早稲田大学2年生のタクマさんは、このまま大学に通い続けるべきかそれとも中退して働くべきか悩んでいるという(筆者撮影)

現代の日本は、非正規雇用の拡大により、所得格差が急速に広がっている。そこにあるのは、いったん貧困のワナに陥ると抜け出すことが困難な「貧困強制社会」である。本連載では「ボクらの貧困」、つまり男性の貧困の個別ケースにフォーカスしてリポートしていく。


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A4判の書類がある。日本学生支援機構による「貸与額通知書」。返還総額予定の欄には、利子が付かない第一種と呼ばれる貸付金が「3,072,000円」、利子が付く第二種が「8,436,847円」と、それぞれ記載されている。早稲田大学2年生のタクマさん(26歳、仮名)は卒業と同時に1100万円以上の借金を背負う。卒業後、20年間にわたり毎月約5万円を返し続けていかなくてはならない。

「将来、返済が終わっている自分の姿が見えないんです。このまま大学に通い続けるべきなのか。それともこれ以上、借金が増える前に中退して働いたほうがいいんじゃないか。最近、本当に迷っています」

物心ついた頃から父親はいなかった

福岡県内の地方都市で育った。物心ついた頃から父親はおらず、母親と2人暮らし。母親が父親のことを語ることはほとんどなかったが、母方の祖母が、母親はDVを受けていたことや、両親はタクマさんが生まれてすぐに離婚したこと、養育費が支払われたことは一度もないことなどをぽつぽつと話してくれたという。

幼い頃、タクマさんは体が弱く、よく熱を出した。このため、母親は時間の融通が利くパンの移動販売や乳酸菌飲料の訪問販売で生計を立てた。しかし、これらの雇用形態はいずれも個人事業主。ガソリン代は自腹のうえ、売れ残った商品の一部を買い取らなくてはならず、手取りから相当額を引き去られる月もあったという。その後は別の仕事に就いたが、いつも縫製やはんだ付けなどの内職との掛け持ち。働き詰めなのに家計は苦しく、家事をする時間的な余裕もなく、ご飯と味付け海苔だけで何日も過ごしたこともあった。

住まいは古くて狭い市営住宅。小学校高学年になり、自宅に遊びに来た友達から、親子の主な居住スペースだった6畳ほどの居間を「ここ、お前の部屋?」と問われ、初めて「うちは貧乏なんだ」と自覚したという。中学校では、部費が高いという理由で、あこがれていた吹奏楽部への入部をあきらめた。

タクマさんは子ども時代のことをこう振り返る。

「保育園で熱を出すたびに、先生に病院へ連れていかれるんです。それが嫌でたまらなかった。病院代がかかると、母親が困るとわかっていたから。母親はいつも心配して駆けつけてくれましたが、僕は心の中で“熱を出してごめんなさい”という気持ちでいっぱいでした。家の冷蔵庫には、(訪問販売で)買い取りさせられた商品がたくさん入っていたこともよく覚えています。その販売会社からは今も支払いの督促状が届きます」

大学進学のため塾に行きたかったが…

一方で学校の成績は抜群に優秀だった。小、中学校ではつねに学年で3番以内。中学時代、塾では特待生を通し、月謝は通常の4分の1の1万数千円で済んだ。高校は公立の進学校に合格した。しかし、半年足らずで中退。原因はやはり「おカネ」だった。

高校ではクラスメートのほとんどが大学進学を目指して塾に通っていたため、自分も塾に行きたいと言ったところ、母親からとても費用を工面できないと告げられたのだ。大手私塾の授業料は中学とは比べものならないほど高額だった。アルバイトは原則禁止。初めて怒鳴り合いの言い争いになり、普段「いい大学に行ってほしい」と話していた母親が「そこまでおカネをかけないといけないなら、大学なんて……」と口走ったという。

勉強を頑張ったのは、ひとえに母親が喜んでくれるからだったと、タクマさんは言う。「“大学なんて”と言われ、張り詰めてきた糸が切れてしまったというか……。“こんなんじゃ、いい大学なんて行けるはずがない”と、ふてくされてしまったんです」。

このとき、母親は珍しく父親のことを持ち出してタクマさんを責めた。曰(いわ)く「お父さんも高校中退。あなたも同じことをするの? どうして私がいちばん嫌なことをするの?」。

父親について、タクマさんは「最初から存在しない人。何の期待もありません」と淡々と語る。一度だけ、高校の入学金が捻出できなかったときに支援を頼もうと、所在や近況を確かめたことがあるが、すでに再婚して新たに子どもがいることが分かり、連絡を取るのはやめたという。会いたいとさえ思ったことのなかった父親と同じだと非難されたことはこたえたが、結局、そんな母親に反抗するように高校を辞めた。

その後はアルバイトなどをしながら、高校進学の際に借りた奨学金を返済。20歳近くになり、同世代の友人らが大学に進む姿を見て、ようやく自分でも大学で勉強をしたいと思うようになった。もとより母親と祖母が進学を切望していることは知っていた。予備校で成績優秀者を対象にした授業料の減額制度を利用しながら勉強して大学に合格。地元の大学も合格圏内だったが、年齢的に自分と同世代の学生も多いと思われる東京の大学を選んだ。

