2020年11月28日から2021年1月24日まで富山県美術館にて開催している「富野由悠季の世界−ガンダム、イデオン、そして今」。2019年6月の福岡会場を皮切りに、兵庫、島根、静岡、そして富山と開催が続き、各会場で反響を呼んでいる。今回、その展覧会の主役・富野由悠季氏にインタビュー。昨今のアニメ業界について思うことや、空前のヒット作が生まれ、勢いの止まらないアニメーションが持つ底知れない可能性についてお聞きした。


(富山県美術館では1月24日まで開催が続く)

アニメはもう「本気になって作らないと、客に潰されるぞ」という世界


――今回の展覧会、各会場でかなりの好評を博しているとお聞きしています。率直なご感想を頂けますでしょうか。


富野 率直な感想は「物好きが多いなぁ」と。あんまり冗談ではなくて、美術館でやるものとして考えたときにとても異例な形だと思っています。そして、予定していたより来場者が多かったということで、改めて美術館の学芸員さんを含めて、みんながびっくりしているんですよ。

――そうした人気について、ご自身ではどの様に分析されていますか?

富野 それは、時代性が違ってきた。つまり美術館というものが単に、一絵描きの作品を展示するものでなくなってきたということです。そして言えるのは、スタジオワーク、つまり何人ものクリエイターと言われている人たちが集まって作っていく…そういう作業を現代人はすごく理解していて、特にアニメの仕事の場合は顕著に見えるらしいんです。

ファンだけではここまで人気にならない。なので、この30年くらいの実感として、一般のお客さんも理解している時代になったんだなと実感します。そして今回九州から順々にやってきて、「え、富山でもこうなんだ」と、地域差もなくなって満遍なく広がっていると分かります。

(細田守監督と会場をめぐる富野監督。画像:W監督会場トーク「細田守監督とめぐる【富野由悠季の世界】in 富山県美術館」 PART1 演出家としての準備 より)

そういう意味では、今までこんな言葉遣いをするのは恥ずかしかったんだけれども、どうもアニメというものが“サブカルでない、主流のもの”に変わってきてるんだという理解を得ました。

それで事実、映画興行も皆さんが一番よく知ってる通りで、実写はアニメに敵いません。恐らくこの2、3年のアニメ映画のヒット作がなかったら、我々の世代では未だにアニメなんていうのは“映画と言うのも恥ずかしい”という気分はあったんだけれど、もう実写が寄ってたかっても敵わない。そして今回、『鬼滅』でトドメを刺されてしまった(笑)。

これは単純に動員のことを言ってません。そういう風に地域差も無く広がって理解されているとか、楽しんでもらえているっていう素材に、アニメはなってしまったという事です。アニメシーンが力をつけたという言い方もあるんだけれど、そうじゃなくて、一般社会がアニメ的なものに対する抵抗が全くなくなって、文化の一つの側面として無条件で受け入れている。特に『鬼滅』なんかが典型的なのは、年寄りと言われている世代が間違いなくファンなんですよね。

そういうことを考えると、もうアニメだからっていう言い訳ができなくて、「本気になって作らないと、客に潰されるぞ」っていう世界になってきています。今言ったセリフって自分でもビックリするんだけど、僕のような世代から見たときに、もうアニメだからという言い逃れができない。「お前ら好きに作るな。本気で作っていかないと、本当に世間に馬鹿にされるよ」という媒体になってしまったんです。

(「富野由悠季の世界」開会式には、多くの人が詰めかけた)

――いったい何が、“世間のアニメに対する見方”を変化させたのでしょうか。

富野 それに関しては一言で言えます。皆さんが「映像に慣れた」ということです。その訓練は映画から始まって、そして動画がネット上で広がったことで、皆さんが日常で観ている動画の物量が10年前、20年前、ましてや50年前の人に比べて何十倍かになってきているからです。だから映像に対しての感度がものすごく上がったんです。意識して訓練しているわけじゃないけれども、みんなで映像に慣れる訓練をしたんですよ。そして、もう1つ素人さんにとって楽しいツールとしてTikTokみたいなものがある。そういったツールで、あれだけ動画で遊ばれちゃうと、数に関してはもうプロが追いつかない。

――そういった素人も動画を簡単に投稿できるツールも沢山出てきていると思います。富野監督はそれらに対し、どの様に感じていますか?

