「この内閣は、君で持っているのだ。選挙戦で官邸がカラになったら、内閣は潰れてしまう。次の選挙での出馬は約束する。それまで待ってくれ」

 結局、後藤田はそれから2年後の昭和49年7月の参院選に、徳島地方区から出馬することになった。しかし、これは後藤田にとって、さんざんな目に遭う選挙になるのだった。

 田中はもとより応援に来てくれたが、慣れない選挙から、後藤田陣営は大量の選挙違反を出し、結果は落選となった。合わせて、この年の暮れ、田中自身が金脈・女性問題で首相退陣を余儀なくされることになり、後藤田にとっては二重の痛手となったのだった。

 警察トップを経験した者が選挙違反を出したという失態が、何よりもこたえたことは言うまでもなかった。当時の心境を、後藤田は後にこう明かしている。

「(参院選での失態が)田中さんへのダメージになったことで、これは私の田中さんに対する生涯の負い目となった。しかし、田中さんは『ワシのことは気にせんでいい』と言い、むしろ何かと世話をしてくれたものだった。
 順風満帆のときは誰でもチヤホヤしてくれるが、逆境で進退窮まっているとき、田中さんほど温かく接してくれる人はいないな。誰に対してでもだ」(『政治とは何か』講談社)

 それから10年後、田中が脳梗塞で倒れて言葉を失うまで、田中と後藤田の波乱の二人三脚は、しばし続くことになる。
(本文中敬称略/この項つづく)

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【著者】=早大卒。永田町取材49年のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『愛蔵版 角栄一代』(セブン&アイ出版)、『高度経済成長に挑んだ男たち』(ビジネス社)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。