セイバーメトリクスで振り返るルーキーの成績

 ヤンキースの田中将大投手は先月28日のレッドソックス戦で3敗目を喫したが、ここまでは驚異的な活躍を続けている。11勝、防御率2・10はリーグトップ。すでに、サイ・ヤング賞、MVPの有力候補にも名前が挙がっている。当然、新人王にも最も近い位置に付けていると言えるだろう。

 田中の活躍を受けて、ESPNでは「史上最高のルーキー」と題した特集記事を掲載。執筆者は分析原稿に定評のあるデビッド・スコーエンフィールド記者で、WAR(Wins Above Replacement)というセイバーメトリクスによる指標を用い、メジャー史上に残るルーキーたちを取り上げている。この記事のデータはレッドソックス戦の前のものだが、Baseball-Reference.comによると、田中は15試合でWAR4・1(現在は4・5)を記録。先発投手は年間で30試合程度に登板するため、単純に倍にするとWARは8・2まで伸びることになる。

 WARとは打撃、守備、走塁、投球を総合的に評価して選手の貢献度を表す指標で、そのポジションの代替可能選手と比較し、どれだけ勝利数を上積みしたかを表す。メジャーでは、選手の価値を表す最も有効な指標とされているものだ。

 田中については、新人として扱うべきかどうかを議論する声も出ている。ただ、同記者は「もちろん、彼の日本(プロ野球)での経験を考慮して、彼をルーキーと呼ぶことを好まない人もいるだろう。しかし、MLBのルールの下では、彼はルーキーだ」と断言。その上で、新人王が制定された1947年以前も含め、歴史に残る活躍をしたルーキーのWARがどれほどだったかを紹介し、田中の凄さを強調している。

「誰もがイチローに恋に落ちていた」

 真っ先に名前を挙げられているのが、2001年のイチロー外野手(マリナーズ)だ。新人王とMVPを同時受賞したのは、MLBの歴史でもイチローとフレッド・リン(レッドソックス)の2人しかない。当時のイチローのWARは7・7で、野手のルーキー史上4位、リンは7・4で同5位の数字。また、イチローのWARは同年ではジェイソン・ジアンビ(9・1)、ブレット・ブーン(8・8)、アレックス・ロドリゲス(8・4)に次ぐ4位だった。

 もっとも、スコーエンフィールド氏は「その年は、ブーンがMVPに値したと思っている」と記している。イチローのチームメートだった強打者は、打率3割3分1厘でリーグトップの141打点を記録していたからだ。ただ、ブーンが打点を挙げられたのは、リーグトップの打率3割5分、242安打、56盗塁を記録したイチローが1番を打っていたからだとも指摘。「イチローには驚くべき要素があり、ステロイド全盛期の時代に体の小さな男がスモールベースボールというユニークな方法で活躍し、みんなが彼に恋に落ちていたことは疑いようがない」と絶賛している。

 一方、1975年のリンは打率3割3分1厘、21本塁打、105打点を記録。長打率、得点、二塁打がリーグトップ。外野の守備でゴールド・グラブ賞を受賞し、チームの地区優勝に貢献した点はイチローと同じだ。

 スコーエンフィールド記者が「MVPを受賞するべきだった」として名前を挙げた驚異のルーキーは、2012年のマイク・トラウト(エンゼルス)だ。実際にはMVP投票で次点に終わった万能プレーヤーは、リーグトップのWAR10・8をマークした。これは野手のルーキーでは史上最高の数字だという。打率3割2分6厘、出塁率3割9分9厘、長打率5割6分4厘で、30本塁打、129得点、リーグトップの49盗塁だった。

 そして「おそらく知らない名前」として挙げられたのは1910年のラス・フォード(ヤンキース)。WAR11・0で、田中の現在の数字を倍にしても届かない。1901年に1試合しか登板せず、ルーキーシーズンとなった1910年に26勝6敗、防御率1・65と活躍。この年のWARでは、メジャー通算417勝の名投手ウォルター・ジョンソンの11・2に次ぐ2位だった。ただ、まだ不正投球が禁止されていなかった時代で、フォードはボールを傷つけるためにヤスリをユニホームに忍ばせていたという。その後は負傷もあり、1911年に22勝、1914年に21勝を挙げたが、メジャー通算7年で99勝71敗の成績を残して引退している。

読者アンケートではトラウトが1位、イチローが2位

 また、驚異のルーキーとして忘れてはいけないのが、「打撃の神様」テッド・ウィリアムズ(レッドソックス)だ。1939年に20歳の若さで打率3割2分7厘、31本塁打、145打点をマークした。スコーエンフィールド記者はイチローと同じ2001年がルーキーイヤーだった当時カージナルスのアルバート・プホルス(現エンゼルス)との類似性を指摘。確かに、打率3割2分9厘、37本塁打、130打点と同程度の記録を残しており、出塁率も4割3分6厘と4割3厘、長打率も6割9厘と6割1分とほぼ同じだ。

 ルーキーの先発投手としては1980年のブリット・バーンズ(ホワイトソックス)が15勝13敗、防御率2・84で、21歳の若さながら238イニングを投げ、WAR7・0をマーク。また、記事では昨年のホセ・フェルナンデス(マーリンズ)がWAR6・3、1984年のドワイト・グッデン(メッツ)が5・5だったことにも触れている。これらの数字と照らし合わせると、田中がいかに素晴らしい投球を続けているかが分かる。

 そして、最後に紹介されているのは1976年のマーク・フィドリッチ(タイガース)だ。19勝9敗、防御率2・34で、29試合に登板して24完投。開幕は中継ぎとしてスタートしたが、5月15日から先発ローテーション入り。5月31日から7月20日までの11試合では10勝1敗と白星を重ねたが、10試合が完投で、この間の平均投球回は9イニング以上を記録。2試合が延長となり、11イニングを投げたからだという。スコーエンフィールド記者は「彼は怪物だった」と記している。

 原稿が掲載されているHPでは、読者を対象としたアンケートを実施。イチロー、リン、トラウト、フォード、フィドリッチに投票する形となっている。その結果は、6月30日時点でトラウトが1位の50%。イチローは19%で2位となっている。3位以下はフォードが14%、フィドリッチが11%、リンが6%。記憶に新しい選手に票が集まりやすくなっているが、トラウトが断トツのトップとなっている。

 ただ、イチローもマリナーズをMLBタイ記録のシーズン116勝に導いた功績は大きく、メジャー最高のルーキーの1人として認識されていることは間違いない。