メッシの身長170センチには驚かないが、ルイス・スアレスの182センチには驚く。クリスティアーノ・ロナウドの185センチにも驚くし、レアル・マドリーの現監督、ジダンの185センチにも驚く。

 その選手を実際に間近で見ると、映像で見てきたイメージと、大きく異なる場合がある。かつてオサスナで、「パンプローナ(オサスナの本拠地)のジダン」の異名を取ったラウール・ガルシア(現ビルバオ・183センチ)が活躍する姿を先日テレビで見て“実は大きい選手”の存在について想起することになったのだが、このちょっとしたギャップにサッカーの本質が隠されていると僕は思う。
 
 実は大きいは、裏を返せば、実は巧いだ。大きさに対する驚きは、巧さへの驚きでもある。あんなに巧いのに、実はこんなに大きかった。もっと小さいかと思った。これが、正直な感想だ。大きいと巧いは、釣り合いが取れない関係にある。とりわけ大きな選手に巧い選手が少ない日本では。
 
 だが本場には、そうしたイメージを打破する選手が多々存在する。そして彼らを目の前にすると「こんなに大きかったんだ……」と言葉を失う。いかんともしがたい差であることを痛感する。
 
 日本でよく耳にするのは、それとは逆の話だ。何年か前、バルサが欧州で確固たる地位を築くと、テレビ解説者や元選手の評論家は、イニエスタ、チャビ等、その小柄な選手の活躍を、日本人に結びつけようとした。小柄な日本人でも大丈夫、十分世界でやっていける。自信を持てと述べたわけだが、その対極に位置する話については、積極的に語ろうとしなかった。レアル・マドリーのラウールが180センチもあることは、本来、驚くべき事例であるはずにもかかわらず、それを避け、日本に取って都合がいいバルサ話ばかりをしたがった。
 
 一見、巧そうに見えないが実は巧い。いかにも巧そうな雰囲気を前面に醸し出しながらプレイする日本の技巧派とは一線を画す選手に、こちらの目はつい奪われる。
 
 先述のラウール・ガルシアが昨季まで所属したアトレティコ・マドリーの選手に多く存在するタイプだが、彼らは、巧さを見せる前に激しくプレイする。懸命になってボール奪取に励む。身体と身体を平気でぶつけ合う。そうしたアスリート的な要素を前面に出してプレイするので、その技巧は表に現れにくい。うっかりすると見過ごされがちな要素と言えるが、それだけに奥の深さを感じさせる。隠しているわけではないが、安売りはしない。安易には披露しない。
 
 肝心な場面で気付かせてくれる選手。アトレティコの選手に限った話ではない。最近のスペイン人選手に多く見かける傾向だ。見るからに巧そうに見える選手より、実は巧いと後から気付くことになる、いわゆる好選手が目立っている。誰にも分かるスター性はないが、何気にしれっと巧い選手。
 
 繰り返すが、それこそが日本との違いだと思う。何気に巧い選手、実は巧い選手の数が、まだまだ足りていない日本。巧い選手の定義は、見るからに巧そうな選手に限られている。
 
 香川もその1人だ。小さくて俊敏なので、確かに局面的には巧い選手に見える。だが、よくも悪くも分かりやすい。実は巧いと後から思わせる選手が持っている奥の深さに欠ける。何より泥臭くない。ボールを奪うことができない。相手に身体を接触させることが得意ではない。マイボール時においても、サイドでプレイできない上に、相手のディフェンダーを背にしてのポストプレイも得意にしない。1トップ下の選手であるにもかかわらず、だ。使い勝手のよい選手と悪い選手がいるとすれば、香川は完全に後者。非オールラウンダーだ。
 
 以前、その香川に対し、アトレティコが興味を示しているとの報道が流れたが、こちらには実現性の低い、よくあるうわさ話にしか聞こえなかった。むしろ、最も対極に位置する選手だ。ドルトムントで大一番になるほど、出場機会が減る一番の理由でもあると思う。
 
 香川の身長は175センチ(もう少し小さいように見えるが)。対する本田は182センチ。180センチを越えると巧い選手の数が途端に減る日本にあって、本田は貴重な選手に見えた。フィジカルでもありテクニカルでもあるバランスのよさが魅力だった。実は巧い選手として成立していた。09〜10シーズンのチャンピオンズリーグから2010年W杯を挟み、2011年のアジアカップぐらいまでは、日本にかつてない選手、今日的な光る選手として通っていた。リーグランキングナンバーワンのスペインでも、十分やって行けそうな気配を感じたが、その後、失速。怪我の影響だと思われるが、少なくともフィジカル面で大きく後退した。
 
 現在、実は……という奥ゆかしいプレイを見せることができている日本人選手は岡崎。先月行われたアフガニスタン戦のゴールは、まさに実は……を見せつけられた瞬間と言えた。得点に繋がったそのステップとターンは、相手が弱かったとはいえ、特筆に値した。

 表には現れにくい奥に潜む魅力がどれほどあるか。つまり、懐がどれほど深いか。語られていること、知られていること以外の魅力が、日本には不足している。思わぬ発見、驚きが少ない国。外国人にはいまの日本がそう見えているのではないかと僕は思う。