1979年、週刊少年ジャンプで連載開始後、世に一大ブームを巻き起こした漫画=『キン肉マン』は、変身ヒーローもの、そして、ギャグ漫画を原点とする同作品は、昭和のプロレスブームを背景に一躍国民的人気漫画へと成長した。

超人、必殺技、名言、奇抜で斬新なアイデアは、世の青少年たちを虜にして絶大な影響力を発揮。1987年の連載終了後も、テレビアニメ、ゲーム、キャラクターグッズに至るまで、その人気が衰えることはなく、今もなお、見る人の心を掴んで離さない。

その後も、1998年には待望の続編・キン肉マンII世の連載がスタート。リバイバル漫画の先駆けとして漫画界に新たなる境地を開拓してみせた。

3年後の2009年には、いよいよ30周年を迎えるキン肉マンだが、ロングヒットの源流に隠された信念。絶え間ない努力。繰り返される挑戦とは――。作者、ゆでたまご・嶋田隆司先生に語ってもらった90分には、成功へのキーワードがいくつも散りばめられていた。

――ゆでたまごのお二人、嶋田隆司先生と中井義則先生の出会いは?

嶋田隆司先生(以下、嶋田先生):出会いはね、小学校4年生の時に彼がうちの小学校に転校してきたんです。クラスは違ったんですけど、同じ団地に住んでたんですよ。バス通学だったんですけど、行き帰りで時々一緒になって……。で、当時、僕はもうキン肉マンを描いていたんですよ、ノートに。

――え!? 先生が小学生の時点で、既にキン肉マンは漫画化されていたんですか?

嶋田先生:今とは大分違いますけどね。変身モノで、額に“肉”の文字もなかったのですけど、ウルトラセブンのような感じで額のポッチからビームを発射してました。結構みんなに見せてたら、そのノートが各クラスに回覧されて、その中で中井君が手にとって読んだんです。彼はそれまでは漫画なんて読んだことなかったみたいで、それで自分でも描きたくなったんでしょうね。

――中井先生が初めて漫画に触れたのが、嶋田先生が描いた“プロトタイプ”キン肉マンだったと?

嶋田先生:小学校の図工の時間で、モビール(粘土彫刻)を作ったんですよ。その時に彼がモビールでキン肉マンを作ったんで、「それ、盗作やないか?」って殴りこみにいって(笑)

――当時、中井先生は漫画家志望ではなかったんですよね?

嶋田先生:そうなんですよ。彼は野球少年でしたから。

――嶋田先生ご自身は?

嶋田先生:いや〜、漫画家志望ではなかったですよ。でも、小学校5年生の時、交通事故で入院しましてね、それでずっと漫画読んでたんです。その時に新人漫画賞っていうのがあって、「みんな、こういうのに応募しているんだ」って知って、出してみたいと思ったんですよ。小学生ですけどね。

――お二人で描き始めたのはいつ頃からだったのですか?

嶋田先生:なんだったですかね?う〜ん、中学の時に合作しましたね。中井君が映画に凄い詳しくて、「映画『大脱走』っていうのが面白いから」と勧められて(自分でも)見たらやっぱり面白くて、「よし、これを漫画にしよう」って。また、自伝みたいなのも書き出したんですよ。早くも。6ページ描いたら、今度は相棒が6ページ描くみたいに。なんか、(二人の)絵がよく似ていたんですよね。

――現在の役割は、完全に分けていらっしゃるのですか?

嶋田先生:最初は一緒の仕事場で描いていたんですよ。小学校からずっと友達で、高校の時にキン肉マンでデビューしたんですけど、一緒に生活するなんてこれまでなかったので、やっぱりうまくいかないんですよね。

――なんか分かる気がしますね。

嶋田先生:で、担当編集者に(漫画を)やめるっていったんですよね。でも、その当時、キン肉マンは人気投票でもベスト5に入っていて、「何でやめるの?それだったら、役割分担決めて別々の仕事場でやったら?」って言われたんですよ。それで、仕事場だけでなく、原稿料を振り込んでもらう口座なんかも分けて、どっちがどんな仕事を請けてもギャラは折半にしたりと。

――その仕事のスタイルは現在も変わっていないですか?

嶋田先生:そうですね。それ以後はうまくいきましたね。

――ちなみにペンネーム“ゆでたまご”の由来は?お二人によって説が違うようですが。

嶋田先生:相棒は「おならして、それがゆでたまご臭かったから」と言ってますけど、恐らくその説が正しいかなと思うんですよね。たまたまです。キン肉マンを投稿するギリギリのところでペンネームが思いつかなくて……。昔は藤子不二雄さんみたいに、二人の名前をつけたりとかしてました。でも、マガジンに応募したりもしてダメだったときに、ペンネームが悪いってなって。

――キン肉マンは連載当初、変身もののギャグ漫画でしたが、どのようなキッカケで作品の方向性が変わっていったのですか?

嶋田先生:最初はウルトラマンのパロディで、キン肉マンは巨大化とかもしてましたが、当時、馬場と猪木が久々に組んで、ブッチャー・シンと闘ったことがあったんです。それで、キン肉マンもテリーマンと組んでアブドーラ&猛虎星人と闘う話しを描いたら、それが凄い評判よくって……。

――1979年8月、日本武道館での夢のオールスター戦ですね。

嶋田先生:まあ、それは一エピソードですけどね。他にも、“超人とは何か”を示すために、オリンピック競技で超人達に競わて月までウサギを獲りにいったりとか、あくまでそれだけやろうとしていたんですよ。それが、たまたまリングで闘わせたらメチャクチャ人気が出たんですよね。自分達も元々プロレス好きでしたから「よし、じゃあこの路線でいこう」って。

――当時の時代背景を、うまくキン肉マンへ投影したという訳ですね?

