池袋に登場した小型の電気バス「IKEBUS(イケバス)」(記者撮影)

池袋駅周辺は色鮮やかな看板が街中にあふれるが、赤一色の車体は色の洪水に埋没することことなく、くっきりと際立つ。小さな5つのタイヤが横に並ぶ姿はおもちゃ箱のよう。どう見てもバスには見えないが、たくさんの客を乗せて走るからにはバスに違いない。ユニークな形状に街を歩く人が振り返る。

11月1日、東京都豊島区は電気自動車(EV)バス「IKEBUS(イケバス)」の出発式を行った。すでに貸し切りバスとして運行を開始しているほか、11月中には池袋駅周辺を巡回する路線バスとしても運行する予定だ。

赤いバスだけではない。そろいの赤いユニフォームを着たシニアたちが「としまシルバースターズ」を結成し、街の美化に取り組む。官民が総力を挙げて池袋の魅力向上に動き始めた。

「消滅可能性都市」がきっかけに

イケバスの誕生までに節目となった出来事がいくつかあるが、2014年、民間の有識者からなる日本創成会議が23区で唯一、豊島区を少子高齢化による「消滅可能性都市」に指定したことも、イケバス誕生のきっかけの一つといえるだろう。

1999年から豊島区長として街の発展や芸術の振興に力を尽くし、「世界レベルの住みよい街」を目指す高野之夫氏にとって、豊島区が消滅可能性都市に指定されたことは晴天のへきれきだった。すぐに事態の打開に動き始め、LRT(軽量軌道交通)の導入も検討施策の一つとなった。「街に人を呼び込むために乗って楽しい“トラム”をつくりたい」。2016年には区の「まちづくりガイドライン」にLRTの整備が将来構想として記載された。

ただ、LRTを導入した場合には軌道敷設などに約70億円の事業費はかかると試算された。池袋という都心の一等地にどうやって車両基地の用地を確保するかという問題もある。また喫緊の課題として、2019年には豊島区で東アジア文化都市という国際的なイベントが開催され、2020年の東京五輪も控える。区内の主要施設や観光スポットをつなぐ来街者の移動手段が必要となり、建設に時間のかかるLRTを待つわけにはいかない。

「今できることをしよう」――。LRTより、まずは現実的な方法として、10台の電気バスを導入して運行することが決まった。

ベース車両の候補として選定されたのは群馬県桐生市の新興企業・シンクトゥギャザー製のEVバス「eCOM-10」。シンクトゥギャザーという社名は耳慣れないが、2018年に環境省と国土交通省が実施する「グリーンスローモビリティ導入実証事業」において、日立、ヤマハなど大手系列メーカーの車両とともに、eCOM-10も購入費補助の対象に挙げられた。同社の宗村正弘社長は、「最近になって問い合わせが増えている」と話し、新潟市、松本市、宮崎市など20近い自治体で走行実績がある。

この車両の特徴は、5軸からなる10個のタイヤだ。タイヤが小さいため床が低く、乗降が容易となる。タイヤやモーターが小さい分、数を増やして駆動力を確保した。定員は16人で、1回の充電で約60km走れる。最高速度は時速19kmと低速だが、池袋の街を眺めながらのんびり周回するには十分なスピードだ。

デザインはあの水戸岡氏

そのeCOM-10のデザインに大きく手を加え、定員22人の「イケバス」という新たな車種に仕立てたのが、JR九州の豪華列車「ななつ星」などのデザインで知られる水戸岡鋭治氏である。街に人を呼び込む観光列車のようなバスが欲しいと考えていた区にとって、水戸岡氏に白羽の矢を立てたのはある意味必然。水戸岡氏も豊島区に隣接する板橋区に事務所を構えていることもあって、高野区長の取り組みに共感していた。

ただ、水戸岡氏の起用には大きな問題点があった。区の事業は公平を期すため、一般競争入札で決める必要がある。区長が水戸岡氏に頼みたいという理由だけで、水戸岡氏に発注するわけにはいかないのだ。

スタッフが頭を抱えていたとき、中央官庁から出向中だった区のスタッフがアドバイスをくれた。「水戸岡さんにしかできない条件にすればよい」。水戸岡氏は車両だけでなく停留所からスタッフの制服、グッズまで、あらゆるデザインをこなせる。これだけ広範囲にデザインをできるのは、確かに水戸岡氏くらいだろう。

晴れてイケバスのデザイナーに起用された水戸岡氏は、高野区長にどんな車両を欲しているのか、「取材」を始めた。いろいろな話をしているうちに、「高野区長は“赤”を欲しているんだな」とわかってきた。「赤は昔から祭りに使われている特別な色」と水戸岡氏は言う。人々に元気を与える色ともいえる。

