抜毛症で大学にも行けなくなった小林さんのその後とは…?(写真:筆者撮影)

脱毛症ではなくて「抜毛症」? 初めて目にする単語でした。調べてみると、自分で自分の頭髪を引き抜いてしまう症状とのこと。「抜かなければいいだけでしょ」と思われそうですが、自分の意志ではやめられないのが「抜毛症」なのです。

画像を検索すると、髪が部分的にない人もいれば、頭皮全体の半分以上が露出した人もいて、抜毛の度合いは人によって異なることがわかります。


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連絡をくれたのは、福岡県に住む小林香也子(こばやし・かやこ)さん、43歳。もうすっかり症状はなくなりましたが、高校生の頃から10年近く、抜毛症に悩まされました。

「どん底にいた20歳のとき、いつか明るいメッセージを発信する人になろうと決めた」という彼女に、話を聞かせてもらいました。

「頑張れていない自分」が怖かった

今から20年以上前。小林さんが、髪の長い女子高校生だった頃のことです。

「最初は癖みたいな感じで、1、2本抜いていたんです。もちろん病気とは思っていませんでした。でもだんだんココ(頭頂部)が円形に抜けてきて、親もびっくりして、『やめようよ』と言われるようになって。

インターネットもそんなに普及していない時代だったので、“抜毛症”ともわからなかった。受験のストレスかな?と。だから大学に受かったら治ると思っていました」

その後、実家からやや離れた大学に無事合格し、寮で一人暮らしをスタート。初めは髪を抜かずにいたのですが、半年くらい経って症状が再発しました。

「ばーっと抜き始めたとき、『ああ、これはストレスとかではなく、精神的な病気なのかな』と思い、大学病院の精神科に行ってみたんです。そうしたら『抜毛症という病気ですよ』と言われて。薬をもらえたので、これで治るのかなと思い、通っていたんですが、症状はひどくなるし、薬の副作用がひどくて、だるくて起き上がれなくなって。寮でずっと寝ているようになり、大学にも行けなくなってしまいました」

できないことがだんだんと増えていくのは、恐ろしいことでした。過呼吸を起こしてバスに乗れなくなる。手が震えて歯ブラシを持てなくなる。それまで「なんでも頑張らなければ」と思って過ごしてきたため、「頑張れていない自分、結果を何も出せない自分を、すごく怖く感じた」そう。

「抜毛症のことは友達みんなにも、家族や付き合っている人にも言っていたんですが、不安な気持ちをわかってもらえないんですよ。みんな優しいし、わかろうとしてはくれるんだけれど、誰にも気持ちを共有してもらえない。それで、どんどん不安定になっていきました」

友人たちが楽しそうに過ごすなか、小林さんは精神科に入院し、大学を中退します。「1人になった」という孤独感でいっぱいでした。

「でも、入院してみたらいろんな病気を抱えている人がいて、話してみたら打ち解けるんです。どこにいても打ち解け合える人はいるんだな、と思って。病院食も、最初は『おいしくないな』と思っていたのに、3カ月もいたら楽しみになってきて。どういう状況でも、楽しみってあるものだな、と思いました。

長く入院されている方もいたので、そのうちだんだんと『ここにいるから治るというものでもないし、先生が治してくれるわけでないんだな』ということがわかってきて。『舵を取るのは自分なんだな』と。そう気づいたのが20歳くらいのときです」

誰かに言われたのではなく、自分で気づいたのがよかったのかもしれません。自分が主体的に舵取りをしていかないと、おそらく10年後も今と同じ生活をしているだろう――。「これまでとは違うことをしなければ」と気づいた小林さんは、行動を変えました。

「まず、ノートに思いついたことを書きとめて、カウンセリングのとき先生(担当医)に報告するようになったんです。それまでは、ただ『今週もつらかった』とか『また不安です』みたいな話しかしていなかったのが、『今週はこんなことをしてよかったので、来週はこういうことをしてみようと思う』といった話をするように変わって。

