「ミスターチーズケーキ」は保冷剤入りが3456円で、箱入りが4320円。販売サイト上では、「世界一じゃなく、あなたの人生最高に」という文句が(撮影:今 祥雄)

4分間で350本――。自社サイトのみでの販売にもかかわらず、大ヒットしているチーズケーキがある。フランス料理人の田村浩二氏が手がける「ミスターチーズケーキ」がそれだ。

チーズテリーヌと呼ばれる最近流行中のクリーミーなタイプで、スプーンですくえるほど柔らかい。甘酸っぱい味のチーズケーキは、新しさがありながらも、どこか郷愁を誘う。ネットで購入すると冷凍状態で届くため、そこから半冷凍、そして完全冷凍の状態と食感の変化を楽しめるのも特徴。ネットで予約を受け付けたとたん、わずか4分で350本も売れたことがあるという知る人ぞ知るケーキだ。

販売開始から1カ月後、いきなり200本売れた

もともと東京・白金台のレストラン「ティルプス」でシェフをしていた田村氏が“個人的に”チーズケーキを売り始めたのは2018年4月のことだ。インスタに乗せたケーキの試作品のウケがよかったため、販売に踏み切った。それから1カ月たったある日のこと、1日でいきなり200本売れた。7万人ものフォロワーがいる人がツイッターで拡散したことがきっかけだった。


人形町の「工場」で作られているチーズケーキ(撮影:今 祥雄)

以来、チーズケーキだけで生活できるほどの売り上げとなり、7月にティルプスを辞めた。12月には人形町に厨房を整え、スタッフも雇って改めてチーズケーキ販売に専念。毎週日曜日と月曜日の朝10時に予約を受け付ける方式でチーズケーキを売っている。

数あるケーキの中でチーズケーキを選んだのは、子どものころ母親が毎年誕生日に作ってくれたケーキだったから(父親の誕生日にはショートケーキを作っていたという)。「料理好きの母がテングサと小豆から水ようかんを作る姿を見ているから自分もできるかな」と思ったのは、高校3年生のときだった。親友の誕生日に「ネットで見つけたレシピをもとに、ケーキを焼いて学校へ持っていったら、みんながすごく喜んでくれた」。そのことがうれしくて、人を喜ばせられる料理人を志した。

「シンプルで誰が食べてもおいしいものを、誰よりもおいしく作りたい」と考案したケーキは、「その瞬間でしか食べられないはかない食感」を目指した結果、クリーミーで柔らかいチーズテリーヌに。クリームチーズにサワークリーム、ヨーグルト、生クリームと4種類も乳製品を使う。小麦粉は使わず、コーンスターチとホワイトチョコレートと卵で、形を保てるギリギリの固さにしてオーブンで焼く。常温では崩れやすいので冷凍して発送する。

香りづけもバニラにレモン汁、そしてトンカ豆という桜餅や杏仁豆腐を思わせる香りを持つ香料、と3つも使う。その結果、「体験したことがないけれど、何か記憶に残っている。懐かしさと新しさを同時に持つことができる」香りと味わいを持つ商品が完成した。

顧客からは、「チーズケーキを好きじゃない人が食べてくれる」という声が届き、SNSで「子どもが食べました」と送られてくる写真では、「ほぼお皿を舐めています」と田村氏はうれしそうに語る。子どもから大人まで「ハマる」のは、チーズの濃厚さより、甘酸っぱさを感じさせる「カルピス的」な優しい味わいゆえかもしれない。

フランス料理人から“いきなり”チーズケーキ店に転身したようにも見えるが、独立したのは熟考の末だ。そしてそこには、ちゃんとした戦略とビジョンがある。それは料理人や飲食業界の常識を問うものである。

「店を持つこと」がゴールでいいのか

現在、33歳の田村氏は、新宿調理師専門学校を卒業後、いくつかの店で修業してシェフも務め、2015〜2016年にはフランスで修業。2017年にティルプスのシェフになる。翌年、フランス発の美食ガイド『ゴ・エ・ミヨ』で「2018年度期待の若手シェフ賞」に選ばれた。

賞を取ると、レストランに来る客層が変わった。「食べることに興味がある人とかフードジャーナリストが多くなった。でも賞を取ったからといって僕が変わるわけではないし、料理がおいしくなるわけでもない」と疑問を抱いた田村氏。「有名になりたい」という気持ちが、自分の原点と違っていたことに気がついた。


起業家精神あふれる田村氏は、従来の料理人のキャリアに縛られていない(撮影:今 祥雄)

それ以前に、オーナーシェフを目指す従来の料理人のキャリアに疑問を抱いていた。とくにフランスから帰国後、料理人同士で素材や料理法について語り合うより、客の起業家などとビジネスとしてのレストランを語るほうが楽しくなった。

