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大学在学中に演劇サークルに入ったことがきっかけで演劇にのめり込み、1990年頃からはショーパブやストリップ劇場でコント芸人としても活躍。1996年、北野武監督作『キッズ・リターン』で才能ある若手新人ボクサーに悪い遊びを教えて堕落させてしまう中年ボクサーを演じ、東京スポーツ映画大賞助演男優賞を受賞したモロ師岡さん。
以降、独特の存在感ある実力派俳優として、ドラマ、映画、舞台、CMに多数出演。還暦を迎えた今年は「還暦ライブ」も開催。11月7日(木)からは主演舞台『タクシードライバー』(中目黒キンケロ・シアター)の公演も始まるモロ師岡さんにインタビュー。
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◆嘘から入部した演劇サークル、そしてストリップ劇場へ
中学・高校ではバスケットボール部に所属していたが、人を笑わせるのが好きで、謝恩会で上演される芝居の脚本を書き、主演もしていたモロさん。大学に入り、少林寺拳法部からしつこく勧誘されていたモロさんは、それを断るために、演劇サークルに入ったと言ったという。
「少林寺拳法部からすごい勧誘されて、格闘技系は絶対にイヤだったから『演劇サークルに入った』と嘘をついたんです。そうしたら『演劇サークルに見に行くからな』って言われたので、実際に(演劇サークルに)入ったんです。演劇に興味はありましたけど、もともとは入るつもりはなかったんです。
それで実際に入ってみたら、あまりに無知で、発声練習もエチュードもパントマイムも演劇の事情もわからない。『つかこうへい劇団』だとか『状況劇場』って言われても僕だけ知らなくて全然話についていけないんですよ。悔しいから一生懸命やっているうちにのめり込んじゃったというか…」
−面白くてハマっていったという感じですか−
「面白いことは面白かったんですけど、辞める機会がなかったっていうのが正直なところですね。だって儲(もう)からないし、売れるという確率も少ないし…。
18歳のときにオーディションに受かって、すごい役をもらっちゃったりしたことがあったりしたので、なかなか辞める機会がなかったんですよ。食えはしないですけど、18歳のときに芸術祭参加作品とかにも出たりしていたので、ちょっと周りの人にちやほやされたりしていました。
でも、20、21、22歳ってバイトをしながら演劇をやっていたんですけど、チケットのノルマが大変だったんですよ。
とりあえず、30歳までやって食えなかったら絶対にやめようと思っていたんですけど、27歳ぐらいで食え出しちゃったので、まあいいかって思って(笑)」
−それはお笑いのほうですか−
「お笑いです。22歳ぐらいから六本木のショーパブでコントをやるようになって、何とかコントだけで食えるようになっちゃったんですよね。
それでショーパブでやっていたら、先輩のゆーとぴあさんに、『ショーパブでやるよりストリップ劇場へ行ったほうがもっと修業になるんじゃないの』って誘われて。
ビートたけしさんとか、コント55号とかが修業して出たところだということは知っていたので、『そうか、ストリップ劇場で修業するっていいのかもしれない』って。
あとで冷静に考えたら、酔っ払いの前でやるのと、裸の女を見に来るやつの前でやるのと一緒じゃないか。そっちの方が良くないんじゃないかって(笑)。ギャラも安くなったし。ショーパブでは稼ぐときは月に30万円ぐらいだったんですけど、8万円ぐらいになっちゃったんですよね」
−ストリップ劇場というと、お客さんは女性の裸を見に来るわけですよね−
「そうです。そこに男が出ていくわけですから、みんなしらけて出て行っちゃうんですけど、こいつらを何とか出て行かないようにしてやるって思いながら一生懸命ネタをやったりとかして。
