中学受験での失敗からリベンジしたある高校3年生に話を聞きます(写真:筆者撮影)

今年も中学受験のシーズンが終わった。夢の志望校に合格した人、望んだ結果が得られなかった人、まさかの全落ちを経験した人――。いま首都圏、とくに23区に住む親子の間では、さまざまな感情が飛び交っていることだろう。
周囲を見渡すと、難関校、上位校にすんなり合格した“秀才”たちの成功談ばかりが目立つかもしれない。だが、第一志望校に受かるのは4人に1人とも言われる。望む結果が得られなかった親子は、これからをどう考え、どういった心持ちで過ごしていけばいいだろうか。中学受験に全力で挑んだがゆえに、受験後、抜け殻のようになってしまう子どももいる。だが、人生は中学受験がすべてではない。中学受験の失敗の影を引きずりながらもそれをバネにし、奮起する子どももいるのだ。
今回は中学受験に失敗したが、その後、公立中学に通う中で再度、奮起。早慶の附属高校のひとつに合格というリベンジを果たした、高校3年生に話を聞く。

年末の東京、正月を控えた街は慌ただしさを増していた。中学受験家族にとって正月からの1カ月がどれほど長く感じることだろうか。

ふとそんなことを思いながら、ある私鉄沿線の駅へと向かった。首都圏に住む高校3年生の青木拓真君(18歳、仮名)との待ち合わせ場所だ。


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拓真君と会うことになったきっかけは、この連載宛てに届いた1通のメールだ。送られてきたメールにはこう書いてあった。

「自分は中学受験をしたうえで、公立に行くという選択をしました。中学受験の最中、あるいは、これからしようか迷っている方たちに、もう1つの選択肢として自分のような体験があることを知っていただければ」

いったい、拓真君のこれまでの歩みはどのようなものだったのか。

お試し模試で入塾を決意

「高校受験のほうがコスパがいいです」

話を聞き始めてすぐに彼の口から出てきたのは、そんな言葉だった。

筆者も子どもが中学受験の経験者だが、一度中学受験を志すと、どこかの学校に絶対に入らなければというプレッシャーに親も子どももかられることがある。中学は義務教育であり、無理に受験する必要はないにもかかわらず、追いつめられていく親子は少なくない。ところが、拓真君はそうではなかった。

「僕の子どもの頃の夢は、東大に入ることでした。僕が通学可能な地域で、東大に多くの合格者を出す学校は男子御三家と海城くらいです。子ども心に、それ以外は受ける必要がないなと思っていました」

終始、気さくで感じのいい拓真君だが、勉強についてはもともと自信があるタイプだったのだろうか。無鉄砲とも、大人びた判断をする子ともいえるが、潔く言い放つ拓真君は事実、チャレンジ校のみを受験。不合格となり、公立中への進学を選んだ。

実は彼の場合、受験をしたのは親というより本人の意志であり、地元の公立中学には不安や不満があったわけではなかった。そのため、落ちれば「地元の中学へ」というのは彼にとって自然な選択だったという。

実際に公立中に通ってみた結果、どうだったのか。詳しく話を聞きだすと、高校受験に関する驚くべき発言が飛び出した。

「公立から高校受験でもぜんぜん悪くなかったです。むしろそのほうが得だったなと感じるほどです。だって、頭のいい人たちは中学受験でごっそり抜けているわけですから。残ったメンバーの中で上を目指せばいいんです。

高校受験だと内申点が必要と言われますけど、私立狙いの場合は、内申はあまり関係なかったですよ」

筆者はこれまで中学受験に関する取材をする中で、よく“内申点問題”を耳にしてきた。高校受験で上位校に入るには、とにかく内申点が重要というのは、常識のように語られてきた。先生に気に入られているかどうかでも大きく左右されるため、私情が絡まず試験の点数だけで合否が出る中学受験で一貫校に入れるほうが安全だと、多くの中学受験家族から聞いてきた。だが、拓真君は「内申点は問題ではない」と言うのだ。

「自分は体育は2でしたけど、こうして受かっていますから」

私立でも学校にもよるのかもしれないが、“内申点神話”は絶対ではないのかもしれない。

小学校3年生からの塾通い

彼が通う学校は、早慶の附属校のうちのひとつ。素行と成績がよほどひどくなければ、そのまま付属の大学へ進学できる。

とはいえ、何の下積みも努力もなく、難関大の付属校にリベンジ合格したわけではない。彼も過酷な中学受験での成功を目指し、小学生時代に何年も通塾したひとりだ。

野球少年で、自宅学習といえば通信教育の「チャレンジ」。そんなごく一般的な小学生だった拓真君は小学3年生の冬、大手塾の門をくぐる。Nの文字が大きく入った青いカバンで有名な、日能研だ。自宅に届いたDMを見て、軽い気持ちでテストを受けたのがきっかけだった。

