「女性活躍」時代に何が起きているのか?写真は本文とは関係ありません(写真:Graphs / PIXTA)

女の生き方は時代によって左右される――。「女性活躍」の推進が旬のテーマになっている日本社会において、自ら「活躍」を拒絶する女性が続出している。そんな女性たちの定点観測ルポを続ける奥田祥子氏の著書『「女性活躍」に翻弄される人びと』の中から、「管理職につくのは怖い」と感じるようになったある女性の例を取り上げます。

パワハラ上司は女性

一般職で入社後、転換試験に合格して総合職を経験しながらも、女性上司からのパワーハラスメント(パワハラ)をきっかけに辞職し、ブランクを経て再就職した女性は、あるライフイベントを機に仕事への価値観が180度変わった。

関西の主要駅前にある喫茶店の禁煙席の一番奥、4人席のテーブルの角を挟んで90度の位置に、当時37歳の安川美里さん(仮名)と2人で座って20分余り。最初に軽く挨拶を交わしてから、彼女は「ちょっと……すみません」とうつむきながら小声でささやき、淡いピンク色のハンカチで両目頭を押さえたまま、黙りこくってしまった。

そしてようやく顔を上げたかと思うと、コップの水も注文したコーヒーも飲まず、こう一気に早口でまくしたてた。

「社内の女性で一、二を争う出世頭で、私にとっては憧れの的やったんです。それやのに、その上司となった女性課長からひどいパワハラを受けることになるなんて……夢にも思っていませんでした。部長や人事部に訴えても何も改善してもらえず、結局、被害者である私が会社を辞めることになってしまって……。奥田さん、こんな弱い者いじめの職場、世の中でいいんですか」

安川さんの目はいつの間にか、真っ赤に充血していた。話している最中、怒りが急速な勢いで悲しみを上回っていくのがありありと感じ取れた。もちろん、そんな理不尽な職場の対応が許されていいはずがない。だからこうして、彼女がつらい出来事を思い出して苦しむのを承知のうえで、あえて取材に応じてもらったのだ。

安川さんとの出会いは2010年。もとは職場の問題について取材を続ける過程で、有能で課長職など管理職に抜擢された社内でごくわずかの女性がうまく采配を振れず、部下とトラブルを起こすなどするケースが増えているという情報を入手したのがきっかけだった。 女性上司とのトラブルの「被害者」は女性が多く、特定の事例にやっとの思いでたどり着いても、取材を申し込んでは断られるということを幾度となく繰り返していた。そんな時、安川さんは、いつか社会に訴えてもらえるなら、と取材内容を発表する媒体も時期も未定であるにもかかわらず、取材を受けることを承諾してくれたのだ。

安川さんはサービス業の会社に一般職で入社後、35歳の時に試験を受けて総合職への転換を果たした。総合職入社で未婚、40歳代前半のその女性課長は、安川さんの働きぶりに対して「総合職の自覚が足りない」などと、何かとケチをつけ、課員のほとんどが席に着いている機会を見計らっては、皆に聞こえるような大声での叱責を毎日のように繰り返した。

さらに、課内外の社員や派遣スタッフの女性たちの間に、安川さんが「取引先の男性に媚びを売って取り入っている」などと根も葉もないうわさを流され、彼女は社内の女性たちからも距離を置かれたり、無視されたりするような状況に追い込まれていったのだという。

パワハラは「事実無根」とされた

女性課長の上司にあたる部長に報告し、人事部次長同席のもと、会社の制度に基づきパワハラ事案として訴えたが、約2週間後、人事部からは「調査の結果、パワハラはなかった」という判断を言い渡された。「事実無根のパワハラで女性上司を訴えた」という、負の烙印を押された安川さんはあまりの精神的苦痛から、出社できなくなってしまう。部長の勧めもあってメンタルクリニックを受診したところ、「軽症うつ病」と診断され、約1カ月休職することに。

一見、本人にとっては嫌な職場から離れて休養でき、良かったようでもあるが、実際には職場復帰後、服用中の薬の副作用もあってか、なかなか作業効率が上がらず、人事考課(5段階評価)が以前のCから最低ランクのEにまで落ち、男性課長以外はすべて女性の派遣スタッフで職務を遂行している、クレーム対応窓口への異動を命じられるのだ。結局、彼女は異動先の職場にもなじめず、自ら辞職願を提出したという。

「お気づきやと思うんですが、もともと男性と肩を並べて仕事をこなして、男性と同じように管理職に就いて出世したいという目標がありました。だから、一般職から必死に頑張って、難しい総合職への転換試験に合格したんです。それやのに……」