ただ、自分に科したのは、絶対に客いじりしないということだったんですよね。あと下ネタはやらないということ。ストリップ劇場で下ネタをやったら食いつくだろうとかっていうことは絶対にしない。自分のスタイルで貫き通すということをずっとやっていて。
それで僕がラッキーだったのは、最初に出た『新宿ミュージック』という場外馬券売り場の客ばかり、酔っ払いとばくちの客ばかりだったところから、アンダーグラウンドの結構お笑い目当てに来るお客さんもいた渋谷の『道頓堀劇場』になったんです。
ゆーとぴあとか、レオナルド(熊)さん、(コント)赤信号とか、のちにメジャーになる人が周りにたくさんいたというところで、お笑いにすごい集中できたということがラッキーでしたね。お客さんもそういう人たちを目当てに見に来るから、お笑いに目が肥えていたので」
−必然的に腕が磨かれていくわけですよね−
「磨かれる。確かに照明が明るくなると出て行く人もいるんですけど、ときたま出ないコアな客がいて、熱心によく見てくれたんですよね。
当時は一人芝居一人コントなんてやっているのは僕ぐらいだったので。もちろんイッセー尾形さんとか小柳トム(ブラザー・トム)さんとかいたんですけど、それはテレビの世界であって、僕みたいにストリップ劇場で一人コントをやっている人は全然いなかったので」
−一人でやることにされた理由は?―
「仕方なしですよね。コンビを組む相手がいないから。今でこそみんなやっていますけど、あの頃はピン芸人ってそんなにいなかったんですよね。漫談とかモノマネ芸というのはあったけど、1人でコントをするピン芸人は。僕が一人コントをやりだしたら、みんな勇気が出てやるようになっちゃいましたけどね(笑)」
※モロ師岡プロフィル
1959年2月20日生まれ。千葉県出身。専修大学在学中に劇団で活動するかたわら、ショーパブやストリップ劇場でピン芸人としてコントを披露し、90年頃からテレビに出演。1996年、映画『キッズ・リターン』に出演し、東京スポーツ映画大賞助演男優賞を受賞。『龍馬伝』(NHK)、『半沢直樹』(TBS系)、『ドクターX〜外科医・大門未知子〜』(テレビ朝日系)、映画『あゝ、荒野』、映画『シン・ゴジラ』をはじめ、ドラマ、映画、CM、舞台に多数出演。
11月7日(木)〜10日(日)は中目黒キンケロシアターで舞台『タクシードライバー』に主演。11月30日(土)から公開される映画『漫画誕生』では福沢諭吉を演じている。
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◆ストリップ劇場で出会い結婚
奥様の楠美津香さんは女優、ピン芸人として活動し、女性ひとりコントのパイオニア的存在。シェイクスピアの戯曲を講談調のひとり芝居にアレンジした『ひとりシェイクスピア』シリーズの舞台を続けていることでも知られている。モロさんと奥様の出会いはストリップ劇場だったという。
「カミさんとの出会いは渋谷の道頓堀劇場でした。彼女が20歳ぐらいのときから知っているんですよ。向こうはコンビでしたけど、僕はひとりコントで。
そうしたらテレビ朝日の『プレステージ』っていう番組に、曜日は違うんですけど、僕と彼女のグループが出ることになって、ネタを毎週作らなきゃいけなくなったんです。
毎週自分のネタを考えるのが大変だったので、『俺がお前たちのネタを考えてやるから、俺のネタを考えて』って言って。人のネタだと無責任だから考えられるんですよ(笑)。
それからちょっと付き合うようになっちゃって。2人とも作家的なコメディアンだったから、センスも似ていたっていうのもあるんですよね」
−奥様は一時期放送作家になったのが、モロさんの芸を見て、自分もまた芸人になられたそうですね−
「そうそう。『私はモロ師岡の追っかけ』なんて言いながら、ひとりで始めちゃったんですけどね(笑)」
−それを聞いたときはどうでした?−
「向こうも芸人だし、俺も芸人だし、何かシャレで言っているなぐらいにしか思わなかったです。ものを書いて台本に起こしてコントをするというのは似ていましたけど、あいつの方が才能がありましたね。書く才能がすごくあった。理路整然と、起承転結とか、文法的にものすごいうまいんですよね。だから、それはすごい刺激になりました」