嶋田先生:やっぱりオープンタッグ(※1977年に全日本プロレスが開催した「世界オープンタッグ選手権)の決勝とか凄かったですからね。そろそろプロレスがブームになってきたかな、って時でしたから。

――キン肉マンの移り変わりと共に、主人公キン肉マンはこれまでの典型的なヒーロー像とは違うタイプのヒーローとなりました。

嶋田先生:ジャンプではよく「友情」「勝利」「努力」っていってますけど(『週刊少年ジャンプ』の3原則)、努力っていうのは、僕らの時代にはもう流行らないものだったので、“なんとなく勝っていくドジな主人公”という感じで描いてました。

――キン肉マンの人格を形成していく上で意識したことは?

嶋田先生:あんまり努力しない(笑)

――あ、でもキン肉マンがプリンス・カメハメ師匠の下で相当努力してましたよ(笑)

嶋田先生:後には努力するようになりましたけどね。それよりも、キン肉マンって、友達がいっぱいいるじゃないですか?本人は意識していないけど、なんとなく友達はいっぱいいる。当時のファンレターにもあったんですよね。「キン肉マン、友達がいっぱいいていいですね」って。

――そういう感じ方をする読者もいるんですね。

嶋田先生:そこまで意識して描いてはいなかったんですよ。ただ、小学校の時の友達でいるじゃないですか。人の家に勝手に入ってきて、普通に冷蔵庫とかを開ける奴。でも、周りからは慕われている。そんな風にしたかったんですね。

――憎めないキャラクターで人望が厚い……。後にキン肉マンの代名詞となる「友情」へと繋がる部分ですね?

嶋田先生:それが、僕らが連載始めて2年くらいした時に、少年サンデーでラブコメ路線が始まったんですよ。そうすると、ジャンプの読者投票で「好きな言葉を3つ書け」という設問でも、「友情」「勝利」に加えて「愛」っていうのが出てきたんですよね。だから一時はサンデーに抜かれかけた時があって、凄く危なかった時もありました。でも、僕はラブコメとかあまり好きじゃなくて。

――結果的に、キン肉マンは「友情」「勝利」「努力」を象徴する作品となった?

嶋田先生:僕らの時はそれを意識した訳ではないし、編集者の方からいわれたこともなくて、3〜4年後に(ジャンプ3原則を)聞いた時、たまたまそれが(キン肉マンに)入っていたというだけなんですよね。当時は『キャプテン翼』の高橋陽一君も、『北斗の拳』の原(哲夫)君も聞かされてなかったんじゃないかな?その後、マニュアルみたいにいわれるようになりましたけどね。

――また、先生は、一つの作品の中でも、超人や技、名場面まで、もの凄い数のブームを何度も起こしてきました。そのアイデアはどこから生まれたものですか?

嶋田先生:行き当たりバッタリですね。先の展開まで緻密に考えない。大先輩の本宮ひろ志先生(『サラリーマン金太郎』作者)の作品を読んだりしても、ハッタリが効いているんですよ。男一匹ガキ大将の万吉が何百・何千の敵に囲まれて、「さあ次はどうするか?」っていう場面で引いて、次回はアッというアイディアで切り抜ける。僕なんかもラストでハッタリをかまして、まあ「来週の自分が何とか続きを考えてくれるだろう」って感じで創っているんです。

――確かに、近年は緻密に計算されていたり、推理、謎掛けの多い漫画も増えています。

嶋田先生:自分達も先が読めないのに、読者が先を読める訳がないという……。今の作品は読めてしまうんですよ。(作者が)破綻を怖がりますからね。ネットで書き込みとかもされるでしょうし。でも、僕らは、書き込みとか読みませんから。

――では、先生が具体的に意識されているところというのは?

嶋田先生:とにかく漫画のラストのひとコマの“引き”を大事にしているんですよ。「なんだ?」、「これは?」で、(その号の連載を)切ってしまうところを、僕らはその答えまで見せてしまうんです。そうすると、次はまた新たなものを作らなければならないので、一切出し惜しみがないんです。

――確かにその通りですね。

嶋田先生:その代わり、しんどいですよ〜。

――キン肉マンは一話一話が完全燃焼というか、格闘家でいうなら一回の連載が一試合みたいですね。

嶋田先生:アイデアの出し惜しみをしないで、とにかく進めることですよね。

――キン肉マンでは描写の細かさという点でも、当時から群を抜いていました。

嶋田先生:それまで漫画って、“いかに早く読ませるか”っていう考え方があったんですけど、僕達はそれは違うと思っていたんですよね。いかに時間を掛けて読ませるかだよと。もう一回戻って、何回でも読み直させる。そのために情報量を多くしたかったんですよ。

――描写の細かさは、キン肉マンII世で更に顕著になりました。

嶋田先生:今、『週刊プレイボーイ』で連載しているキン肉マンII世の読者は、昔のキン肉マンを読んでいた感覚っていうのがあると思うんですよね。描写の細かさだけでなく、昔からトビラ(その連載毎の表紙にあたるページのこと)を使わなかったりっていうのも、その一つなんですけど。

――それは『週刊少年マガジン』でも採用されるようになったそうですね?

嶋田先生:そう。トビラっていらないじゃないですか?それだったら、話しを進めた方がいいと思いますし。こだわっている人はいいんですけど、時々スカスカなトビラを書く人がいますからね。あれはページ稼ぎですよね。