「よく頑張った」と、努力に報いる「言葉の対価」を給料に添えれば、仕事を楽しくすることに役立つかもしれない(写真:EKAKI / PIXTA)

「報酬」と「給料」は、それぞれどのようにして人の能力向上に貢献するだろうか。この話題を有意義に議論するためには、社会のシステムと脳のシステムの両方を理解している必要がある。脳科学者で医学博士/医師の立場から論じたい。

「報酬」と「給料」の性質の違い

まず、社会のシステムの話をしよう。報酬と給料の性質の違いとして、よく使われる説明は、「成果に報いる対価が報酬」で、「努力に報いる対価が給料」だというものである。大工の棟梁と、大工の従業員を例に説明しよう。

大工に家を建ててもらったとき、われわれは、大工の棟梁に対して、完成した家(成果)に応じた報酬を支払っている。同時に、大工の棟梁は、従業員に対して、家を建てるための努力(労働)に応じた給料を支払っている。少なくとも、われわれが大工に支払う報酬は、家を完成させた成果に応じて支払われる対価であり、家を建てるための努力に対する対価ではない。われわれは、注文した家が完成しなければ、たとえどんなに努力をしたと大工の棟梁に言われても、対価を払わない。

一方で、大工の従業員に支払われる給料は、家を建てるための努力に応じて支払われる対価であり、家を完成させた成果に対して支払われる対価ではない。大工の棟梁は、注文の家を完成できなくても、努力の明確な指標である「労働時間」に応じた給料を、従業員に支払う必要がある。

能力給という言葉がある。これは成果に報いる対価であろうか、それとも、努力に報いる対価であろうか。わたしの知るかぎり、能力給は成果に報いる対価と答える人のほうが多い。この成果は、時に、成績とも呼ばれる。営業成績に応じて能力給が支払われることにほとんどの人が異存はないだろう。ビジネスの場面で、能力と営業成績を切り離して考えることは難しい。能力を測る指標がほかにないからだ。

脳の能力も、同じように、なんらかの成績を用いて測られる。たとえば、知能指数は、ほとんどの場合、知能テストの成績を同年齢集団内での順位を基準とした方式で数値化する。多くの人がこのテストの成績が、知能を表していると信じているが、そこには、ビジネスの場面と同様に、「成績は能力を表す」という暗黙の了解がある。同時にほとんどの人が、このテストの「成績」、つまり「知能」が努力の成果である可能性を考えていない。

ここからは、脳のシステムの話をしよう。実は、「能力を褒めると生徒の知能は下がり、努力を褒めると生徒の知能が上がった」と言える実験結果がある。この実験結果は、知能が(正確には知能検査の成績が)、努力の成果であることを示唆しているが、違和感を持つ人が多いのではないか。

「成績は能力を表す」という考えを持っている人は、本当に多い。そして、この実験結果にも、どうやら、「成績は能力を表す」という誤解が関係するらしい。成果と能力を結び付けてしまうのが、人の脳の性質のようだ。「よくできた」は成果を褒めており、「頭がいい」は能力を褒めているが、これが脳にとっては、もともと等価なようである。特に「よくできた。頭がいい」と言われたグループは、それが強くなるらしい。結果、「よくできた」ことも、できなくなるというのだから驚きだ。

この結果からも、成果に対価を与えるより、努力に対価を与えたほうが、人の能力は向上しやすくなると考えられないだろうか。つまり、報酬よりも、給料のほうが、人の能力向上に貢献するかもしれないと言えないだろうか。私がこう考えた理由を理解してもらうために、「能力を褒めると生徒の知能は下がり、努力を褒めると生徒の知能が上がった」と言える実験結果について、詳細を追おう。

褒め方ひとつが成績に影響する

この実験は、スタンフォード大学の心理学部の教授、キャロル・S・ドゥエックによって、思春期初期の子どもたち数百人を対象に行われた。子どもたちは全員、非言語式知能検査のかなり難しい課題を解かされた。そのテストの後に、子どもたちは全員、褒められるという対価を得た。しかし、その褒め方は、2種類あった。褒め方の1つは、「よくできたわ。頭がいいのね」などと、子どもに、「能力に対する対価」と受け取られるように、もう一方は、「よくできたわ。頑張ったのね」などと、「努力に対する対価」と受け取られるように、工夫されていた。


「頭がいいなぁ」と能力を褒めるのと、「頑張ったね」と努力の成果を褒めるのとでは、 同じように褒めているようで、雲泥の差が生まれる(写真:JGalione/iStock)

こうして子どもたちは、「能力を褒められたグループ」と「努力を褒められたグループ」に分かれた(なお、どちらのグループも、成果は褒められていると言える)。グループ分けした時点では、両グループのテストの成績に差はなかった。ところが、褒めるという行為を行った直後から、両グループの間に差が出始めた。「能力を褒められたグループ」の子どもたちは、新しい課題にチャレンジしようとしなくなった。一方で、「努力を褒められたグループ」の子どもたちは、ほとんどが、新しい課題にチャレンジしようとした。