イケバスの愛らしい「顔」は、eCOM-10ではなく、水戸岡氏のオリジナルデザインだ。そして水戸岡デザインの観光列車ではおなじみのユニークな内装。これらは、「チーム水戸岡」とも言うべき、九州艤装のスタッフが精魂込めて作り上げた。同社は東急電鉄の「ザ・ロイヤルエクスプレス」、長良川鉄道の「川風」など水戸岡デザインでは多くの実績を持つ。

赤い塗装の外観に顔を近づけると、鏡面のように輝いているのがわかる。「この塗装にはこだわりました」という、水戸岡氏の自信作だ。同氏がデザインしたクラブツリーリズムの豪華バス「CLUB TOURISM FIRST」の塗装も鏡面のような高級感を漂わせるが、「イケバスの塗装のほうがずっと大変だった」と苦笑する。

1台だけ黄色いワケは…?

赤い車両に交じって、1台だけ黄色い車両がある。高野区長が消滅可能性都市からの脱却を目指して、北海道の夕張市を視察した際、映画『幸せの黄色いハンカチ』のロケ地にも足を運んだ。このとき、ハンカチを見て「幸せの色とは黄色だ」と確信したという。新幹線のドクターイエローのように、「この車両に出会ったら幸せになれると感じてほしい」と高野区長は期待する。

こうして完成したイケバスの車両価格は1台3000万円程度という。QRコード対応の運賃収受機やデジタルサイネージ、車いす乗降用の電動リフトなどの各種設備を搭載すると、デザインにかける予算は残り少ない。

それでも経営の厳しい地方鉄道会社の車両デザインを多数引き受けてきた水戸岡氏には、予算の制約がある中で予算以上の結果を出すノウハウがある。「他社で同じデザインをやっても、この値段ではできない」と水戸岡氏は胸を張る。観光列車ではおなじみの“水戸岡デザイン”の内装もバスという新しい器の中では、まぶしいくらい斬新に映る。

車体の完成に続き、運行事業者の公募が行われた。選ばれたのはウィラーエクスプレス。ピンクの高速バスで一般に知られているが、グループ全体では全国各地でレストランバスを運営したり、シンガポールでオンデマンドの自動運転を行ったり、京都丹後鉄道の列車を運行したりと新業態に果敢に進出することで定評がある。街中を周遊する路線バスの運行も2012年に関西で行っていたことがある。

ウィラーの村瀬茂高代表は、「非常にインパクトある車両。これが毎日走ることで街のシンボルになる」と期待する。時速19kmというスピードについても、「速さだけが移動の魅力ではない」と言い切る。

eCOM-10には屋根に太陽光パネルを設置して、走行中に太陽光パネルでバッテリーを充電するタイプもあるが、イケバスに太陽光パネルは設置されていない。また、eCOM-10同様、エアコンも設置されていない。窓を全開しても夏場は厳しいだろう。車内温度の問題は来年の夏までになんらかの対応が行われるかもしれない。

池袋のシンボルになるか?

運行時間は10時から19時台で、2系統あるルート合わせて1日に62便が運行する。停留所は11カ所あり20分おきの運行となる。運賃は1回200円。ほかに1日券や2日券も販売される。区では「乗車率6〜7割が目標」というが、村瀬代表はもう少し慎重に考えているようだ。

とはいえ、ウィラー側も黒字経営をする必要があるので、利用者を増やすための対策を講じていくはずだ。「まだお話しできないが、いろいろな仕掛けを考えていく」と村瀬代表は話す。ほかの路線バス、JR、都電荒川線などとの連携、あるいはレストランバスのような特別運行といったアイデアもウィラーならやってのけるかもしれない。

イケバスは路線バスだけでなく、貸し切りバスとしての事業も行われる。11月3日には、結婚式を挙げた新郎新婦がイケバスで池袋の街中を走るという貸し切り運行が実施された。区内の保育園児を2020年6月開園予定のキッズパークに送迎する事業も行う計画だ。

シンクトゥギャザー、水戸岡氏、ウィラー、高野区長、そして美化スタッフたち。多くの人の思いが11月1日に実を結んだ。この日、渋谷では超高層ビル「渋谷スクランブルスクエア」が開業し、新たな観光名所になりそうだ。それと比べればイケバスのスケールは小さいが、赤い車体のロンドンバスがロンドンのシンボルであるように、イケバスが池袋のシンボルと呼ばれる日がやってくるかもしれない。