崎工場から。現在のサントリー山崎蒸留所だ。世界大戦後は洋食化が進み、国産ウイスキーの生産が増え、ニッカ、三楽オーシャン、キリン・シーグラムなどの名を聞くようになる。

日本のウイスキーは、マッサンこと竹鶴政孝氏のスコットランド留学(1912年/大正元年)によってもたらされた本場スコッチウイスキーの製造技術をベースに日本人ならではの感性を取り込み発展してきた。以来、100年、日本産ウイスキーは、穏やかながら、モルトの風味や樽熟フレーヴァーのバランスが良く、水割りにしても香味が薄まらないとして需要を伸ばし、スコッチ、アイリッシュ、アメリカン、カナディアンと肩を並べる世界五大ウイスキーの一つとなっていく。

しかし、長い間、庶民のあこがれは国産ではなくやはり輸入ウイスキーだった。海外旅行のお土産として高級スコッチや高級バーボンなどを大切に持ち帰った人が皆さんの周りにもいるだろう。

■ウイスキーブームは1983年をピークにいったん下火へ

日本における輸入ウイスキー消費増加のきっかけは1971年(昭和46年)のウイスキー輸入自由化と翌年の関税引き下げでおこった洋酒ブームだ。バーやスナック、すし屋や居酒屋でも「ボトルキープ」がはやり始めたのもこの頃。ウイスキーが高級であればあるほど客のクラスも上がるという心理も働き、ボトルキープ制度は一世を風靡(ふうび)した。

しかし1983年をピークに消費は急激に冷え込んでいく。原因は、ウイスキーの増税による値上げと焼酎ベースのチューハイの台頭だ。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/stockfotocz)

さらにバブル期に入るとワインブームが起こる。また日本酒業界でもフルーティーで飲みやすい吟醸、大吟醸が各地の地酒蔵から続々発売された。もちろんビールも忘れてはならない。アサヒスーパードライは1987年の発売。大手ビール会社のドライ戦争が勃発した時期。つまりは、飲む酒の種類がぐっと増えた時代ともいえる。

そのうえ味わいのトレンドは、淡麗辛口の日本酒であったり、フルーティーな白ワイン、渋みの少ない赤ワインであったり、喉ごしいいチューハイであったり、キレがいいドライビールだったりと、すっきり軽快で飲みやすい味わいがトレンドの主流。

ウイスキーは、スモーキーな香りが強く、濃厚で個性的な味わいのうえに、蒸留酒だから当然アルコール度数も高い。気軽に飲むには敷居が高いし、おじさんのイメージが強く女性にも若い男性にも敬遠され、食事にも合わせにくいため徐々に飲食店のメニューからも酒屋の棚からも消えていったのだ。

■世界のウイスキー愛好家が驚いた、国産2トップのコンテスト受賞

しかし、「ジャパニーズウイスキー」に世界の注目が集まったのは2001年(平成13年)のこと。英国の専門誌『ウイスキーマガジン』が行ったコンテスト「ベスト・オブ・ザ・ベスト」で、ニッカウヰスキーの「シングルカスク余市10年」が総合1位、サントリーの「響21年」が総合2位と、「ジャパニーズウイスキー」がトップを独占したのだ。

これには世界の愛好家が驚いた。コンテストは世界から47のウイスキーを、イギリス、アメリカ、日本の専門家62人がブラインドで評価する。本場スコッチを抑え、「ジャパニーズウイスキー」が世界最高峰と認められたのだ。そこからの日本勢の受賞記録はすごい。

以降の「ジャパニーズウイスキー」のおもな受賞例を挙げてみよう。

■ジャパニーズウイスキーの輸出金額がこの10年で9倍に

世界的評価が高まったおかげで、2008年(平成20年)に17億円だったウイスキーの輸出額が2018年(平成30年)には約9倍の150億円になった(図表2)。また、2010年ごろにはウイスキー需要の高いフランス、パリのウイスキー専門店でジャパニーズウイスキーフェアが開催され人気を博したのを機に、以来パリのバーや専門店の「ジャパニーズウイスキー」の品ぞろえは日本を圧倒している。

出典=国税庁

筆者が出張で行ったロシア、モスクワの百貨店やワインショップではメインの棚にずらり「ジャパニーズウイスキー」が並んでいるさまを見た。中国からは「ジャパニーズウイスキー」爆買いツアーの一団に何度もお目にかかった。「ジャパニーズウイスキー」に注目し、率先して買い始めたのはフランスやイギリス、ロシア、中国、アメリカといった蒸留酒最先端の国々であった。

■日本国内のウイスキー人気の火付け役はハイボール

とはいえ正直、海外のウイスキーコンペの情報など、日本の一般庶民はほぼ興味がなかった。のんびり過ごしていたら、あれよあれよと価格が上がり、同時に国内の在庫がなくなってしまった。なんてこった。熟成に最低3年はかかるウイスキーだ。芳醇な香味になるには5年、いや10年、いやいやそれ以上の歳月がかかる。今思えば、「響30年」や「竹鶴25年」など、本当にお宝だったのだ。この先20年も30年も待たなければあの味には出会えない。なくしたものは実に大きい。

そのうえ、国内では別の方向からウイスキーブームが起こっていた。ずばり、「ハイボール人気」である。激しいウイスキー消費の右肩下がり状況を受け、サントリーが仕掛けたのが「サントリー角瓶」のハイボールだ。ときは2008年(平成20年)。ここから国内のウイスキー消費は見事V字回復を遂げた。

回復の理由も実に明確。人気に歯止めをかけている「ウイスキーの商品特性」を、ソーダで割ることですべて裏返しにしたのだ。

スモーキーフレーヴァーや濃厚で個性的な香味で、アルコール度数も高く、食事に合わないウイスキーを、ソーダで割ることによって、軽快で爽快な香味になるし、好みのアルコール度数にすることもできる。

レモンを入れればフレッシュさは増すし、なにより甘くないので食事にも合わせやすい。また人気女優のCM効果で、ウイスキーファンやマニアのみならず、一般庶民もこの味わいを知ることになる。そのころはまだブランドウイスキーも手に入りやすく、だれもが気軽に試すことができ、これで人気に火が付いた。

■酒離れの中、ウイスキーの消費量は増えている

そして実はこの要因が重要なのだが、ハイボールはの原価率がとても低く、儲けが厚い商材なのだ。提供側としては生ビールを売るより断然おいしい。そういうわけで全国の飲食店に一気にハイボールが広がっていった。今や、飲食店では、「とりビー」ならぬ「とりハイ」という人が目立つ。図表3にあるように、現在の国内酒類消費で増加傾向はウイスキー(とワイン)のみである。

今はブランドウイスキーのハイボールはそれなりの値段になっている。お手頃に楽しめるハイボールは輸入ウイスキーか色付きの醸造アルコールかもしれない。

いずれにしても、昔ゴロゴロ転がっていたブランドウイスキーはもはや日本にはない。こんなことなら飲まずにとっておけばよかったと後悔しても全く先に立たないのである。

出典=国税庁

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友田 晶子(ともだ・あきこ)
トータル飲料コンサルタント
福井県出身。1988年、アンジェ大学、エクサン・プロヴァンス大学、ボルドーにて、語学とワイン醸造を学ぶ。翌年に帰国、田崎真也氏に師事、ソムリエ、ワイン・コンサルタントとして独立。1990年、「日本酒サービス研究会(SSI)」発足サポート(現同会役員)を経て、トータル飲料コンサルタントなる。現在、お酒でおもてなしができる人1700名を率いるSAKE女(サケジョ)の会の代表理事。
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(トータル飲料コンサルタント 友田 晶子)