宇野真知子さん(仮名、30歳)は、母親との2人暮らしに苦しんでいる(編集部撮影)

この連載では、女性、特に単身女性と母子家庭の貧困問題を考えるため、「総論」ではなく「個人の物語」に焦点を当てて紹介している。個々の生活をつぶさに見ることによって、真実がわかると考えているからだ。
今回紹介するのは、「真綿で首を絞められるような緩やかな苦痛があるということを知ってほしい」と編集部にメールをくれた、母親と2人暮らしの30歳女性だ。

騒音と振動を浴びる生活

「振動がすごい。本当に、すごいんです。テレビの音も聞こえないし」

埼玉県の住宅街。宇野真知子さん(仮名、30歳)が母親と2人で住むアパートの前に立つ。メガネにポッチャリ体型の見るからに地味な女性で、2時間近い通勤時間をかけて埼玉県郡部の零細企業に勤めている。


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自宅は築42年、家賃4万6000円。老朽する建物は、なんと線路沿いに建つ。ボロボロの木造の防護壁を隔て、ギリギリ洗濯物が干せる程度のスペースを空けて建物があった。ライナー、快速急行、快速、急行、準急、各停の鉄の塊がひっきりなしに自宅の真横を、猛スピードで走り抜けていく。なんの防音も防振もない。直撃する。

「下が地べたで物干しみたいな枠があるので、そこに布団と洗濯物は干すことはできる。けど、電車が通ると砕石が飛んできます。砂利みたいな。だから洋服も布団もザラザラする。朝から晩まで音がすごいし、テレビの音が聞こえないし、それだけでも頭がおかしくなりそうです。無職の母親は、1日中家にいるので健康状態は悪化の一途です」

玄関前までお邪魔したが、いちいち不快な騒音と建物全体が揺れる。病弱な母親は、奥の部屋で音が聞こえないよう布団をかぶって眠っているようで、とても長居できるような場所ではなかった。徒歩20分以上かかる駅前まで戻ることにした。

解体工事を請け負う零細企業の事務をする。職業訓練校を卒業して新卒で入社した。給与は安い。基本給13万5000円、職務手当4万7000円、時間外手当と現場手当が1万3000円、総支給額は19万5000円で、手取りは15万円程度だ。入社以来、昇給はほとんどない。さらに賞与はまちまちで、よくて年間10万円程度、まったくもらえない年もある。

毎月、家賃を除くと月10万円程度が残る。自分の携帯代や昼の食費を含めたお小遣いとして3万円をもらい、残り7万円を母親に渡す。光熱費と食費だけで、ほぼなくなる。母親は騒音で音声がなかなか聞こえないながら、テレビしか娯楽がない。大河ドラマやサスペンス、月9ドラマを観賞して、あとは布団をかぶって横になって過ごしている。

「この半年間、もう首を絞められるような苦痛です」

カラオケボックスに入るなり、彼女は泣きだしてしまった。

介護の仕事はひどい世界

「なにもかもがおかしくなったのは、去年8月から。父親に我慢に我慢を重ねていた母親が離婚を決断して、父親が出ていった。父親は自己破産しているので慰謝料なんてありません。少しでも家賃を安くするために今の家に引っ越しました。不動産屋さんに4万円台は、ここだけと言われた。それから1日中、振動と騒音を浴びる生活です」

父親は現在66歳、母親は64歳。母親は腰や膝、関節が悪く、この数年病院通いをする。16年前に埼玉に引っ越してから不健康な体に鞭を打ちながら、週3日か4日、最低賃金に近い時給で飲食店やスーパーでアルバイトしていた。大黒柱の父親がいなくなった離婚後、少しでも収入を上げるためと、週4日勤務の介護施設での清掃の仕事に就いた。

「認知症専門の施設で、掃除に強い薬品をたくさん使うらしくて、たった2カ月くらいで生活ができないくらい手が荒れました。手が溶けているみたいな感じ。あまりにひどかった」

母親の手は皮膚が剥がれるような状態だった。仕事だけではなく、家事もいっさいできない。母親がやっていた家事を全部背負うことになり、手荒れのひどい一時期は満足に手を使って食べることもできなかった。介護するような状態になった。