充血していた目はかなり治まってはいたが、硬い表情で、一つひとつの言葉に込められるすごみのようなものがどんどん増していくのがわかった。

「安川さん、少し中断しましょうか?」

「いいえ」

できるだけリラックスして話せるようにと、互いの目線がぶつかりにくいテーブルの角を挟んだ座り位置にしていたのだが、彼女はさっと身体を私のほうに真正面に向けてそうきっぱりと言い、続けた。

「そのパワハラ女性課長は、実際には部下を管理・監督し、課全体を取り仕切る能力に乏しいことは、部長や人事部も含めて周りのほとんどが知っていたんです。でも、その女性にはみんな、腫れ物に触るように接して、誰も能力不足を指摘したり、改善するように指導したりはしませんでした。そんな女性上司の問題点を放置したために、私のような犠牲者が出ることになってしまったんやと思います。『女の敵は女』という言葉を聞いたことがありますが、それをまさか自分自身が被害者として経験してしまうなんて……」

会社を辞めてから3カ月経ち、求職活動中であるという安川さんは、本当に言いたいことをまだ内に秘めたままでいるのではないか、と感じた。本来は彼女自身の自発的な発話を待ちたかったが、彼女の精神状態によってはいつ取材が終わってしまうかわからない。思い切ってこう尋ねてみた。

「転職されたら、また総合職で管理職を目指されるのですか?」

すでに身体をテーブルの角を挟んで90度の位置に戻していた安川さんの瞳が鋭く輝いたのが、斜め横からの表情ですぐに見て取れた。と同時に、一瞬にして空気が張り詰める。実際にはほんの1、2分だったのだが、この間の沈黙がとてつもなく長く感じられたのを、昨日のことのように思い出す。

「……もう、管理職は、無理やと思っています。管理職に就いて、男の競争に組み込まれることよりも……女同士の闘いが、もう、怖くてたまらないんです……」

そう精一杯、力を振り絞って言い切ってくれた彼女に、それ以上突っ込んで質問することはためらわれた。かといって、うまく元気づけるような言葉を見つけることもできなかった。この時は、心に靄がかったような取材終わりとなってしまったのである。

一般職経験が正社員へ後押し

安川さんは2017年に最後に取材した時点で、流通業の会社の一般職として経理事務を担当していた。転職活動が難航していた最初の取材時から数カ月後に派遣会社に登録し、今勤めている会社に3年間、派遣スタッフとして働いていたが、経理事務の能力が評価され、正社員に登用されたのだ。

自宅まで交通の便の良い主要駅前の喫茶店に現れた安川さんは明るい表情で、ペパーミントグリーンの襟なしブラウスに紺色のタイトスカート、オフホワイトのジャケット姿。どこか影が差していた以前とは見違えるようだった。これも前と同様、奥の4人席に先に着席していた私に笑顔で挨拶した後、躊躇することなく、視線がぶつかり合う機会の多い真正面の席に着いた。仕事の経緯について尋ねると、こう説明してくれた。

「会社を辞めてからしばらくは精神的なダメージが大きく、それが面接にも影響したのか、正社員職を目指して転職活動をしていたのですが、不採用ばかりで……。それで、派遣スタッフとして働くことにしたんですが、仕事が思いのほかはかどり、それまで感じることができなかったような……うーん、達成感、とでもいうんでしょうか、なんや前向きな気持ちで仕事に取り組むことができるようになったんです。変なんですけれど……自分でもそんな気持ちになれて不思議、といいますか……。ちょうどそんな時に正社員の話をもらったんです」

安川さんの頬がみるみるうちに紅潮していくのが、よくわかった。

「能力や実績を認められたんですね。景気が上向いているとはいえ、人件費を抑えて様子見をしている企業が多いなか、派遣から一気に正社員にキャリアアップできるケースは珍しかったと思うのですが」

「その通りですね。派遣での職務能力が認められるということも、あまりなかったと思いますし……。私の場合は、前の会社で総合職に転換するまで一般職で経理事務を担当していて、そのスキルや経験を生かせました。

もともと一般職では専門性が培われないし、出世もできないからと考えて、総合職に変わったのですが、実際には一般職でも頑張りようによってはしっかりと専門ノウハウを積み上げることができるのやと気づきました。特に正社員になってからは、与えられた仕事を指示通りに処理するだけではなくて、自分なりに判断して対応できる部分は、総合職の社員の補佐的な役目も進んで取り組むように努力してきたんですよ」

