「腐った橋でも、橋はワシが渡ったあとに落ちる。ワシはつくづく、運の強い男だと思っている」。田中角栄は自らの「強運」ぶりを、こう語ったことがある。日中戦争の際は応召先の満州で、死線をさ迷う肺炎をわずらって内地送還、その後、奇跡的な病状回復を果たして政界への足がかりを得たことなど、人との邂逅(出会い)によって、目指す人生のトビラが次々と開いていったことを指している。その政界入りでも、当時は東大法学