もくじ

ー 手作りのアイスクリーム・バン
ー 世界各国への輸出も
ー 熟練工による手作業が中心
ー 作業工程を見学
ー コピー車を製造販売する輩も

手作りのアイスクリーム・バン

英国・クルーで、手作業でつくられている完全オーダーメイドの商品はなんだろうか? 正解は、アイスクリーム・バン(移動販売車)だ。鮮やかなボディデザインと、登場を知らせる独特の音楽でおなじみだ。つくっているのは、ウィットビー・モリソンというメーカーだ。

英国全土で4000台にのぼるアイスクリーム・バンにとっては、折しも夏のかき入れ時だ。かつてなく―いや、記録的な猛暑だった1976年もこうだったか―強い日差しが照りつける中で、儲けを、もといアイスクリームをマシンからひねり出している。

ウィットビー・モリソンの会社は夏の間も多忙だが、秋になるとアイスクリーム売りが街やビーチや草原やイベントから戻ってきて、7万ポンド(988万円)する真っさらのモンディアル・ルッソ(もっとも売れ筋のモデル。ホイールベースも2種類用意される)やアマルフィといった新車のバンを買ったり、はたまたバンの化粧直しや改造を頼んでくるので、到底今の忙しさどころの話ではなくなるという。

この会社では毎年100台のバンをつくっている。内訳は新車が60台、改造が30台、そしてヴィンテージ・バン(ミニ・ピックアップ、フォルクスワーゲン・タイプ2、古いベッドフォードなど)の改造が10台だ。アイスクリーム・バンのメーカーとしてはまちがいなく英国最大で、年産10台にも満たないほかのメーカーなどが束になってもかなわない。

世界各国への輸出も

けれども、業務運営部長のエド・ウィットビーにとっては、それでご満悦なわけではない。ウィットビー家の3代目として業務に携わる彼は、英国人のアイスクリーム愛という火が消えないように、アイスクリーム・バンの製造や改造に情熱を燃やしているのだ。

「常に誰かが世界のどこかで、ウィットビー・モリソンのバンでアイスクリームを買って笑顔になっているんですよ」と彼はいう。

決してほらを吹いているわけではない。得意先は世界60カ国におよび、毎年10台ほどを輸出しているのだ。東ヨーロッパやウクライナ、カザフスタンといった国でも、ウィットビー・モリソンのアイスクリーム・バンは大人気だ。また2014年には、アゼルバイジャンに20台も輸出したという。

ボディにアラビア文字の描かれたリビア向けのモンディアル・ルッソを見せてもらったが、スピーカーから鳴り響く「ラ・クカラチャ」のほうも、国中に届くかというくらい強力だった。

このクルマはリビアの顧客がカダフィ政権崩壊後に購入した13台目だという。「シチリア島経由で地中海を船に乗せて運んでいると、移民船といくつもすれちがうそうです」とウィットビーは話してくれた。

また、買うときに払った金額の大部分は、買い換えのときに手元に戻ってくるという。だいたい新車から3年ほど使われることが多いが、その時点でもモンディアルやアマルフィの残価は新車価格の80%ほどもあるというのだ。

熟練工による手作業が中心

さて、この会社のはじまりは1962年のこと、エドの祖父ブライアン・ウィットビーが設立した。冷凍と架装の技術に長けた彼がはじめて作ったバンの謳い文句は「表彰状モノのアイスクリーム」だった。ロールス・ロイスで働いた間に数すくないW.O.ベントレー賞も受賞した息子のスチュアートも加わり、父とともにバンづくりに情熱を燃やした。

そして1983年のベッドフォードCFベースのウィットビー・ブラックルーフを皮切りに、アイスクリーム・バンのベストセラーを連発することになる。翌年にはメルセデスT1ベースのモデルも加わった。このメルセデスとの関係は、スプリンターのシャシーキャブをベースに新型バンをつくる今日までつづいている。

今後は、オール電化のアイスクリーム・バンも来年末をめどにデビューさせる予定だ。もっとも、ソフトクリームマシンをディーゼル発電機のかわりに外部電源でも動くようにする改造はすでに行っているという。

工場内を見学させてもらった。従業員は男女あわせて43名だ。作業は切断、型取り、溶接、穴開け、配線に塗装と多岐にわたるが、見回してもクレーンや巻上げ機はわずかで、主な作業は熟練した従業員の手によっていた。ボディをポップに彩るグラスファイバー製のアイスクリームコーンや派手な塗色を別にすれば、あたかもかつてのロールス・ロイスやベントレーの工場のような作業風景だ。

作業工程を見学

はじめに案内されたのはGRP(ガラス繊維強化プラスティック)作業場。ここではボディ、冷凍庫、水タンクほかさまざまな型取りのボディ部品がつくられる。金属作業場では、スプリンターのシャシーに冷凍庫やタンク、骨格となる構造物が取りつけられている。

われわれの足は、ある基本作業のためにアメリカから送られてきたという巨大なアイスクリーム・バンの前でいったん止まった。

エドが説明してくれた。「このバンのソフトクリームマシンを動かせる駆動装置を製作しているところです。冗談に思われるかもしれませんが、アメリカほどの大国でもこの種の技術の専門家はいないんですよ」

冷凍機の作業場では、カルピジャーニ製のアイスクリームマシンを取りつけ、駆動装置をバンのエンジンに接続しているところだ。エドはウィットビー・モリソン独自の直接駆動装置については詳細を語りたがらないのだが、それも無理はない。

ほんの数年前、会社は「アイスクリーム戦争」とでもいうべき事態に巻きこまれたのだ。アイスクリーム売りを騙った悪意ある人間がバンを買い、分解して構造を解析し、ウィットビー・モリソンのロゴをつけた模倣品をでっちあげたのが事の発端だった。

コピー車を製造販売する輩も

エドはこう語る。「業界のひとから、コピーをつくる気でバンを買った客がいると内報があったのです。そうするうちに、ソーシャルメディアにバンの広告が出はじめました」

会社は知的財産権を専門とする弁護士に相談した。弁護士は偽バンの製造場所と、それらが模倣品である証拠をあつめた。一味がしでかしたことの大きさにエドも仰天したという。「彼らは偽のバンを30台、200万ポンド(2億8200万円)分も売っていたんですよ」

ウィットビー・モリソンにとってもたしかに損害はおおきかったが、同時にバンがいかに油断ならない代物かという懸念もあぶり出された。会社は模造団を相手に訴訟を起こして勝ち、だまされて偽のバンを買ってしまった客とは正規の架装をおこなうことで合意した。

「偽のバンからアイスクリームを買ってしまうようなことがあってはならないのです」とエドは語気を強める。「われわれ英国人には、アイスクリーム・バンに対して格別の思いがありますよね。バンは2週間しかない英国の夏(今年は例外だが)の風物詩ですし、アイスクリームを食べるのは癒しの体験といえます。それを汚すようなことは、決してあってはならないのです」

折悪しく、おろしたてのカルピジャーニ製マシンの「試運転」として出されたアイスクリームをここぞとばかり頬ばっていたわたしは、エドの熱い思いに賛同しようにもモゴモゴと口ごもるしかないのであった。