数日後、塾から電話がかかってくる。「入塾して頑張ってみませんか? いまのままなら早稲田に受かるレベルです」。塾からの電話は複数回にわたり、「ここまで自分を買ってくれているのだから、やってみようかと思いはじめました」。

“早稲田に受かる”という言葉にいちばん喜んだのは父親の純一さん(仮名)だった。自身が早稲田大学出身というのもあっただろうと、拓真君は振り返る。

家庭不和で落ち込む成績

最寄り駅から電車で数分の街にある校舎に入った拓真君。クラスは成績順になっており、3クラス編成のトップのクラスに所属した。

好きな野球もずっと続けていたが、その後も成績が落ちることはなく、それから5年生までの間、塾でのテストの偏差値は大体60台前半と順調な推移だった。

ところが、6年生の夏ごろ、偏差値55あたりまで一気に落ち込む。原因は、家庭環境の変化だ。

「ゴールデンウィークくらいに親が離婚したんです。これを理由にしたら逃げというか、弱いので、そう言いたくはないのですが……」

ある日、中学入試をいちばん応援してくれていた父親が家を出て行った。母親が病院で専門職として働いていたため、経済的に塾や受験をやめるというような決断には至らず、拓真君はそのまま通塾を続けた。だが、傍目には変わらなくても、繊細な小学生の心に大きな異変が起きていた。

「両親が離婚し、自分はこれからどうやって生きていったらいいんだ?と。アイデンティティーを求めてというか、受験生で時間はないのに『アンネの日記』などを読みふけっていました。あと、パワプロっていうゲームにはまって。ゲームと本に浸る毎日でした」

季節は夏を迎えていた。ゲーム漬けの毎日がよくないことは自分でも十分にわかっていたが、やめられない。でも、受験もやめたくない。

思いどおりにならない日々から抜け出すための糸口として、受験という選択肢は手放したくないという気持ちだったのかもしれない。拓真君は受験をすることを改めて決意する。

目指したのは完全中高一貫の進学校、海城中学。近年は、毎年のように2桁の東大現役合格者を輩出する人気校だ。昨年度も約40人の東大現役合格者を出している。

男子の最難関、御三家といえば「開成」「麻布」「武蔵」だが、最近では「海城」を含め「駒場東邦」「巣鴨」が“新御三家”と呼ばれるほどに人気化。ある中学受験情報誌を見ると、東大、早慶上智の現役合格率は開成と肩を並べている。

それ以外に受けたのは、城北。海城から数ポイント偏差値は下がるが、こちらも偏差値60超の人気校だ。「母親はそこまで細かく関与してこなかった」という拓真君。自ら、この2校だけを受けることに決めた。

「勉強をできていない状態でしたが、やはり東大には本気で行きたかったから、選ぶ余地はありませんでした。ここがダメなら公立に行けばいいと、年明けぐらいに腹を決めました」

小学6年生でこれだけのことを自ら考えて決断する力には、正直ちょっと驚いてしまう。中学受験は「早熟な子」が向くとも言われるが、拓真君もそういう子のひとりであったのかもしれない。

ただ、親の離婚やゲーム生活が響いたのか、結果は2校とも不合格。自分で決めた通り、中学は地元の公立へ通い、高校受験でリベンジすることにしたという。

中学入学後は受験の疲れが抜けずに「屍のようになっていた」という拓真君。だが、中1の終わりごろには気持ちを奮い起こし、高校受験に向けて再び、通塾生活を再開した。

中学受験のときと同様に、彼が目指す先は、やはり東大だった。東大合格者数の多い御三家、新御三家の中で高校からの入学を受け入れているのは、巣鴨と開成のみ。東大を目指す拓真君は迷わず東大合格者全国1位を誇る開成を第一志望に据えた。

偏差値30台急落からのリベンジ

数年にわたる小学校時代の通塾生活は、無駄ではなかったようだ。自宅近くの早稲田アカデミーに通い始めたものの、中学受験で先取りした部分があったおかげか、塾のクラスは上位クラスをキープ。野球やゲームも続けていた。同じ塾の友達や学校の友人も部活や遊びも楽しみながら通う生徒が多く、勉強漬け、塾漬けの人ばかりで“遊ぶ友だちに困る”ということもなかったという。

