新幹線に貨物列車は存在しませんが、かつて計画されたことがあり、具体的な準備も進行。実現はしなかったものの、“遺構”が半世紀を経たいまでも大阪に存在しています。ただ現在、その撤去が進められており、まもなく見納めになりそうです。「貨物新幹線」とは、どんな計画だったのでしょうか。

北海道がより近かった可能性

 もし、新幹線に貨物列車があったら、東京と北海道・函館の距離はもっと近かったかもしれません。

 2016年3月に新青森駅から新函館北斗駅まで開業した北海道新幹線では、「新幹線」と「貨物列車」が大きな課題になっています。本州と北海道を結ぶ青函トンネル付近で、新幹線と在来線の貨物列車が線路を共用していることから、新幹線はその風圧がすれ違う貨物列車に影響を与えないよう、同トンネル付近で減速運転(140km/h)せねばなりません。つまり、新幹線が“本来の能力”を発揮できていないからです。

「貨物新幹線」があれば、こうした問題は発生しなかったかもしれません。ですがいまも昔も、新幹線に貨物列車は走っていません。

 しかし昭和30年代に「新幹線」が開発された当初、「貨物新幹線」も計画されていました。そしていまもなお、その痕跡が大阪府摂津市内に残っています。


東海道新幹線の高架橋にいまなお残る「貨物新幹線計画」の遺構(2016年7月、恵 知仁撮影)。

 区間にすると、東海道新幹線の京都〜新大阪間です。新幹線の高架橋が一部分だけ盛り上がるように、コンクリートの構造物が設けられています。これが「貨物新幹線計画」の遺構です。

 列車が高速で通過する「本線」と、そこから分岐し、貨物ターミナル駅へ向かう線路を立体交差させるための構造物で、ごくかんたんにいえば「本線から貨物ターミナルへ向かうジャンクションの一部」です。この“ジャンクション”の先には、実際に「貨物新幹線ターミナル」設置を想定した土地も確保されていました。

具体的に計画されていた「貨物新幹線」、その内容

「東京・大阪間の到達時分は、急行旅客において概ね3時間、貨物において概ね5時間30分を目標とすること」

「新幹線」の誕生へつながる、1958(昭和33)年に日本国有鉄道幹線調査会が運輸大臣へ出した答申書には、このように「貨物新幹線」に関する計画が盛り込まれました。そして以後、実現に向け次のような構想が練られていきます。

・新幹線の高速性能を生かし、“箱”単位で輸送する「コンテナ方式」、またはトラックやトレーラーをそのまま列車に乗せる「ピギーバック方式」にする。
・30両編成(電車方式)で最高速度150km/h。東京〜大阪間の所要時間は5時間半。
・旅客列車と競合しないよう、東京と大阪を22時以降に発車。翌朝5時までに到着させる。
・線路保守の作業時間を確保するため、週に1回運休する。
・貨物駅は東京と静岡、名古屋、大阪の4か所。

 そして、東海道新幹線の開業翌年である1965(昭和40)年から、東京〜大阪間で1日あたり3往復の「貨物新幹線」運行を予定して、用地の買収など具体的な準備を進める段階にまでなります。しかし、東海道新幹線の旅客輸送量が予想を上回り、夜間の保守作業が毎日必要になるなど状況が変化。「いつの間にか貨物列車計画は立ち消えに」(公益財団法人 交通協力会『新幹線50年史』)なってしまいました。また、東京新聞が2013年に報じたところによると、インフレによる東海道新幹線の建設費増大も「断念」の理由とされています。

 もしこのとき「貨物新幹線」が実現していたら、北海道新幹線の状況は現在と変わっていたかもしれません。「夜間運転」「最高速度150km/h」という当初の条件のままでは解決は難しいですが、「貨物新幹線」に半世紀の歴史があったとしたら、また違ったことにもなるでしょう。


「貨物新幹線」用地を使った大阪貨物ターミナル駅。すぐ隣に東海道新幹線の鳥飼車両基地がある(2014年3月、恵 知仁撮影)。

 先述した“ジャンクション”の遺構は、このとき確保された大阪の「貨物新幹線ターミナル」へ向かうため、造られたものです。ターミナル設置が予定されていた場所は現在、在来線の大阪貨物ターミナル駅(大阪府摂津市)として利用されています。

 また東京で確保されていたターミナル用地は品川区にあり、その後、東海道新幹線の大井車両基地、在来線の東京貨物ターミナル駅として活用されました。

「貨物新幹線」の痕跡、あと1年ほどで見納めか 進む撤去作業

 利用価値がないながら、管理の手間はかかるこの「貨物新幹線計画」の痕跡、あと1年ほどで消えてしまう見込みです。

 JR東海によると、この遺構は「三島高架橋」といい、現在、その撤去作業を進めているとのこと。コンクリート製で、元々の長さは約90mでしたが、2012年8月から2014年2月にかけての工事1回目でそのうち約50mを撤去。そして2015年9月から2回目の工事を開始し、約2年で残りの部分についても撤去を予定しているといいます。


1回目の撤去工事が終了した段階の「貨物新幹線計画」遺構。まだ床部分があるなど、2016年7月の姿とは異なっている(2014年3月、恵 知仁撮影)。

「撤去作業にともなうコンクリート片などの飛散防止や、作業中に地震などの天災が発生したときの対応などを想定し、安全に作業できる方法が確立したため、撤去することになりました」(JR東海 広報部)

 東海道新幹線で京都駅から新大阪駅へ向かい、右側にサントリーの山崎蒸留所を眺めてほどなく、車窓に一瞬、コンクリート柱--“遺構”が横切ります。それが「貨物新幹線計画」の存在を伝えてくれるのは、あとしばらくです。


在来線経由で東京〜大阪間を約6時間で結ぶJR貨物「スーパーレールカーゴ」。2004年に運行を開始(写真出典:photolibrary)。

 ちなみに現在、在来線でですが、東京〜大阪間で「貨物新幹線」に近い列車が運行されています。コンテナ電車列車「スーパーレールカーゴ」です。

 最高速度130km/hで、東京〜大阪間を約6時間で走行。機関車で貨車をけん引するのではなく、加速性能などに優れる「電車方式」であるなど、「貨物新幹線計画」と似た内容になっています。

※記事で取り上げた大阪府摂津市にある「貨物新幹線」の遺構「三島高架橋」はこの通り、2017年にも見納めになる予定ですが、これにより一切、往時の「貨物新幹線計画」にも関係する構造物類がなくなるわけではありません(8月20日追記)。

【画像】地図にも載っている「幻の貨物新幹線」


国土地理院の地図では、東海道新幹線の線路上に「貨物新幹線」の遺構である構造物の存在が示されている(国土地理院の地図を加工)。