データで見ると今の日本の貧困はどのようになっているのでしょうか。写真はイメージ(写真:Ryuji / PIXTA)

2019年現在、「日本に貧困はない」と言う人はいません。「一億総中流」だった時代は過ぎさり、それこそ「一億総活躍社会」が政府のスローガンになる時代です。これは逆説的に言えば、それだけ活躍できていない人がいる、ということを象徴的に表しています。

平成の始まりとともにバブルが崩壊し、都市部ではホームレス状態の人がターミナル駅などを中心に一気に増加。2002年に「ホームレス自立支援法」が成立した一方で、2004年の製造業派遣が解禁されたのを機に、非正規労働者が全国に急速に拡大していきました。

2008年秋には「リーマンショック」とその後の「年越し派遣村」により、社会問題としての「貧困」があぶり出されると同時に、その対策の必要性が社会的にも提起されました。そして2010年代には「子どもの貧困対策法」「生活困窮者自立支援法」をはじめとした諸施策が誕生する一方で、厳しい社会保障費の削減や圧縮も見られました。

私たちの社会は、高度経済成長とともに一度忘れかけていた「貧困」という問題に再会し、その大きな壁にぶちあたっています。

認定NPO法人自立生活サポートセンター・もやい理事長の大西連氏の著書『絶望しないための貧困学 ルポ 自己責任と向き合う支援の現場』を基に、本稿では、この問題のこれからを考えるためにも、まずは現在地を共有することを目的とします。

相対的貧困な人は2015年に15%

「貧困」について考える指標に、「絶対的貧困」と「相対的貧困」という概念があります。

世界銀行のデータ(2015年)によれば、1日1.9ドル(アメリカドル)未満で暮らしている人は世界で約7億3600万人、人類の約10%になるといわれています。もちろん、国や地域によって物価は違いますが、1日1.9ドル(=2019年5月末時点で約210円)未満の生活というのは、食べ物を買えない、安全な水を得られない、学校にも病院にも行くことができないなど、相当な困窮状態にあるといえ、「絶対的貧困」と呼ばれます。

一方の「相対的貧困」とは、その国で生活している人の中で、相対的に貧困状態にある人がどのくらいいるかという指標です。国民一人ひとりを所得順に並べたとき、真ん中にくる人の値の半分に満たない人の割合を指します。

2015年の日本は、この真ん中の値が244万円(月に使えるお金が約20万円)だったので、その半分にあたる122万円(月に使えるお金が約10万円)以下の人が15.7%とされました。

このように、「貧困」と言ってもさまざまな尺度があり、先進国の中にも「貧困」は存在します。日本は「絶対的貧困」こそ少ないものの、「相対的貧困」の年次推移を見てみると、実に6人に1人が貧困状態にあり、その割合は増加傾向にあります。国際比較でも、日本の相対的貧困率の高さはOECD諸国の中で上から数えたほうが早いくらいなのです。

貧困の歴史―「寄せ場」から「派遣村」まで

では、この「貧困」という問題は、この社会の中でどのように存在してきたのか、その歴史を確認してみましょう。

「寄せ場」という言葉を知っていますか? 日雇い労働者と彼らを雇いたい人が集まる場のことです。高度経済成長期には、日常的に行われていたことですが、違法・不当な労働環境も多く、社会保険や労災に入れないこともざらでした。

日本の建築ラッシュの担い手として活躍したのが彼らなのですが、バブル崩壊以後、その多くが職を失いました。収入も、貯蓄も、保障もない。家族もいない。ドヤ(簡易宿所)に泊まるお金もない。そうした人々が駅や公園、河川敷などに「ホームレス」として住むようになったのです。

当初、国や自治体は彼らを排除しようとしました。1994年と1996年には新宿で「強制排除」がおこなわれ、当事者・支援者の反対運動が盛んになりました。

1998年、新宿駅地下の段ボール村での火災で亡くなった方が出たことで、ホームレスの人たちが置かれた劣悪な環境に注目が集まり、2002年には「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法(ホームレス自立支援法)」が成立。ホームレス問題の解決が国の責任とされたのです。

そして現在、雇用環境は大きな変化を迎えています。2004年に派遣法が改正され、製造業において派遣労働が可能になりました。公的な機関でも派遣労働者や契約社員など、不安定な働き方・働かせ方が一般化し、「ワーキングプア」と呼ばれる働きながらも貧困状態にある人たちの存在が顕在化しました。

「寄せ場」を中心としていた日雇い労働の仕組みも、インターネットや携帯電話の普及により、日雇い派遣、登録型派遣という形式で一部合法化され、ウェブサイトを通じて職を探したり、携帯電話を使って就活が行われたりするようになりました。この流れは、「ネットカフェ難民」と呼ばれる人たちの増加を加速しました。