大学ではそれなりにキャンパスライフを楽しんでいる。文科系のサークルに入り、彼女もできた。一方で「おカネ」という足かせから解放されることはない。

平日は塾講師のアルバイト、週末のどちらかは派遣の仕事を入れている。時間配分は「学業3、仕事7といったところでしょうか」。塾講師の仕事は毎月60時間以上拘束されるというから、少しは貯金ができるのかと思いきや、給料は6万円に届かないという。待機時間は無給扱いにされるためで、時給換算すると最低賃金を下回る。私が憤ると、「僕の職場はまだまし。部屋の掃除や、授業の予行演習が義務づけられているのにタダ働きというところもあります。塾講師は“ブラックバイト”のひとつです」と説明された。

こまごまとした節約は日常の光景である。授業は高額な教科書指定のない科目を選ぶ。サークルやゼミの遠方での合宿は基本、参加しない。書籍はアマゾンで中古を買う。移動は2駅、3駅分の距離なら歩くのが当たり前。歯の詰め物が取れたときはボンドで付け直した。ガス代を抑えるために、食事は夕方のスーパーで値引きされた総菜が中心だ。

彼女とも結局は「おカネ」のせいで別れることになった。

「学生同士なのでデートは割り勘でした。社交的な子で、あちこちのイベントや会合に誘ってくれたんですが、僕はおカネが続かなくて。でも、おカネがないとも言えなくて“用事がある”と言って断ることもありました。そんなことが続き、彼女に“嫌われているのかな”と思わせてしまったみたいです。お互いに悪い感情なんて全然なかったのに……」

消えない「母親への罪悪感」

東京暮らしを始めて1年半。

制約はあるが、さまざまな経験を積み、多くの人と出会い、成長できたとも感じている。同時に、その反動のように最近、母親への罪悪感がどうしようもなく募るのだという。

母親のことを「自分がいちばん迷惑をかけてきた人」だと、タクマさんは言う。「“なんでそんなにおカネがないの”とか、“こんなことになったのはおカネがないせいだ”とか。子どもとはいえ、言っても仕方がないことを言って傷つけてきました」。

現在、2人のやり取りは1週間に1回のライン。母親が仕事のストレスや日々の暮らしぶりなどを割と赤裸々につづってくるのに対し、タクマさんの返信はたいてい1、2行だ。そっけなさとは裏腹に「僕がいなくなってから、ちゃんとした食事を取ってないみたいなんです。仕事も車での移動が多いみたいだし……」と心配する。

タクマさんが大学中退を考えるようになったのは、世間を知るにつれ、莫大な借金を負って社会に出ても、労働者の4割近くが非正規雇用であることや、20代半ば過ぎの就職活動は思ったよりも厳しいといった現実が見えてきたこともあるが、こうした母親への罪悪感も理由のひとつだという。私が、母親のいちばんの望みは息子が卒業することなのでは、と水を向けてもなお、「少しでも早く母親を助けたい。卒業か、中退して働くか。今は五分五分です」という。

「怖くて何も言えない」

タクマさんに話を聞く中で、ひとつ気になることがあった。口数は少ないながら、問われれば何でも端的に答える彼が「政治や社会に対する不満」について尋ねると、途端に歯切れが悪くなるのだ。何度聞いても、それは同じだった。

取材を終え、大学の近くを歩いた。見慣れた風景にリラックスしたのか、タクマさんがふいに「自己責任って言われちゃうと思うんです」と切り出してきた。NHKの番組で紹介された「貧困女子高生」の例を挙げ、貧しいと言いながら、実際には余裕のある生活をしているとして、女子高生が猛バッシングされた様子に「ここまで批判されるのかと驚きました」と言う。

大学では普段から、社会や政治の問題に無批判な学生が多いことに「気持ちの悪さ」を感じていたが、案の定、一連のバッシングに賛同する友人は少なくなかった。明日の食べるものがなくなるまで追い詰められないと貧乏とは言えないかのような主張に反発を覚えると同時に、自身の家庭環境や経済状況もきっと「家族を捨てた父親が悪い」「経済力もないのに、養育費ももらわずに離婚した揚げ句、商品の買い取りをさせるような仕事を選んだ母親が悪い」「高校を中退したお前が悪い」と言われるのだと思った。

「悩みを打ち明けても、自己責任と片付けられたらどうしよう。自分が悪いのに要求なんてするべきじゃないと言われたらどうしよう。そう思うと怖くて何も言えないんです」

自己責任論を全否定するつもりはない。しかし、多くは弱者たたきだ。タクマさんの話を聞くかぎり、責任を負うべきなのは、母子家庭のほとんどに養育費が支払われていない現状や、母子家庭の平均年収の低さを放置している政治であり、働き手を雇用事業主扱いして商品の買い取りを強いたり、最低賃金以下で使い倒したりする会社である。何より安易な自己責任論は、弱い立場にある一人ひとりから言葉を奪う。

「助けが必要なときに、助けてほしいと言える社会になってほしい」というタクマさん。今はこれが精いっぱいの訴えだという。

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