「道具なんて持てないから、もう仕事はできません。施設からはなんの保証もないまま、自己都合で辞めさせられた。母親は元々父親からのモラハラというか、ストレスが原因で健康状態は悪かった。手荒れから本格的に免疫力が落ちて、元々悪かった腰と膝の骨がさらに悪化しました。寝込むようになって、今も毎日元気がなくなっている状態です」

離婚前までは、毎月3万円を家に入れていた。低賃金なので父親がいなくなる窮地になっても、7万円を母親に預けるのが精いっぱいだ。母親は宇野さんが稼ぐ月7万円と、父親がいるときに貯めたわずかな貯金で、家族2人の最低限の生活をした。漢方など、保険適用外の医療費がかさんですぐに貯金は尽きた。それから母親は「施設の清掃の仕事に戻る」「清掃だけじゃなくて、夜勤の仕事も見つけてダブルワークする」と口癖のように言うようになった。「そんな仕事はダメ」と、宇野さんとけんかを繰り返している。

「私、介護の仕事が憎くて、憎くて。心からひどい世界だなと思うし、許せない。母親を殺すわけにはいかないので、ヒステリーみたいな感じで絶対にダメって言っています。私は低賃金で、これからも給料が上がることはない。普通に暮らすためには、最低でもあと5万円、できれば10万円くらい必要。母親もそれはわかっていて月10万円のおカネを得るには、清掃と介護職のダブルワークするしかないって。なにも答えがなくて、もう生きていくのは無理と絶望しているのが今です」

昨年末、宇野さんは市役所に相談に行っている。窓口にいた役所の人間に生活が苦しい窮状を説明したが、親身には聞いてもらえなかった。「お母さんのために頑張ってください」と励まされ、体よく追い返されている。

「母親は、どう考えても働ける状態じゃない。毎日弱っていく姿を眺めて、この先ずっと母を抱えなきゃいけないのかって、越えられない現実にぶつかった。どう考えても無理だった。だから、役所に私に依存するのではなく、母は母で生きていける術はないか聞きにいったんです。私の知識不足もあって、あまり会話にならないまま、忙しいって話は終わっちゃいました」

彼女は生活保護制度を知らなかった。相談したのは市民相談課だったという。

かなり深刻な「関係性の貧困」

“生活保護制度”と“世帯分離”を携帯で検索して調べるように伝えた。誰か身近に相談できる人間はいないかと聞くと、首を振る。頼れる人どころか、近隣には知り合いすらいない。そして彼女自身は会社の同僚以外、友達や知り合いはまったくいない状態だった。

「埼玉に来たのは、中学2年のとき。他県から夜逃げして、家族で埼玉に来ました。それまではデブってイジメられて、埼玉では言葉が違うって誰にも相手にされなかった。父親は建築系の自営業者で、小さな会社を経営していて、そこを継ぐと思っていた。だから、子どもの頃から工業高校を目指していたんです。その頃、まだ父親とは仲が悪くはなかったから」

近隣の工業高校に進学しても、誰にも相手にされない状態は続いた。イジメられることはなかったが、クラスメイトに無関心を通され、ほとんど誰とも話すことがないまま3年間が過ぎた。

「やっぱり孤独ってつらい。友達に相手にされなくて、友達なんかいらないって思い込んでいた。こんなくだらない人たちと一緒にいなくてもいいじゃないって。こんなくだらない人たちって相手を蔑むことで自分を保っていたというか。周りと私は違うってふうに思わないとやっていけなかった」

カラオケボックスに入店して、1時間半。彼女はかなり徹底してプライドが高かった。取材は若干難航する。人間関係の話でやっと「相手と私は違うと思わないとやっていけない」などの言葉が出たが、入学偏差値40を割る出身高校を上位校のように話したり、勤める埼玉郡部の零細企業や父親の会社を一流企業のように話したり、現実的な状況を理解するのに時間がかかった。

