5打数0安打3三振。

“元プロ野球選手”のプライドはズタズタに引き裂かれた。

 10月4日、「いきいき茨城ゆめ国体2019」の軟式野球競技の1回戦。福島県代表、相双リテックのメンバーとして出場した元ロッテの脇本直人は、福岡県代表の北九州サニクリーンの2投手の前に完璧に封じ込まれた。


再びNPBを目指して日々練習に取り組んでいる脇本直人

 先発した相手投手の球速は、120キロ台後半から130キロ台前半のボールがほとんど。それでもストレートと同じ軌道からベース付近で鋭く曲がる変化球に、最後まで自分のバッティングをさせてもらえなかった。

 脇本は高校時代、健大高崎(群馬)の選手として2014年夏の甲子園に出場。4試合で16打数8安打、6盗塁を記録して、全国にその名を轟かせた。

 大会後は、侍ジャパンU−18の日本代表にも招集され、切り込み隊長として活躍。同年秋のドラフトでロッテから7位指名を受けて入団。将来を嘱望されてのプロ入りだったが、3年後の2017年に戦力外通告を受け、21歳でプロの世界を去ることになった。

「今は軟式の実業団(相双リテック)に入ってやっているんですけど、たまにテレビでプロ野球の試合を見ていると、『あそこでやりたいな』と思う気持ちは出てきます。ロッテはもちろんですけど、ほかのチームの試合を見ていてもそういう気持ちになる。それが今の自分を奮い立たせているというか、『もっと頑張らないとな』って思います」

 戦力外通告から2年──握るボールは”硬式”から”軟式”に変わった。23歳の青年は突きつけられた厳しい現実にもがきながらも、自分に残されたわずかな可能性にかけようと、光の射す方向を探している。

「今のまま野球だけをしていてもいいのか……」

 そんな将来の不安も感じながらも、野球をしている時はすべてを忘れさせてくれる。

 元プロ野球選手である脇本が、この国体でこれほどバッティングに苦しんだのには、もちろん理由がある。

 ひとつは、社会人の軟式野球レベルの高さである。高校、大学時代に全国大会に出場した選手も多く、一昨年、昨年とドラフトの隠し玉として名前が挙がった150キロ右腕の中山匠(キャプティ)や、大学時代にプロから高い評価を受けていた田村和麻(京葉銀行)の姿もある。

「ウチのチームにも(甲子園経験者は)何人かいますし、ピッチャーの辻本(那智)さんも青森山田で甲子園に出ています。レベルは高いです」

 そう話す脇本のチームメイトには、ほかにも2年前まで硬式の社会人野球チーム・きらやか銀行で投げていた小林弘樹もいる。

 それだけのレベルであるから、本気で取り組まないとレギュラーとして試合に出られないと、脇本は言う。試合も引き締まった展開になることが多く、元プロである脇本とはいえ、容易にヒットを打てるものではない。

「最初に軟式と聞いた時は『えっ、軟式』って感じで、上から見るような感じで受け取っていたんですけど、入ってみたら全然そんなことはなくて……硬式とあまりレベルは変わらないですし、ボール自体はゴムなんですけど、重みがあって、打つのは難しいんですよ」

 国体で無安打に終わったもうひとつの要因に、実戦感覚の影響もある。

<プロ野球退団者は、退団してから満1年を経過しないとアマチュア復帰申請ができない>

 これは全日本軟式野球連盟(JSBB)が定めている元プロ選手のアマチュア復帰に関する規定だ。脇本もこの規定に従い、約1年間、実戦出場が許されなかった。

「最初は不安もあったんですけど、逆にむちゃくちゃ練習しましたし、今年に入って試合に出られるようになったんですけど、その時はあまりブランクを感じませんでした」

 脇本はそう語るが、細かな部分で感覚は鈍っていた。

 5打席すべてファーストストライクを打ちにいけず、瞬く間にバッテリー有利のカウントをつくらせてしまった。それに早いカウントでもノーステップで打ちにいっていたように、タイミングを取るのに苦労していたように映った。

