声優になるための必要な能力や、キャラクターと声優の不思議な関係を、中尾隆聖さんに教えてもらいました(写真:studio-sonic/PIXTA)

昔と違って、最近は地上波のテレビ番組に出ることも珍しくなくなった「声優」という仕事。声優業界に憧れる若者は多くいますが、いったいどんな世界なのか? 

今回は「声優に求められる資質」について、フリーザやばいきんまんなど数多くの人気キャラクターの声を担当する中尾隆聖氏が上梓した新著『声優という生き方』から抜粋して紹介します。

よく勘違いされますが、声優事務所のマネジャーは役者個人についているわけではなく、収録スタジオごとにつくのが一般的です。

音響制作会社がいくつかあって、マネジャーはそこに売り込みをかけますし、その担当者ということになります。ほかの芸能事務所では役者やタレントにつきますが、声優においては、こっちの現場はこの人、あっちの現場はあの人というようになります。ある意味、全員が自分のマネジャーみたいなものです。

ある声優のレギュラー番組が決まったとしたら、スタジオつきの担当マネジャーが台本を手配したり、宣伝インタビューの段取りをしたり、そこで演じたキャラにまつわる派生仕事も手配をすることになります。

個人マネジャーではありませんから、誰が売れても特定のマネジャーの評価が変わるわけではありません。マネジャーのほうでも声優全員を平等にみているということになっています。

「声優のマネジャー」の役割

スタジオ担当は音響制作会社にはちょくちょく顔を出していて、メインキャストじゃない、ちょい役なんかに若手を売り込んで、現場の経験を積ませていくということも担っています。

ただし、新人だとか事情のある場合を除いて、マネジャーは収録にも立ち会いません。イベントなんかでスタジオ以外のところや地方などに行くときはついていきますが、はっきり言って、声優の仕事は1人で「直行直帰」です。

私は小学生になる前の幼い頃から、ラジオドラマの収録のために現場に行っていましたが、電車に乗れるようになってからは、ずっと1人で通い続けました。声優として仕事をたくさんいただけるようになってからも、ずっと変わりません。

午前の収録は10時からというのが基本ですが、ちゃんと自分で起きて行ける必要があります。どんなに技術や演技力があっても、朝起きられないと仕事ができません。一般企業に勤めている人からしたら当たり前のことですし、10時なんて遅いほうだと思います。だけど、やっぱりできないという人もいるんです。残念ながら、それが理由で廃業してしまったという人も実際にいました。

若手に対してはマネジャーがそうした部分の教育も担っていますが、プロとして仕事をする以上、自己管理というものは必須になります。

いまの声優に求められる能力とは

オーディションのためのボイスは事務所にある録音ブースで収録するのですが、音響監督の代わりにマネジャーが立ち会います。

声優が生の俳優と違うのは、当たり前ですが役者が作品の表に出ないことです。以前はそれこそ裏方感が強くありましたが、声優ブーム以降は、声優がキャラクターを離れて、活動することが多くなりました。アニメ雑誌も次々と創刊されて、インタビューを受けたり、声優のラジオ番組も盛んにつくられました。

いまでは、アニメ作品のメインキャストになった場合は、本編で声を当てたら終わりということはほとんどありません。番宣のためにイベントに出たり、作品によっては歌ってCDを出したり、そのままコンサート・ライブを行ったりもします。

以前も外伝的なドラマCDをつくったり、人気作品では派生的な仕事がありましたが、いまではビジネス的にほとんどそうしたことが前提になっています。それに伴って声優が生の活動をすることが当たり前になり、トークもうまい、歌もうまい、踊りもうまい、ということが求められています。

昔の役者もそれらはやっていましたが、芝居の一部としてでした。かつては、それぞれの領域にはプロがいて、あくまでも自分たちは役者だという感覚だったのです。

それが今や声の演技だけではなく、マルチにプロ並みのことを求められるのですから、大変だろうと思います。もちろん、そういう活動ができるから声優になりたいという人も多いでしょうが、生半可なことではできません。

ところで、声優が売れるきっかけとしては、やはりキャラクター人気というものがあると思います。いわゆる「当たり役」というやつですね。作品自体の人気、そしてキャラクターの人気を経て、声優に注目が集まるわけです。

生の俳優だと、例えばショーン・コネリーが「007」のジェームズ・ボンドで人気を博したものの、イメージが固定化されてほかの役ができなくなるからと降板したことがあるように、「当たり役」のせいで以降似たような役しか依頼がこなくなって、それが飽きられたら仕事が減ったとか、両刃の剣のような部分もありますが、声優の場合はそのへんは全然違います。

声優は同じ役を何十年も演じられる

まず、そのキャラクターを10年、20年と演じることができます。外見の変化ほどに声質は変わりませんから、いつか限界がくるにしても、かなり長い期間続けることができます。なにしろ、作品によってはキャラが全然年をとりませんから。これが生の役者だったら、役者に合わせて設定やストーリーを変えなければいけない制約が出てしまいます。

また、イメージが固定化されるというのも実写ほどではありません。声優は作品内では姿をもちませんから、ありとあらゆる役を演じることができます。

私でいえば、『タッチ』の西村勇や『キャプテン』の近藤茂一などの球児や、『伊賀野カバ丸』の伊賀野影丸、『あしたのジョー2』のカーロス・リベラをやりつつ、トッポ・ジージョ(『トッポ・ジージョ』)、ぽろり(「にこにこ、ぷん」)のような、ネズミの男の子などさまざま。


みなさんによく知られているのが、ばいきんまん(『それいけ!アンパンマン』)とフリーザ(『ドラゴンボールZ』)なので、最近ではラスボス的なキャラ(フリーザははじめはラスボスではなかったのですが)や、人間以外のキャラ(最近では「人外」というそうですが)が多くて、久しぶりに人間の役をやると、「中尾さん、人間役ですよ」とわざわざ言われたりなんかしてしまいます。

声優とキャラクターというのは、絶対的にイコールかと言うと、そうでもない不思議な関係です。キャラは永久に生き続けますから、どこかでキャストは変わります。また、声優のファンの方々にしても、キャラクターが好きという部分がかなりの割合でミックスされていることでしょう。

イベントなんかではキャラの決めゼリフをお願いしますと言われますが、一方で、それ以外では公でキャラのセリフを言ったらいけないと言われることもあります。海外のアニメなんかではとくに厳しい制限があります。

キャラがまずあって、というのはわかりますが、私がそれを演じていて、世間の人からほとんどイコールと思われていても、私のものではない。なんか妙な感覚があります。