ただし、中2に入ると“勉強貯金”が切れたのか、苦手な数学が偏差値30台まで下落。得意のはずの国語でも漢字のテストの点数がボロボロに。塾からは「クラスを落とすぞ」と忠告を受けるまでになり、「さすがにまずいと思って」勉強を本格化。次第に猛勉強する日々に突入していった。

しかし、開成という壁は思ったよりも高かった。中学3年生の10月、拓真君は東大への登竜門としてずっと意識してきた開成を諦める決断を下す。そこには、彼なりの合理的な判断があった。

私立高校の受験の場合、必要なのは国語、数学、英語の3教科というところがほとんど。ただ、開成だけは理科と社会の試験が課せられていた。

5教科を頑張り、開成のほかに、都立や国立を受験するという道もあったはずだ。だが、拓真君はその戦略は取らなかった。

「都立の理社はそれほど難しくないので、やったら点数は取れたと思います。でも、都立に行くとなると、内申点がいるんです。日比谷高校などに受かってるやつは(内申点が合計)45以上とかあったと思う。でも僕は内申点がそれほどいいわけではなかった。それに、開成に出る理科社会は、群を抜いて難しい」

高校受験は中学受験のように、チャレンジ校だけ受けるわけにはいかない。最終的な受験、大学受験に近いためだ。挑戦の道を選ぶか、安全な道を選ぶか、考え抜いた結果、拓真君が選んだのは後者だった。3教科で受験できる、早慶の附属校に志望校を切り替えて対策を練ることにしたのだ。東大という幼い頃からの夢に見切りをつけ、冷静に自分の実力から考えて選んだ現実路線だった。

この見極めと切り返しは、奏功した。拓真君は見事、第一志望の学校から合格をもぎとったのだ。

そうして入った付属高校では3年間、学校生活をしっかり満喫したようだ。拓真君は晴れやかな表情を浮かべながら語る。

「大学にはそのまま上がれるので、その分、何か資格をとる勉強に回そうと思って。将来の夢があり、そこに必要な資格の勉強をしています」

まるで大学が下に伸びたかのような生活だ。

「自由な校風で、校則もほとんどありません。同級生の中にはすでに大学での起業を見据えて準備を始めている人もいて、とにかく面白いやつらがそろっている学校です。先生たちも僕らのことを信じてくれている。この学校に入学できて、本当によかったと思っています。僕は、この学校は日本でいちばんだと思っていますよ」

それほどまでに愛着を持てる学校に出会えたことは、彼にとって何よりの宝だろう。

「中学受験がすべてではない」

受験の日々を振り返り、彼は何を感じているのか。

「中学受験でいろいろあって、悩んだ時期がありましたけど、自分の人生についてどっぷり向き合って考えるいい機会になっていたと思います。あの時間は、僕にとって必要だったんです」

そう語る拓真君は、中学受験がうまくいかなかった“後輩たち”にこんなメッセージを贈る。

「今回ダメだったという人に言いたいのは、中学受験がすべてじゃないということ。公立中でもやり直すことはできます。

受験生活の中で、勉強しない天才というものも見てきました。でも、受験は結局、やるべきことを気合いで頑張るぞっていう世界。やるか、やらないかの違いはとても大きい。勉強しない天才よりは、勉強する凡才が勝つようにできていると思います」

拓真君のケースを読んで「彼はもともと優秀だっただけ」と思う人もいるかもしれない。実際、両親の離婚というメンタルショックがなければ、もしかしたら中学受験で桜を咲かせていた可能性もある。

だが、人生とは計算できないことの連続だ。彼はそのことを幼くして悟った。自分が勉強せずに合格できる「天才」ではないということも。そして、立ちあがるために必要なのは、自らの努力。努力したものだけがはい上がることができる――。

中学受験の世界ではよく「成熟度が重要」というが、中学に入ると子どもは大きく成長していく。人によりその内容や程度は違うだろうが、かつて両親の離婚からゲームに没頭した拓真君はいま、見違えるほどにたくましく成長している。

中学受験同様、高校受験についても親にはあまり詳しく相談せずに過ごしてきたという拓真君。それぞれの受験を通して、大人になる過程での大切なものを掴んでいったように見える。大人びたその口調から、彼の精神が受験によって強さを増したことを感じた。

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