「ミシャは自分のプレーの幅を広げてくれた恩人であり、広島時代から常識ではありえないようなことを考えては、自分たちにいろいろと提案してくれた。いつも『お前のキックを生かせ』と言われてもきたし、本当に引き出しの多い監督で、自分も心から楽しみながら毎日の練習に臨むことができた」

 いわゆる“11人目のフィールドプレーヤー”として最後尾からボールをつなぎ、時にはリベロ的な役割を務められるレベルにあった西川の足下の技術は、全員攻撃を標榜するペトロヴィッチ監督との出会いを触媒として飛躍的に開花。浦和に加入して3シーズン目の今年8月の湘南ベルマーレ戦で、自らのロングフィードから念願の初アシストを記録している。

 そして、遠藤航。2014シーズンのオフを含めて、ペトロヴィッチ監督は2年連続でシーズン佳境に関わらず獲得交渉に出馬。守備のオールラウンダーとして将来を嘱望されていたU−23日本代表キャプテンを熱く口説いてきた。

 彼は湘南をJ1に残留させた昨シーズンのオフ。さらなるレベルアップを目指した際に、金額面ではより高いオファーを受けていたにもかかわらず、変わらぬ高い評価を与えてくれたペトロヴィッチ監督に率いられる浦和を迷わず選んだ。まるで何年も在籍しているかのように、貫禄すら漂わせながらピッチに立っていたシーズンの序盤。タイトルを求められる浦和での日々を、遠藤はこんな言葉で表している。

「自分にとっては初めての経験ですけど、浦和にとっては当たり前の環境というか、毎年のように結果を求められている。最後はみんなと笑って終わるためにも、気を抜くことはできない。充実感はなくはないですけど、だからといって全く満足もしていない。自分の良さを生かせるのは浦和だと思って移籍してきたし、こういう結果を求められる環境に身を置くことで、さらに成長する自分を求めている」

 国内三大タイトルの一つを手にして、まずは笑ったYBCルヴァンカップ決勝。指揮官はそれまで選手の自主性に任せていたキッカー5人を自ら指名し、順番を立候補で決めさせた。阿部が1番手、FWズラタンが2番手、興梠が3番手と次々に志願していく中で、遠藤は5番手で蹴ろうと決めていた。

「決めたら勝ち、決めなかったら負けるくらいの割り切りがあったほうがいいかなと。(西川)周作くんが止めてくれてからは、自分が決めて勝つ光景をずっとイメージしていました」

 この強心臓もペトロヴィッチ監督がほれ込んだ才能の一端。2年越しのラブコールを実らせたホープが指揮官にとっての初タイトルを決めたのも、決して偶然ではないはずだ。そしてベンチ前に場所を移して大きな花を咲かせた歓喜の輪で、先発した高木俊幸は人目をはばかることなく涙を流していた。その胸中を、ダブルシャドーを組んだ武藤雄樹は自らの思いに重ねる。

「自分が活躍するイメージを描いてピッチに立ったので、その意味では勝ちましたけど、悔しい思いも自分の中にはある。シーズン終盤へ向けて大事な試合が続くので、次こそは僕がゴールを決めて、勝利に貢献したいという思いがさらに強くなりました」

 高木は清水エスパルス、武藤はベガルタ仙台からともに2015シーズンに加入。ペトロヴィッチ監督が掲げる独特の戦術と攻撃的スタイルの下で、眠っていた才能を開花させた。昨夏のEAFF東アジアカップ2015でハリルジャパンに招集され、ゴールも決めている武藤は感謝の思いを忘れない。

「僕のプロサッカー人生は、浦和レッズというチームがチャンスをくれたことで変わった。その意味ではもっと、もっとタイトルを取って貢献したい」

 ロイヤルボックスで優勝カップを天に掲げた阿部は2012年1月、ペトロヴィッチ監督と一緒にサッカーがしたいと望み、当時イングランド1部リーグのレスター・シティとの契約を自ら解除して、古巣・浦和に復帰した。