晩婚が変えた仕事観

44歳になった安川さんは、左手薬指に上品な一粒ダイヤの婚約指輪と結婚指輪を重ねづけしていた。まだ結婚してから日が浅いのだろうか。どのように切り出そうか、迷っていた、その時だった。指輪への視線に気づいたのか、安川さんが右手の指先を左手の指輪に愛しそうにあてながら、少し照れくさそうにこう話し出した。

「実は……去年、結婚したんです。派遣の仕事で落ち着いてきた時にはもう40歳間近になっていました。だから、もう自分はずっと独身なんかなあ、と思っていたんです。でも、ひょんなことから、いい出会いがありまして……」

正社員に登用されてから2年近く過ぎた頃、取引先との間で発注ミスが発生し、その処理に応援で借り出された彼女は、ともに職務にあたったことがきっかけで他部署の男性社員と急接近し、半年余りの交際を経てのスピード結婚となったという。

「しばらく前まで、自分が結婚、それも社内の男性と結ばれるなんて、想像すらしていませんでしたけど……家庭を持つことができて本当に良かったと思っています」

40歳代前半という年齢的なこともあり、さらに進めて子どものことを聞くのは気が引けた。安川さんの口から仕事も私生活も充実して暮らしていることを聞くことができ、どこかほっとした気持ちになり、今回はここで取材は終了しよう、と思った。ところが、彼女の表情がなぜか、曇り始めている。彼女も取材が終わりそうな雰囲気を察知し、まだ何か言い残していることがあるということなのだろうか。ここは直接、聞いてみるしかない。

「安川さん、少しご気分でも悪いですか?」

「…………」

「それか、失礼ですけど、まだ何か話し切れていないことがあるのでしょうか? せっかくの機会だから、話してみませんか?」

「……あのー、実は……今、不妊治療をしているんです。結婚したら、やっぱり主人のためにも子どもは産みたいなあ……いえ、それ以上に私自身が、女に生まれたからにはどうしても出産を経験したいと……あっ、すみません」

「どうして謝るんですか。(結婚も出産も経験していない)私のことはどうか気にしないで、話を進めてくださいね」

「雑誌やネットなどからある程度の情報は入っていましたが、不妊治療はとても苦しいこと、なん、です……」

つらさを懸命にこらえて話してくれていたが、言葉に詰まる。

「それでも、苦しくても、ご主人と力を合わせて頑張っていらっしゃるんですね。とてもすばらしいことだと思いますよ」

「それで……実は、仕事は2か月余り後に辞めることになりまして……つい先日、上司に話して了解してもらったところなんです。不妊治療も年齢的に最後のチャンスになりますし、一般職というても、やっぱり続けていくのは難しくて……」

いつも取材前に描くことにしている、複数の仮説の中に、「退職」はまったく含めていなかった。取材の最終盤で、大きな軌道修正を迫られることはそうはない。取材者として、安川さんのそれまでの話しぶりや表情から、そこまで読み取れていなかったことが悔しかった。

今回の取材の途中でたびたび彼女が見せた、弾けるような笑顔は、単に仕事や私生活がハッピーなためだけではなく、さまざまな選択を迫られてその都度思い煩いながらも、自らが最善であると自信を持てる道にようやくたどり着くことができたことを誇る、女性のプライドの表れだったのではないだろうか。

安川さんにとっての仕事の存在

安川さんにとって、仕事はどんな存在だったのか。どうしても聞いておきたかった。

「女性は男性と違って、私生活の変化、結婚や出産が仕事に影響を与えるのだと今、改めて実感しています。前の会社で管理職を目指していた時には、結婚なんてしなくていい、とさえ思っていました。実際にわずかに管理職に就いていた女性はみんな独身でしたし……。当時の私やったら、子どもを産むために会社を辞めるなんて考えられなかった。仕事で能力を高め、小さなことでも地道に実績を積んでいくことはすばらしいことです。


そう実感できたのは、男性と肩を並べて働いた総合職ではなく、女性用の職種ともいえる一般職でした。ただ、それ以上に重要な幸せを感じさせてくれるものがあることを知って……結婚が、私の仕事観を大きく変えたんです。ただ……ひとつだけ、最後に言っておきたいことは……」

「何ですか? 何でも構いませんから、言ってくださいね」

「そもそも女性が、仕事と家庭の両方をいずれも100%の力を出し切って頑張る、というのは無理なんやないでしょうか。こんなことを言うと、今の社会で主流になっている考え方や動きに逆らうようで、非難されそうですけど……」

仕事で苦難を経験し、自らが選んだ新たな道に向かって今、踏み出そうとしている安川さんが訴えた言葉が、心の奥に響いた。

※本文中の仮名での事例紹介部分については、プライバシー保護のため、一部、表現に配慮しました。