15日(木)にアジア最終予選でインドネシア代表と対戦する日本代表。
かつてオランダの植民地であったインドネシアはここ数年、同国にルーツを持つオランダ生まれの選手を代表チームに多数招き入れており、その候補は150名を超えるとも伝えられる。
ただこれは代表の強化として近年に始まっただけで、振り返ると歴史を彩ってきたレジェンドの中にもインドネシアにルーツを持つ選手は少なくなかった。
ここでは、世界的に活躍したインドネシア系の選手たちをベストイレブン形式でお届けしてみよう。
時代は微妙に異なるものの、もし全員が帰化していたらワールドカップ優勝を狙えたかもしれない。
GK:デニス・ヘンテナール
主な所属クラブ:
NEC(オランダ)
ボルシア・ドルトムント(ドイツ)
オランダ代表:
なし
インドネシアとの関係:
オランダ出身とされているが、彼の息子が「父親はインドネシアのバンドン出身」と証言している。
DF:ジョニー・ハイティンハ
主な所属クラブ:
アトレティコ・マドリー(スペイン)
エヴァートン(イングランド)
オランダ代表:
87試合7得点(2004-2013)
インドネシアとの関係:
祖父がインドネシア・ブリトゥン島の出身。
DF:ジャイロ・リーデヴァルト
主な所属クラブ:
アヤックス(オランダ)
クリスタル・パレス(イングランド)
オランダ代表:
3試合0得点(2015)
インドネシアとの関係:
父親がスリナム系、母親がインドネシア系。
まずは守備のセンターラインから。GKは最も悩ましいポジションだった。
現在のインドネシア代表であるマールテン・パエス(FCダラス)も候補となるかもしれない。ここでは佐野航大、小川航基、塩貝健人が所属するNECのレジェンドであり、ドルトムントでもプレーしたヘンテナールを選出した。
センターバックの右側には、2008年にオランダ国内の最優秀選手に選ばれたハイティンガ。当たりの激しい選手だったが、一方でロングフィードは美しい軌道で正確だった。
センターバックの左側にはPSVやアストン・ヴィラで活躍したヴィルフレット・バウマを考えていた。しかし現地でもインドネシア系かどうかの意見が割れていたため変更することに。
リーデヴァルトは11歳で名門アヤックスに加入した逸材で、各年代のオランダ代表に選ばれ10代にしてA代表デビューした。ただその後は伸び悩んでおり、最近はインドネシア代表入りに興味を示していると伝えられる。
DF:ソニー・シローイ
主な所属クラブ:
アヤックス(オランダ)
オランダ代表:
25試合0得点(1983-1993)
インドネシアとの関係:
父親がインドネシア系。
DF:ジョヴァンニ・ファンブロンクホルスト
主な所属クラブ:
バルセロナ(スペイン)
アーセナル(イングランド)
オランダ代表:
106試合6得点(1996-2010)
インドネシアとの関係:
母親が1950年代に祖母とモルッカ諸島からオランダに渡ったインドネシア人。
右サイドバックは層が薄かった。
シローイはアヤックスで250試合以上に出場したレジェンドで、クラブがヨーロッパを席巻した1990年代にも貴重な戦力として活躍したDF。ただPK戦までもつれ込んだユヴェントスとの1996年UEFAチャンピオンズリーグ決勝では、彼が最後にPKを外して連覇を逃している。
左サイドバックは2010年ワールドカップでオランダ代表の主将を務め、同国の最高成績タイとなる準優勝を成し遂げたファンブロンクホルストの一択だろう。
彼は自身のルーツを公言していることからインドネシア系の象徴的な存在となっている。
MF:ナイジェル・デヨング
主な所属クラブ:
マンチェスター・シティ(イングランド)
ミラン(イタリア)
オランダ代表:
81試合1得点(2004-2015)
インドネシアとの関係:
父親はスリナム人だが、母親がインドネシア・アンボン島にルーツを持つ。
MF:ラジャ・ナインゴラン
主な所属クラブ:
インテル(イタリア)
ローマ(イタリア)
ベルギー代表:
30試合6得点(2009-2018)
インドネシアとの関係:
父親はインドネシアのバタック人。ラジャは現地の言葉で「王」を意味する。
MF:デミー・デゼーウ
主な所属クラブ:
アヤックス(オランダ)
アンデルレヒト(ベルギー)
オランダ代表:
27試合0得点(2007-2010)
インドネシアとの関係:
母親がインドネシアのモルッカ系。
中盤3人は、正直対戦相手だったら逃げたくなるような選手たちだ。
デヨングはファンデルファールト、スナイデルらとアヤックスの新時代を築き、その荒々しいプレーから“世界一の潰し屋”とも恐れられた。
ナインゴランはベルギー黄金世代の一人。全身にタトゥーを入れた破天荒なファイターで、その類まれな闘争心がピッチ上で発揮されると誰にも止められなかった。
2人に比べて実績は劣るものの、デゼーウもまたスキンヘッドのエネルギッシュなMFであった。オランダ代表として2008年EURO、2010年ワールドカップに出場し、後者の大会では準優勝に貢献している。
なお、サッカー界随一のダーティな選手として知られたMFマルク・ファンボメルにもインドネシア系との情報があるが、こちらは噂の域を出ない。
FW:ロビン・ファンペルシー
主な所属クラブ:
マンチェスター・ユナイテッド(イングランド)
アーセナル(イングランド)
オランダ代表:
102試合50得点(2005-2017)
インドネシアとの関係:
祖母がインドネシア人。
FW:ルート・フリット
主な所属クラブ:
ミラン(イタリア)
チェルシー(イングランド)
オランダ代表:
66試合17得点(1981-1994)
インドネシアとの関係:
スリナム系の象徴的な選手として知られているが、父親がインドネシアのモルッカ諸島にルーツを持つと伝えられる。
FW:ロイ・マカーイ
主な所属クラブ:
バイエルン(ドイツ)
デポルティーボ(スペイン)
オランダ代表:
43試合6得点(1996-2005)
インドネシアのルーツ:
母親がインドネシアのモルッカ人。
FWの3枚は、いずれも世界有数の選手といえるだろう。
ロビン・ファンペルシーはオランダ代表の歴代最多得点者であり、マンチェスター・ユナイテッドでエースとして活躍した左利きのFWだ。
ライカールト、ファンバステンとの“オランダ人トリオ”でACミランの黄金期を形成したルート・フリットは、オランダ史上最高の選手の一人。自身は「グーリット」の発音で呼ばれることを好んだ。
隣国ドイツの雄バイエルンで10番を付けたマカーイ。決定力に限れば同世代のクライファートやファンニステルローイにも全くヒケを取らない、生粋の点取り屋であった。
インドネシアの帰化候補「150人超」に対し…帰化して日本代表になった7名
システムはオランダ伝統の4-3-3。最終ラインはやや心許ないが中盤の守備力は圧倒的で、スーパーな前線の3人が得点を量産することであろう。