2008年のリーマンショックの衝撃も大きなものでした。派遣労働者が大量に雇い止めされた結果、年末年始の日比谷公園に一時的とはいえ約500人が押し寄せました。雇用の不安定さが住まいの喪失に直結しかねないという現実が、「年越し派遣村」などの活動を通じて広く認知されるようになったのです。

時代の変化とともに雇用・家族・住まいのあり方は変容し、若年層にまでも「新しい貧困層」が拡大しているのが、この国の現状です。

こうした歴史を踏まえると、近年、日本で「非正規労働者」が急増していることが腑に落ちるのではないでしょうか。

総務省「労働力調査」によれば、1984年には15.3%だった非正規労働者が2018年には37.9%と急増しており、働く人の3人に1人以上が非正規労働をしているということになっています。この中には、主婦のパート労働や学生のアルバイトなどの「家計補助」的な働き方も含まれます。

しかし、一家の大黒柱としての「家計維持」的な働き方としても、非正規労働は一般化している傾向があります。

そもそも非正規労働者とは、正社員ではない人たち全般を表す言葉。契約社員・派遣社員・アルバイト・パートなど、期間の定めがあったり臨時的な仕事だったりと、雇う側からしたら需要や収益の状況に合わせて調整できるという利点があり、バブル崩壊以降、日本でも一般的な雇用形態として定着しました。

一方、非正規労働は正規労働と比べて、「雇用が不安定」「給料が安い」「福利厚生がうすい」といった特徴があります。いったん非正規雇用で雇われると正規雇用になるのが難しく、雇用の不安定化と低所得化が固定化されてしまうという問題もあります。

実際、非正規労働者の増加の影響を受けて、近年、低所得者が増加しています。国税庁の「民間給与実態統計調査」によれば、年収200万円以下の人は2013年で1120万人。これは働く人の24.1%、東京都の人口とあまり変わらない数です。

2000年には18.4%であったことを考えると、この10年間で約6%の上昇。数にしたら300万人程度の人が新たに年収200万円以下の状態に転落したといえるのかもしれません。

個人の自己責任だけでは片付けることのできない、構造的な問題がここにはあるのです。

注目を集めた「女性」の貧困、「子ども」の貧困

貧困問題は、「〇〇の貧困」というように、ある特定の形を付与しながら語られることが多いです。最後に、ここ十数年でとくに語られることの多かった「女性」と「子ども」の貧困について確認しておきましょう。

女性の貧困について考えるとき、背景にドメスティックバイオレンス(DV)の問題があることを忘れてはいけません。DVとは、主に夫婦やカップル間での暴力のことを指します。

ここでいう暴力とは、必ずしも殴る蹴るなどの身体的暴力のみを指すものではありません。

具体的には、「身体的暴力(殴る・蹴る・叩く・物を投げるなど)」「精神的暴力(暴言・脅迫・いやがらせなど)」「性的暴力(性的ないやがらせ・性的な行為の強要など)」「経済的暴力(必要なお金を渡さない・お金をせびるなど)」「社会的暴力(ほかの人と会うことを嫌がる・出かけることを嫌がるなど)」などが挙げられます。


これらを個々人の問題ではなく、解決すべき社会問題として捉える流れから、2001年に「DV防止法(配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律)」が成立しました。2012年の内閣府の調査結果では、既婚女性の3人に1人がDV被害経験を持ち、23人に1人が生命の危険を感じるほどの暴力を受けたことがあると報告されています。

現実にDVを受けていても、被害者側が経済的に自立していないために、逃げ出したくても逃げ出せないというケースがよくあります。また、DVが原因で仕事を続けられなくなったり、引っ越しせざるをえなくなったりと、被害者側が経済的な基盤や人間関係を失ってしまうこともあります。社会の問題として、まだまだサポートが足りていない状況です。

暴力の問題は女性に限らず、子どもや障害者、高齢者などの弱い立場にある人に及ぶことも多く、いわゆる「児童虐待の防止等に関する法律」「障害者虐待防止法」「高齢者虐待防止法」など、さまざまな施策が整えられつつあります。

しかし、このような流れがあること自体、それだけこういった人たちが社会の中で暴力を受けやすく、経済的な自立が難しいという証左でもあるのです。

女性や子どもを取り巻く状況は待ったなし

また、ひとり親家庭の貧困率は54.6%(2012年)と高く、「母子世帯」では95.9%が平均所得金額以下で生活しています(2013年「国民生活基礎調査」)。子どもの貧困率については2015年に13.9%と、2012年の16.3%から減少したものの、それまでは上昇傾向にありました。女性や子どもを取り巻く状況は待ったなしなのです。

なお、「女性」や「子ども」というように、特定のテーマをもって問題を語ることは、物事をわかりやすくする一方で、その背景にある複合的な要因を見えづらくする方向にも働きます。

その是非については本稿では踏み込みませんが、私たちには、この記事で確認したような「数字」だけでなく、実際に「貧困」という状態を生きる人々の生に対する想像力も必要なのです。そのうえで、これからの話をする必要があるでしょう。