そうやって自分が主体となってカウンセリングに取り組み始めたら、だんだんと調子がよくなっていきました」

私だけは、自分の味方になろう

担当医から「働いてみたら?」と言われたのが、22歳のとき。そこでアルバイトから始めることにしたのですが、応募してもなかなか採用されません。面接のとき、「精神科に通っているため休みが必要」などと正直に話していたからです。

「いまは障害者雇用が進んでいるのでだいぶ違うと思いますが、当時(20年前)は『元気じゃない人が働こうというのは、わがままじゃないか。治ってからやればいいじゃないか』ということを、よく言われました。

でも途中から履歴書に通院のことを書くのをやめたりして、ときどき採用されるようになってきて。友達が『またそんなこと書いたの? 健康状態の欄は、必ず“良好”と書くもんだよ』と言って笑い飛ばしてくれたので。これまでずっとそうですが、いろんな友達に支えられて、なんとか頑張ってこられた感じです」

なおこの頃、抜毛の症状は出たり治ったり。外出時はウィッグを着けるか、帽子をかぶっていたので、人目に触れて困るといったことはありませんでした。

面接に通るにはどうすればいいか? ほかにもいろいろと策を練りました。履歴書の書き方を変えたり、面接の受け答えを工夫したり。しかし今度は、ときどき採用はされるものの、体調がよくないこともあり、すぐ辞めさせられてしまうことが続くようになりました。

「みんなが肌でわかっているルールみたいなことが、わからないところがあって、とにかくいろんなことができなくて。職場に行くだけで精いっぱい、という感じでした。周りの人にもよく思われないし、そうすると自分で自分を責めてしまうんですよね。

でもそれだと、私に味方が1人もいないでしょう? こんなやり方はよくないな、と思って、もう『自分を責めるのはやめよう』と決めたんです。せめて私だけは、自分のいいところを見つけようと」

そこで小林さんが取り組んだのは、そのときどきで、1つでも自分の「いいところ」を探すことでした。

「職場をクビになっても、『笑顔であいさつできた』とか『2カ月行けた』とか。内容は何でもいいんです。そのうえで、『次の職場ではどうする』といった課題を必ず1個見つけることにしたんです。『前回は2カ月だったから、今度は3カ月頑張ろう』とか『前はここで失敗したから、次はこうしよう』とか」

「はいつくばるように働き」ながらも、生活を楽しむことも意識しました。1カ月働けたら、自分にちょっとしたご褒美を買ってあげる。休みの日には友達とお茶をする。少額ながらも、自分でお金を得られるようになったから可能になった楽しみでもありました。

25歳のとき、通院・服薬が終了します。小林さんの抜毛症の症状は、ついに、なくなっていました。

「仕事って面白い」と思えるようになるまで

めでたしめでたし……と思いきや。ここで小林さんは、大変なことに気づいてしまいました。それは、自分がまだ「幸せ」になっていない、ということです。

「それまでずっと、抜毛症が治って病院通いが終わったら、バラ色の人生になるんじゃないかと夢見ていたんですけれど。実際は病院通いがなくなっただけで、相変わらず不安定だし体調もよくないし、仕事も面白くない。結局、外側の条件だけいくら整っても、『幸せ』とは感じられないんだなと思って、すごくびっくりしたんですよ。何のために今まで頑張ってきたんだろう、って。

そのときにまた、振り出しに戻った感じになりました。もちろん病気が治ったのはうれしいけれど、それだけでは『幸せ』にはなれないんだとしたら、どうしたらいいのか? それで『仕事が面白い』と思えるようになりたいな、と思ったとき、以前短期でアルバイトをしたある会社を思い出しました。その会社の人たちはすごく楽しそうに働いていたから、あそこに行けば、何かヒントが得られるんじゃないかと思ったんです」

さっそく電話をして、「働きたいんですが、何か仕事はないですか?」と尋ねたところ、「パソコンができるようになったら、もう1回電話をして」という返事。そこで小林さんはパソコン教室に通って資格を取り、再度トライしました。週1日から働き始め、徐々に働く日数を増やしていくことに。