芸人としては奥様が先輩でお姉さんという立場だったため、モロさんは「お姉さん」と言っていたという。
「僕もあいつもテレビをやるようになって、2年ぐらい付き合った頃、あいつが『もう一緒に暮らせばいいじゃない。それでみんなを呼んだらビックリするよ』って言うんですよ。
シャレがきついなあって思ったんだけど、俺も『じゃあ、シャレのつもりでお前の家に荷物運ぶか』って言って運んで。だから、結婚するのも同棲(どうせい)するのも、驚かそうみたいな感じで(笑)」
−奥様がインタビューで、モロさんは酔っ払うと手を握って「結婚しよう」と言っていたとおっしゃっていましたが−
「そう言うんですけど、後で考えると、俺もシャレで言っていたような気がするんですよね。お互い芸人だから、どこまで本当なのか、シャレなのかわからない。
2人とも芸人で、俺らの一派はものすごいシャレがきつい一派だったので、シャレで返さなかったら芸人じゃないみたいに言われて(笑)。向こうがきついことを言ってきたら、こっちもそれに負けないシャレで返しますからね。
芸人って、よく言うじゃないですか。せんだみつおさんみたいに千言って、三つしか本当のことは言わないって。そんな人の集まりですからね(笑)」
−奥様とふたりで「からくり箱」を作ったこともあったとか−
「ありました。浅草に『のぞきからくり』という見せ物があったんですけど、それを再現して高田文夫さんプロデュースのギャラリーに出展しようということになって。大きな木の箱を作って、そのなかに僕らのヌード写真を入れたんですよ。箱に付けたハンドルを回すと豆電球が光って、裸が見られることもあるというやつ(笑)」
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◆「モロ師岡」は三谷幸喜さんのコントから誕生
−モロ師岡さんという芸名はインパクトがありますね−
「26歳の終わりぐらいのときに三谷(幸喜)さんがコントを書いて下さったんですけど、僕の役名が『師岡モロ』で、先輩がそれを芸名にすればいいんじゃないかって言うので、しばらく使っていたんですよ。でも、渋谷の道頓堀劇場に行っているときに、さかさまにしようと思って、香盤表のところにモロ師岡って書いたんです。そうしたらテレ東のオーディション番組が来たりしたので、それからずっとモロ師岡にしています」
−もうすぐ舞台『タクシードライバー』の初日ですね−
「やっぱり緊張しますね。どんなに稽古していても、お客さんが入ると雰囲気も空気感も全然違いますから。それで本番中に『この芝居はこうだったのか』って、絶対初日にわかるんですよね。いかに思い込みでやっちゃっていたのかって」
−今回の舞台で不安なことは?−
「全部です。今回は特にちょっと変わった作りになっているんですよ。タクシーのなかのシーンがメインですからね。タクシーのなかの会話がどう伝わっていくのかっていうのが、ちょっとドキドキですね」
−モロさんが演じるのは元ヤクザのタクシー運転手さん−
「そうです。罪を犯した人間ではあるけれども、家庭というのがあって、今はまっとうな職業についている。これまで彼はどうしていたのか、なぜ罪を犯してしまったのか、それで、なぜ彼は立ち直ることができたのかっていうことをいろいろ考えていると楽しい。お笑いの部分はいいんですけど、お笑いじゃない部分は、ちょっと照れるなって。
これお客さんが『何をかっこつけてるんだ?』って思わないかなとか。その辺もまた楽しいんですけど、これから本番に向けて、どうやって熟成させていくかというところですね」
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この日も取材の後は舞台の稽古。初日に向けて忙しい日々が続く。次回後編では俳優として転機となった映画『キッズ・リターン』の撮影裏話、ユニークなプライベートも紹介。(津島令子)