看護師さんが「次の患者さんです」と言って、問診票を持ってきました。感染症のチェック欄の「おたふくかぜ」に丸が付いています。お子さんは隔離診察室にいるとのことです。

 隔離診察室に入ると、4歳の女の子が椅子に座っていました。お母さんは「左の頬が腫れているんです」と言います。

予防が大事…解熱剤しか薬なく

 そう、確かに左耳のすぐ下が大きく腫れています。お子さんに上を向いてもらうと、それがより一層はっきりします。耳下腺(じかせん)に感染を起こす病原体は複数ありますが、圧倒的に多いのは、おたふくかぜウイルスです。お母さんに話を聞くと、現在、幼稚園でおたふくかぜの子どもが何人かいて、この子はワクチンを打っていないとのこと。

 それでは、もう診断は確定です。この子の病気はおたふくかぜです。

「お母さん、おたふくかぜは予防が大事なんです。いったんかかってしまうと、解熱剤くらいしか薬がないんです。5日間くらいして免疫ができると治りますから、それまでは登園禁止です。自宅でおとなしくしていてください」

「潜伏期間は何日くらいですか」

「2週間くらいですね」

「じゃあ、下に2歳の子がいるんですけど、2週間したらうつりますね。一緒に済ませることができるのでよかったです」

 私は内心、うーんとうなってしまいました。もう既にかかってしまったのでどうしようもありませんが、おたふくかぜとは本来、感染してはいけない病気です。なぜなら、この病気にはさまざまな合併症があるからです。

「お母さん、おたふくかぜはおなかが猛烈に痛くなる『膵炎(すいえん)』や、頭が痛くなる『髄膜炎(ずいまくえん)』になることがあるんです。そうなったら、すぐに受診してくださいね」

 その日は解熱剤だけ処方して、親子を帰しました。ところが、翌々日、お子さんが「頭が痛い」と言って再び来院したのです。

合併症で難聴、聴力回復しない恐れ

 私は再度、お子さんを診察しました。

「上を向いてごらん。次に前を向いて。今度は下。あごを胸に付けてごらん」

 お子さんは痛みを訴えて、泣き出してしまいました。

「じゃあ、今度はベッドに横になって」

 お子さんの頭を持ち上げてみました。首が硬くなって曲がりません。泣いてばかりいます。

「お母さん、これはおたふくかぜによる髄膜炎ですね。入院しましょう」

 お子さんは、総合病院の小児科に入院し、時間の経過と共に髄膜炎も自然に快方へと向かいました。結局、幸運なことに、下の子にはおたふくかぜはうつりませんでした。そして、それから1カ月くらいして、ワクチンを受けに来てくれました。

 おたふくかぜの合併症は、膵炎や髄膜炎のほかに精巣炎や卵巣炎もあります。そして、気を付けなければいけないのが、難聴です。多くの場合は片側だけなのですが、いったん聴力を失うと回復は望めません。

 おたふくかぜによる難聴は、小児科の医学書を開くと「1万人に1人くらい」と書いてあります。しかし、そんなことはないと耳鼻科の先生は言います。はるかに頻度は高く、「100〜200人に1人くらいは難聴になっている」と千葉県こども病院の耳鼻科の先生が教えてくれました。

 確かに、片側だけの難聴だと親も気付きにくく、その結果、小児科医も把握できていない可能性があります。しかし、耳鼻科の先生は、就学時検診が終わる時期にかなり多くの難聴の子を診るそうです。最近になって、小児科医の間でも難聴の子が多いという認識が広まっています。

 おたふくかぜは“ついでに”かかってもいいような病気ではありません。ワクチンを1歳と5歳のときに接種して、かからないようにしてくださいね。