中村紀洋です。今回は野球が大好きな子供たちに読んでいただきたいと強く思います。「N’smethod」で子供たちに野球を教えている際に感じるのが、「作られた左打者」が多いことです。

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 「作られた左打者」というのは元々が右利きで右打者だったのが左打者に変わったことを指します。指導者や親御さんに勧められたのかもしれません。もちろん、自分が納得して左打者になったのなら全く問題ありません。

右利きで最初は右打者だったのが左になって球界を代表するスーパースターになった選手もいます。実際、僕も野球を始めた時は掛布さんにあこがれて左打ちを真似していました。ただ打球が全然飛ばなかった。右打者に変わったきっかけは小学3年の時のソフトボールの試合でした。あまりに左で打てないから、親父に「右で打ってみろ」と言われて。初めての右打席で打ったらレフトオーバーのホームランになりました。たまたまですけど凄くうれしかったですね。あの時以来ずっと右打者。左打者のままだったら今の僕はないと思います。

 今の子供たちも左打者で練習を積み重ねてもしっくりこないケースがあるように感じます。早い時期に右打者で試してみることをお勧めします。左打者は一塁が近いことから優位性が強調されますが、右打者もメリットはあります。今は手元で変化するカットボールやツーシームが全盛の時代です。左打者は右投手の内角に食い込むカットボールを攻略するのがなかなか難しいですが、右打者は対応できます。

 子供たちに素振りをさせると、普段打っている左より右の方が癖がなくきれいなスイングのケースがあります。もちろんどちらで打つのかは子供自身の意思が重要です。納得できる形で野球に取り組まなければうまくなりません。ただ僕のように早い時期に左から右にして打撃がガラリと変わるケースがあります。子供は無限の可能性を秘めているので、指導者や保護者の方はその子の特性を見極めてあげてほしいですね。

[文/構成:ココカラネクスト編集部 平尾類]

中村 紀洋(なかむら・のりひろ)

渋谷高で2年夏の90年に「4番・投手」で激戦区の大阪府予選を勝ち抜き、同校初の甲子園出場に導く。高校通算35本塁打。91年にドラフト4位で近鉄バファローズに入団し、「いてまえ打線」の4番として活躍した。00年に39本塁打、110打点で本塁打王、打点王を獲得。01年も132打点で2年連続打点王に輝き、チームを12年ぶりのリーグ優勝に導く。04年に日本代表でシドニー五輪に出場して銅メダルを獲得。メジャーリーグ挑戦を経て06年に日本球界復帰し、07年に中日で日本シリーズMVPを受賞した。13年にDeNAで通算2000安打を達成。15年に一般社団法人「N’s method」を設立し、独自のMethodで子ども達への野球指導、他種目アスリートを中心にトレーニング指導を行なっている。17年には静岡・浜松開誠館高校で硬式野球部の非常勤コーチに就任。高校生の指導に力を注ぐ。