「レストランでは、料理人が2年、3年周期で店を移るのが当たり前。ということは、店を持ったらつねに人を探す苦労が付きまとう。また、客単価と客数と営業日数で売上が決まるので、先が見えてしまう。スタッフに多く給料を払おうとすると利益が減るから、新しい挑戦もしにくい。店を増やして利益を伸ばすことはできますが、別の人がシェフをする支店では『味が落ちた』とか言われがち。数字を伸ばすのが難しい業界なんです」

「しかも、ちゃんとした店を開こうと思えば4000〜5000万円もかかるから、借金返済のため店に縛られてしまう。自分のこれからを考えたときに、30代のいちばんいい10年間をレストランという業態に注いでいいのか。それは違うかなと思ったんです」と田村氏は話す。

そんな話を人にしているうちに自分の考えが整理されていき、2018年2月か3月ごろにケーキの試作を始めていた。利益率が低いぜいたくなケーキをあえて売り出したのは、このケーキを定番のニューヨークチーズケーキや、今年流行中のバスクチーズケーキなどと並んで、「東京チーズケーキ」と、地名を冠して呼ばれる代表的な存在にしたい、という野望があるからだ。

チーズケーキは国を選ばない普遍性がある

「チーズケーキやシュークリームなど、昔からあるお菓子はスタンダードとしてロングセラーになる可能性がある。だけど今のところ、人気のチーズケーキは全部海外から持ってきたものばかり。日本から世界に『東京ってすごいんだよ』と発信したい」と田村氏。

ケーキはもともと欧米から来たものであり、日本は海外から学んできた歴史がある。しかし、やはり欧米からもたらされたパンでは、すでに独自の菓子パン・総菜パンの文化を育てて海外のパン職人が技術を学び導入する存在になっている。欧米からも品質の高さが評価されるケーキでも、そろそろ日本発で外国に受け入れられるジャンルが登場してもおかしくない。


ミスターチーズケーキの箱には、田村氏の名前が入っている(撮影:今 祥雄)

田村氏は、パリやニューヨークで期間限定のポップアップショップを開いて話題を集めた後、アジア圏で本格販売をしたいと考えている。なぜなら「チーズケーキは国を選ばないお菓子だから。そうしてミスターチーズケーキを圧倒的なブランド力を持つ商品に育てた後、ほかの分野へも手を伸ばしていきたい」と語る。

また、今後は都内にアンテナショップを開き、リアルの世界でも知名度を上げていきたいと考えている。

しかし、田村氏のビジョンは、ケーキだけに限定されていない。独立前の2017年9月、同世代のマーケター、農業科学者と3人で「ドット・サイエンス」という会社を立ち上げ、高付加価値食品のプロデュースなどのビジネスを行っている。その商品は例えば、無農薬のエディブルフラワーでフレーバーをつけたアイスクリームや、アクア・パッツァの材料としても使えるハーブとガーリックの香りをつけた干物などである。

食品開発のビジネスを始めたのは、シェフとして生産者のところを回るうちに、「すごくいいものを作っているのに世に知られていない人」にたくさん出会ったからだ。その食材を「消費者に知ってもらいたい」と思った。ここまでは、現代のシェフには珍しくない発想だ。しかし、田村氏はその背景にある世相にまで視野を広げる。

「いい食材を紹介しようと思っても、今の消費者は料理しないから、野菜がそのまま届いても困ってしまう。それを変えるには料理の立ち位置を変え、消費者の意識を変えることが必要。将来は、料理する人口を増やしてよい食材を求める人を増やすためのプラットフォームを作りたい」と語る。

生産者の高齢化が進んでいる今、やがて彼らが作る食材がなくなる危険性にも気がついている。その未来を変えるためには、ただ食材を届けるだけではダメだと考えているのだ。

ミレニアル世代の「共通点」

近年、生産者や食材に光を当て、貴重な食材の魅力やその歴史、伝統的な製法で食品を作り続けている生産者の思いを伝えようと試みる料理人が増えている。自分自身が「メディア」の役割を果たして、何が魅力的で何が問題なのかを発信しようと試みるシェフが大勢いる。それは、1990年代の人気テレビ番組「料理の鉄人」などにより、シェフに光が当たるようになったことが大きい。

社会的責任を自覚したシェフたちの中から、近年、田村氏のように、生産人口の減少や環境負荷などの持続可能性にまで目を配る人も出てきた。また、田村氏に限らず、1980年代以降に生まれたデジタル・ネイティブのミレニアル世代には、仕事を通じて社会貢献をしよう、と発想する人が目立つ。

インターネットなどを通じて世界とつながり、視野を広げられる今、単においしい料理を作るだけでは満足できない新しい世代が育っているのだ。

田村氏にとって、日本発のチーズケーキを世界に広めたいと考え、料理と食材の未来を育てるビジネスを構想することは、自然なことなのかもしれない。何しろ彼らが育った時代には、右肩上がりの世の中も安定した社会もなかった。そして日本は経済大国だったが、すでに陰りが見えている国でもある。変化しなければ生き残れない、と危機感を抱く人たちが、世の中の「当たり前」を変え、未来を切り開くのではないだろうか。