『Planet Football』は、「マンチェスター・ユナイテッドが獲得できなかった13名のスター選手」という記事を掲載した。
成績についてはともかく、収入や人気においては世界最高のクラブであり続けているマンチェスター・ユナイテッド。そのブランド力は絶大なものがある。
しかし、近年のユナイテッドからの誘いを断ったという選手もおり、タイミングの問題で他のターゲットに移られてしまった者も。
アラン・シアラー
アレックス・ファーガソン監督がアラン・シアラーを追いかけていたことは公然の秘密である。1996年の夏に行われた誘いを断り、彼は子供の頃から愛してきたニューカッスル・ユナイテッドと契約するという夢を叶えた。
マンチェスター・ユナイテッドはその後、オレ・グンナー・スールシャールを獲得。翌年にはテディ・シェリンガムと契約している。シアラーを手に入れたほうが良かったかどうかは微妙なところだ。
フランチェスコ・トルド
トルドは1999年にピーター・シュマイケルを失ったマンチェスター・ユナイテッドがターゲットにしていたゴールキーパーだ。2000年にはトルド自身がそのオファーを認めている。しかし彼はフィオレンティーナに残り、2001年にインテルから誘われたときにオファーを受託した。
マンチェスター・ユナイテッドはシュマイケルの後継者探しに苦しみ、1999年夏にはマッシモ・タイービを、その後にファビアン・バルテズを獲得している。
ガブリエル・バティストゥータ
バティストゥータとマンチェスター・ユナイテッドの関係は深い。アレックス・ファーガソンは彼の獲得に熱心であったし、バティストゥータも興味を持っていた。彼自身がそれを認めていたが、結局移籍したのはローマだった。
マンチェスター・ユナイテッドは代わりにオランダからルート・ファン・ニステルローイの獲得を進めたが、2000年夏には前十字靭帯断裂によってキャンセルされた。1年後に改めて加入している。
ロナウジーニョ
ロナウジーニョが来ていたらどうなっていたか。2002年のワールドカップでは超絶フリーキックでデイヴィッド・シーマンの頭上を破り、イングランドを敗退に追い込んだ。ユナイテッドは彼に接触していたが、結局彼はバルセロナへ行くという魅力を捨てきれなかった。
ただマンチェスター・ユナイテッドも心配はなかった。同じブラジル代表チームにいたクレベルソンを獲得する手はずを整えていたからだ。問題はチームが順位を落としてしまったということだけだった。
マイケル・エッシェン
マンチェスター・ユナイテッドは何年もの間エッシェンに興味を持っていたという。2000年に17歳でリヨンに加入してから、購入できる時を見極めていたという。しかしエッシェン自身がチェルシーを選び、プレミアリーグでのライバルとなった。
マンチェスター・ユナイテッドはエッシェンを取り逃した2005年夏、PSVからパク・チソンを獲得した。これはこれで素晴らしい補強だった。
ギャレス・ベイル
サウサンプトンで若くしてブレイクしたギャレス・ベイルを誰が獲得するか。そのレースは激しいものだった。マンチェスター・ユナイテッドは参戦したクラブの一つだったが、ベイルはトッテナムへと移籍していった。
マンチェスター・ユナイテッドはこのときナニ、そしてアンデルソンを獲得するために3000万ポンド(およそ43.66億円)を投じている。
アーロン・ラムジー
ベイルの後、再びウェールズのタレントがマンチェスター・ユナイテッドに背を向けた。カーディフにいたラムジーの移籍金支払いに合意したと報道されたが、10代だったラムジー自身がアーセナルを選んだと言われている。
数カ月後、ユナイテッドは他の若いターゲットを獲得するために動き、パルチザン・ベオグラードからゾラン・トシッチを獲得している。
ラウール・ゴンサレス
スペインのまさにレジェンド。レアル・マドリーを離れることになった際、マンチェスター・ユナイテッドからの誘いがあったことを後に確認している。理由は待っている間にファーガソン監督が考えを変えたためで、それによってシャルケ04への移籍を決めたという。
マンチェスター・ユナイテッドはすでにマイケル・オーウェンを獲得していたが、それでもラウールのようなアタッカーを必要としていたのだ。そこでポルトガルからベベという謎の存在を獲得している。
ウェスレイ・スナイデル
スナイデルは2011年に「マンチェスター・ユナイテッドから非公式の接触があった」と認めている。またその3年後のガラタサライ時代にもユナイテッドへの移籍を断ったと伝えられている。
2016年にはユナイテッドを引き継いだモウリーニョ監督と会っていたことが明らかになっているが、その際にも噂になった。この夏にもなにかあるかもしれない…。
エデン・アザール
2012年にアレックス・ファーガソン監督は『RMC』に対して「アザールに来て欲しい」と話していた。アザール自身も「チェルシーとユナイテッドの争いがあった。しかし僕にとってはチェルシーが最高のプロジェクトを持っていた」と明かしている。
一方、ユナイテッドのファーガソン監督は「アザールは高すぎた。香川真司の方が価値があった」と話しており、セカンドオプションとして獲得した日本代表選手の費用対効果を評価した。
トーニ・クロース
デイヴィッド・モイーズ氏は2018年に「トーニ・クロースはマンチェスター・ユナイテッドに来ることに同意していた」と明かした。それは2013年、ファーガソン監督が退任した夏のこと。しかしクロースは結局1年バイエルンに残ることを決めている。
さらにセスク・ファブレガス、サミ・ケディラの獲得に失敗したため、モイーズ監督はエヴァートンでの教え子であるマルアヌ・フェライニと契約した。モイーズのためにはならなかったが、モウリーニョのためにはなった。
セルヒオ・ラモス
『Guardian』は2015年6月に「セルヒオ・ラモスはレアル・マドリーを去り、マンチェスター・ユナイテッドに加入する」と書いた。契約交渉が上手く進んでいない彼を4000万ユーロ(およそ49.2億円)で獲得することになったと。
しかしセルヒオ・ラモスは結局「いつも僕の心と頭にはレアル・マドリーがあった」と語り契約を更新。マンチェスター・ユナイテッドはこの年センターバックは獲得しておらず、次のシーズンにエリック・バイリーを買った。
ファビーニョ
2016年の夏、モナコでプレーしていたファビーニョに接触したマンチェスター・ユナイテッド。その際にはまだ右サイドバックとして知られていた。
そして2018年にも交渉が行われていたことがファビーニョ本人によって確認されている。ユナイテッドはアンドレアス・ペレイラの復帰とフレッジの獲得でそれを補うことに。