 相双リテックの塚本泰英会長の反応も厳しい。

「僕は、なぜ(プロを)3年で終わったのかがわかりません。一番わかっているのは本人でしょうし、足りないところをしっかりと補う練習をしてきたと思います。でも、今日みたいな結果じゃ無理でしょう。全然ダメです。これじゃ、次の試合は出られないですよ」

 脇本のプロ復帰を誰よりも応援している塚本会長だからこそ、その評価も厳しくなる。2年前、ロッテから戦力外通告を受け、路頭に迷っている脇本に救いの手を差し伸べたのが塚本会長だった。

「高校時代、彼は日本を代表する18人に選ばれているわけです。その後、ドラフトで指名され、ロッテに入った。でも、3年で退団になってしまった。高卒で(プロに入って)、ましてや7位ですから、個人的には3年で結果を要求するのは厳しいんじゃないかと思ったんです。しかし、プロの世界はけっして甘いものじゃないですし、なぜ3年で終わってしまったのかを彼自身が考えて、足りなかった部分を努力しなければいけません。また(プロに)戻れるように……そういう思いで、今も見ています」

 脇本は軟式に対応するため、インパクトの位置を変えた。ロッテ在籍時は、打球にバックスピンをかけるためボールの下っ面を打っていたが、その打ち方では軟式だとボールは潰れてしまい、ポップフライになってしまう。そこで脇本は低いライナーや強いゴロを打つイメージで、バットを上から叩くスイングに変えた。

 軟式で150キロ近くを投げるピッチャーに対応するには、バットをレベルで出して、ボールの真ん中を叩く必要があると考えた。そのためには、少々強引でも練習ではバットを上から被せるように出して、意識づけする必要があった。

 使用するバットは、高反発系の金属バットではなく、プロにいた時と同様に木製だが、修正してもらった。

「オーダーしました。できるだけインパクトのところを太くしてくださいと頼みました。長さも(プロで使用していたバットより)1センチだけ短くして、しっかりとらえやすいようにしようと」

 木製バットにした理由を、脇本は次のように語る。

「高反発系の金属バットだと軽すぎて、体が早く開いてしまう。それが気になったので木製で打つことにしたんです」

 バッティングは試行錯誤を重ねている脇本だが、守備と走塁については今も健在だ。

「ロッテ時代、大塚(明/外野・守備走塁コーチ)さんからうしろの打球は『目を切れ』とよく言われました。打球を追うときにすごく楽に感じますし、今になって『練習しておいてよかったな』と感じることがよくあります。ほかの外野手ならヒットにしてしまう打球も、自分なら捕れたなと思う感覚がだいぶ残っていますし、いま振り返れば大塚さんに教えてもらったことがすごくためになっています」

 そんな脇本の外野守備は、味方投手からの信頼も厚い。辻本は脇本の存在についてこう話す。

「(脇本が)いるのといないのとでは、たいぶ変わりますね。守備範囲が広いですし、一歩目のスタートが早く、打球への判断がいいので、抜けたと思う打球でも捕ってくれるという安心感があります」

 走塁面でも健大高崎で培ったノウハウを、ほかの選手たちに伝授する。

「走塁については、結構教えています。たとえば、盗塁のスタートだったり……左投手のときは、こうしたほうがスタートを切りやすいとかですね」

 今後について、脇本はこう口にする。

「(プロ野球合同)トライアウトは、今年は受けずに、1年ここで頑張ってから受けようと思っています」

 プロ復帰を願って応援してくれる塚本会長の思いに応えたい気持ちもあるし、野球選手として完全燃焼しきれていない自分にけじめをつけたい思いもある。だからこそ、やるからには本気で復帰を目指す。

 そして自分の可能性をつなげてくれた軟式野球への尊敬と感謝の気持ちも忘れない。取材の最後にこんな言葉をつけ加えた。

「軟式野球のレベルが高いということを世間に広めてください」

 たくさんの感謝を胸に、脇本は今日も元気な声を張り上げている。