社会人野球の監督として都市対抗を3度制した垣野多鶴(かきの・たづる)氏が4日、川崎市内の病院で肺炎のため亡くなった。69歳だった。通夜・告別式は家族葬で執り行われ、香典、供花は辞退している。長崎県出身。佐世保工―東海大を経て1974年、三菱自動車川崎に内野手として入社。89年に現役を引退し、96年アトランタ