人生や生活において人間関係が極端に少ない人は、相対的な判断基準がズレる。自分のことを著しく高く相手に伝えがちだ。彼女は典型的だった。

さらに、恋愛も一度もしたことがないという。学生時代から現在に至って恋愛経験はなく、「人間嫌いですから」との理由だった。本当に孤独のようで、経済的貧困だけでなく、かなり深刻な関係性の貧困にも陥っていた。

そして、父親に対する苦言も始まった。父親は自営業者で、仕事関係の人物の連帯保証人になったことで破綻。彼女が中2のときに夜逃げして、自己破産している。夜逃げ後も仕事は続け、家族3人が普通に暮らすことはできた。

「埼玉に来て10年くらいは普通に暮らせていたけど、おかしくなったのは5年前に父親が脳梗塞になってから。後遺症も残らなくて軽く済んだけど、それまでもひどかったけど、母を怒鳴って泣かせるようになった。当たるというか。母親は怒鳴られるのがすごく怖い人で、そのストレスで体を壊した。脳梗塞以降は仕事も続かなくなって、収入もすごく減ったみたい。母親がアルバイトをして補填していました」

仕事を転々としながら、日常に気に食わないことがあると母親に怒鳴り散らす。母親は一貫して我慢する。そういう日常だった。モラハラは収まることはなく、昨年8月離婚を決意。彼女も大きく賛同した。家族に切られた父親は家を出て、現在は隣の県で暮らしている。

それまで暮らしたアパートは、家賃5万4000円だった。細々ながら家族の生活を支えたのは父親だった。母親と彼女は、家賃を下げようと長年暮らした街から離れ、線路沿いのアパートに引っ越した。そして、母親は介護施設の清掃の仕事を始めた。

誰も相談をする人がいない

貧困の中で生きていくためには、親戚などの血のつながり、友達や近隣などの人間関係の助けは必須だ。しかし、彼女は一貫して人間関係を拒絶し、家族を切り、10年以上暮らした地域まで捨ててしまった。すべて悪い方向に向かう選択をしている。さらに“生きるために必要なものを、捨てている”という自覚がまったくない。

母親の健康が失われ、医療費がかさみ、負の連鎖が起こっている。そして、1人ですべてを背負う現在を迎えてしまった。母親を壊した父親と、母親の唯一の雇用先である介護業界を憎み、騒音と振動が1日中続く自宅で、療養する母親と「もう1度、介護で働く、働かせない」とヒステリーに怒鳴りあう日々である。

「母親の仕事は、もう年齢的に介護しかないみたいです。介護だったら月10万円なんとか稼げるかも、って言っています。腰と膝の骨が潰れているし、甲状腺の病気で免疫力も下がっているんだから、とにかく体を大事にしてほしい。なのに、無理して働くって。死ぬよ、殺されるよって言っても、全然聞いてくれなくて。嫌になるほど、頑なです」

片道2時間かけて通勤をしているが、勤める会社の近くに引っ越せないのは母親の病院が近くにあるからだ。

「私、人間が嫌いですけど、老人がいちばん嫌い。どうして老人が気持ちよく生きるために母親が手荒れしたり、潰されたりして、私たちがこんな苦しめられなければならないのでしょうか。そんな仕事しかない世の中とか、本当におかしいと思うし。最悪、一家心中しかないかな、とか考えてしまいます。私が男並みに働けて賃金がもらえれば、きっと生きていける。悩みすぎたけど、今は少し前向きにそう思っています。だから転職とかに目を向けて私が稼げれば、母親に体を酷使させることもないんだって。そう思っています」

話は終わった。最後、離職し、現在の生業を失う可能性もにおわせた。彼女の性格、キャリア、学歴を聞くかぎり、転職で大きく処遇改善するのはおそらく難しい。しかし、人間関係がないので誰も相談をする人がいない。人間関係を捨て、地域を捨て、父親を捨て、そして本当に仕事を捨てることにも踏み切るような気がした。

おそらく、自力では厳しい現状からは抜けだせない。しかし、彼女は人間関係を拒絶している。筆者は、なにも言わないでお礼だけを伝えて、東京に戻った。

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