「この難局を乗り切ることができるのはオレしかいない」の自負のもと3期目の幹事長に就任した田中角栄は、その“ヤリ手”ぶりをいかんなく発揮した。就任翌年の昭和44年1月からの通常国会は、何とも異常なものだった。野党の抵抗も強かった大学運営法(大学運営臨時措置法)、健康保険法改正、国鉄運賃法改正など重要法案が多く、自民党の衆院での単独・強行の採決は実に15回、参院でも5回というありさまだった。徹夜国会もまた