今度の職場は、これまでの職場とは違いました。社員教育の研修をしている会社だったせいか、社長の「教え方がすごく丁寧」だったのです。小林さんがうまくできなかった仕事の何が問題だったかを具体的に指摘し、どうすればいいかを自分で気づくように導いてくれたので、徐々に「自分に合うやり方」が見つかるようになってきました。

「仕事って面白い」。初めて思えたこの会社で、小林さんは今も働いています。

仕事だけではありません。2006年には5年付き合っていた男性と結婚。2010年ごろから「自分の生活を充実させるために時間を使おう」と決め、私生活も変え始めます。本を読む、食生活を改善するため料理をする、苦手だった運動を生活に取り入れる、ボランティア活動に参加する、気になる講座に参加してみる――。そうこうしているうちに、子どもにも恵まれました。

「すごく楽しく前向きな気持ちで、いろいろ積極的にやっていたのがよかったんでしょうね。だんだんすごく元気になっていって、現在に至ります。最近は抜毛症のことなど、私の体験を伝える講演活動もするようになりました」

なお小林さんは、診断はついていないものの、自分には発達障害に近い傾向があると感じているそう。そこで、自分と同じようなタイプの人がどうやったら仕事を続けやすくなるか、というテーマで講演を行ったところ、当事者からも受け入れる企業側からも、「参考になる」と大きな反響があったということです。

たとえ症状は治らなくても、心は回復できる

振り返ってみて、自分がなぜ「抜毛症」になったのか? 「わからない」と小林さんは言います。「家庭環境に原因がある」という人もいますが、小林さんの場合にはあてはまらないのです。

「今思うと、高校生のときは“もっともっと頑張らないといけない”という気持ちがすごく強くて、ずっと自分のことを責めていました。本当は1人でいるのがすごく好きなのに、“もっと社交的じゃないといけない”と思ったりして、あるがままの自分を受け入れることができなかった。周りを整えることばかりに必死で、自分のことを置いてきぼりにしていたんです。

『自分を大切にする』、なんてよく聞く言葉ですけれど、すごく大事だな、と思うようになりました。やっぱり『自分』なんですよね。ほかの誰でもなく、自分が自分の味方になってあげること。それしかないのかな、と思います」

小林さんは今、抜毛症から「完全に回復した」と感じているそうですが、「完全に回復」というのは、どんなことなのか? 私が尋ねると、こんな答えが返ってきました。

つらかった過去は、今の小林さんの一部

「昔入院していたとき、看護師さんから手紙をもらったんです。『今はつらい毎日かもしれないけれど、いつの日か“あんなこともあったな”って懐かしく思い出せる日がくることを願っています』と書いてくれて。その手紙を何年か前にたまたま見つけたとき、『あ、私、今この状態になっているな』と思ったんです。思い出したときに、別につらくない。

あの頃ずっと、抜毛症は自分の人生の中心にあったけれど、いつの間にか私を構成する“ほんの1個”になっていた。それって、なんて前向きなことだろうと思うんですね。心ってちゃんと回復するんだ、人間ってちゃんと回復する機能を持っているんだなって思う。すごく希望になりますよね」

なお、小林さんは抜毛症が完治した人ですが、最近は抜毛症が治らなくても、髪を剃ってスキンヘッドで活躍する女性も現れています。それについてはどう思うのでしょう。

「こういうのも新しいし、いいなと思います。私の頃はSNSもなかったので、当事者同士でつながることもできなくて、(抜毛症を)『治す』以外の選択肢はないと思っていたんですけれど。彼女の場合、症状は回復しなくても、心理的には回復されているんですよね。自分がいいと思えれば、それでいいと思います」

いろんな価値観があるし、どの選択肢でもいい。「自分で選べるんだ」ということを、知ってもらいたい。小林さんが発するメッセージは、悩んできた大きさと深さ、根っからのまっすぐさと前向きさが、強くにじみ出たものでした。

本連載では、いろいろな環境で育った子どもの立場の方のお話をお待ちしております(例/戸籍をもたない方、外国ルーツと見た目でわかる方、何かしら障害のある親のもとで育った方、親が犯罪者となる経験をした方、など)。詳細は個別に取材させていただきますので、こちらのフォームよりご連絡ください。