次に、子どもたちは全員、なかなか解けない難問を解かされた。「能力を褒められたグループ」の子どもたちは、自分はちっとも頭がよくないと思うようになった。問題が楽しいとも感じていなかった。ドゥエック教授の解釈を引用すると、「頭がよいから問題が解けたのだとすれば、問題が解けないのは頭が悪いからということになる」かららしい。これに反して、「努力を褒められたグループ」の子どもたちは、難問を出されても嫌にならず、「もっと頑張らなくちゃ」と考え、楽しんで努力した。

難問が出されてからは、グループ間で、成績にも差が見られるようになった。「能力を褒められたグループ」の子どもたちの成績はガクンと落ち、その後再び易しい問題が出されても成績は回復しなかった。つまり、スタート時点よりもさらに成績が落ちてしまった。「努力を褒められたグループ」の子どもたちはどんどん出来がよくなり、その後再び易しい問題が出されたときにはスラスラ解けるようになっていた。

ここで用いられたテストは、知能検査の問題の抜粋なのだから、「能力を褒めると生徒の知能は下がり、努力を褒めると生徒の知能が上がった」と解釈できる実験結果だと、ドゥエック教授は言っている。

しかし、私は、この結果を直接導いたのは、努力をしたかどうかの差だと思う。「能力を褒めると生徒は努力をしなくなって知能は下がり、努力を褒めると生徒は努力をするようになって知能が上がった」と言われたなら、納得である。知能は、知能検査の成績でしかないのだから、生まれ持った能力だけでなく、努力の成果でもある。

「能力を褒めると努力の成果を失い、努力を褒めると努力の成果を得る。努力の差は、能力の差につながる」という結果であると言われると、さらに納得できる。実験結果をよく見てみれば、もともとの能力に差がない同士であれば、努力の差は、能力の差につながりやすいという、当たり前の結果だったわけなのだから。

いちばんの教訓は、「どうやら努力に対価を与えることが努力を促し、努力の成果の分だけ能力向上につながるらしく、知能も例外ではないようである」ということだろうか。そして、この法則は、テストで好成績を取りにくい条件、つまり、能力の高さを証明しにくい条件でも、成り立つようである。

成果への金銭的対価は、やる気を奪いかねない

さて、ここで、社会のシステムの話に話題を戻そう。実は、成果に応じる金銭的な対価(インセンティブ)に関する51の研究をレビューしたthe London School of Economics and Political Scienceの報告がある。その報告では、インセンティブが被雇用者のノルマ達成率を下げ、ノルマ達成の喜びも減らすかもしれない圧倒的な証拠が見つかったとしている。

ノルマ達成率を能力の目安とするなら、成果に対価を与えることは、それが金銭であっても、能力を伸ばすことにつながらなそうだ。この報告では、成果に応じる金銭的な対価が、チームや組織の「やる気」を減らしうることを、会社は認識するべきだと結論している。

やる気には、内的な動機(intrinsic motivation)と外的な動機(extrinsic motivation)がある。努力する動機が「楽しむため」ならば前者に、「お金のため」ならば後者にあたる。従来、「成果に報いる対価」は、努力の外的な動機になり、成果を増やすと考えられていた。しかし実際は、外的な動機になる効果以上に、内的な動機を“奪う”効果のほうが大きく、全体としては成果を落とすことになってしまうことがわかった。

「努力に報いる対価」の場合は、それが「褒めること」であれば、内的な動機づけになるようである。ドゥエック教授らの研究でも、努力を褒められた子どもたちは、難問さえ楽しんで努力していた(なお能力を褒められた子どもたちは問題を楽しんでいなかった)。ただ、もし努力に報いる対価が「言葉」でなく「金銭」で与えられたらどうなっただろうか。

「努力に報いる金銭的対価」がわれわれの能力や成果、やる気に与える影響については、私の知るかぎり、「成果に報いる金銭的対価」の場合ほどの明確な結論は出ていない。ただし、努力の金銭的対価、つまり給料が、努力の割に合わないと感じる額だったら、努力が動機づけられるどころではなく、やる気を失うのは目に見えている。努力の割に合う給料は、やる気を失わないためには不可欠だ。それが努力の現状維持につながる。

そこからさらに、能力向上につながるほどの努力を引き出すには、努力の割に合う給料に、プラスアルファの工夫を加えることが大切だと思う。「よく頑張った」と、努力に報いる「言葉の対価」を給料に添えることは、仕事を楽しくすることに役に立つかもしれない。

特に、この言葉が、能力の向上につながることを知っているなら、努力する外的な動機にもなるだろう。同時に、成果や能力への対価が人の努力を減らし能力の低下につながることも、覚えておくとよいと思う。これらの知識が、成果や能力ばかりを追い求めることを戒め、努力の大切さを思い出させてくれるのではなかろうか。