富野 でも、僕は全く興味を持っていません。動画を職業でやってきた人間があんな遊び事に付き合っている暇はないので、あんまり面白くはないんです。実を言うとTikTokが始まって半年ぐらい知らなかった。人に教えてもらって、今投稿されているのがどういうものかを1カ月ぐらい追っかけて、それっきり興味をなくしました。それこそ好きなお姉ちゃんでも出てくれば見るかもしれないけど(笑)、まぁおおよそやらないですね。“お前ごときが映るなよ”っていうのばっかりじゃない、という言い方をすると炎上するか?(笑)

鬼滅の刃』ヒットの“作為”と“偶然性”



――お話を伺っていると、最近のムーブメントをかなりチェックされています。何か意図などはあったりするのでしょうか。

富野 いやいや、そんなことはありません。今言ったようなチェックの仕方は、素人じゃないから芸能的に気になるところはちょっと知っておかないとマズい、と思ってやっているだけです。ただそれでも動機はあって、絶えず次の作品のために手伝ってくれるような人がいないかを気にしているし、固有名詞を指定して他のスタッフに「どう思う?」と聞いています。それこそ声優さん1人にしても探してるんですよ。だけど、作品とフィットすることはそうそうないんです。だから、ほんと『鬼滅』のメンバーに腹が立ってます! “やってくれたな”と(笑)。

気に入ったからこの人を使いたいと思って、ある時使った人もいるんだけど、やっぱりそういうのはダメ。自分の思いは個人的な好みで、作品とか仕事の上に乗っける好みとはちょっとズレてたりします。どんなに頑張ってもうまくマッチングしなくて、それでしょうがないなぁっていつの間にかフェードアウトしていくという経験もしているんです。

だから『鬼滅』!あいつら本当うまくやったな!よくもまぁぁぁ、この組み合わせを見つけられた。声優もそうだし、皆さんご存知のとおり歌に関しても作曲者も含めて、よくこれでやってくれたな!と。その意味では羨ましいなんてのは乗り越えて、ほんとあいつら!と思ってます(笑)。ただ、『鬼滅』って作為的だとは思えなくて、やっぱりかなりの偶然ではあるんですよ。

――とはいえ、偶然性を引き寄せるだけの作品の力や、引き寄せたものというのはあったんでしょうか。

富野 それは間違いなくあります。恐らく『鬼滅の刃』に関して言うと、僕はボーカリストの名前を“絶対覚えない”んだけど(笑)、彼女はあの作品が好きだったんでしょうね。だからやっぱり本気ですもん。まさにその出会いっていうのは、これもう、妙なんですよね。不思議と大体一発勝負で決まるんだよね。

(開会式で挨拶をする富野由悠季監督)

人と作品とのめぐり合わせーー「人生はだから面白いし、やる意味もある」



――それは何故なんでしょうか…?

富野 「いやぁ、めぐり合わせですね」というのが本当のところじゃないですか。あるスタジオに行った時、たまたまあの子がいて選ばれた。それだけのことです。じゃあ能力はどういう所で測るんですかという話になると、恐らく当事者同士も分からない。人生はそういう分からないものだから、やっぱり面白いし、やる意味もあるんです。

だからそのきっかけの時に見てもらえるとか、引っかけてもらえる人に出会わなくちゃいけないし、自分の方も引っかけられる様にしておかなくちゃいけない。「要するに売り込み精神ですよね」って言われるんだけど、「そんな風に簡単に理解するお前は外れてくれ」っていうくらい難しいです(笑)。

だから俗にいう才能というものを、常日頃レッスンを重ねて、勉強して、私は・俺はこうなんだ、こうしたいんだっていうオーラを醸し出すこと。これを絶えずやっている子が結局引っかかってくるんだろうなと思います。ただ、タレントさんの中に友達と一緒にオーディション受けたら、なんか知らないけど僕の方が受かってしまいました、っていうケースも結構あります。それはなんなんだって言われると本当に困るんだけど、この年寄りが言える言葉は「天性の資質を持った人には素人は絶対勝てない」それだけの話。

天性の資質がある人は、本人は訓練していると思ってないわけ。ところが好きだからやってたという結果がすごく大きいんじゃないのかな。どういうことかというと、「俺、毎日中学とか高校まで山一つ超えて歩いてました」って、それはトレーニングだよという話です。天性の資質というのはまさにそうで、トレーニングだと思わないで、好きなだけでやってたんですよ。やっぱり小さい時から結局訓練しちゃっている。

一番分かりやすくいうと、アイススケート選手は「お金があるからやってるんだよね」という言い方をされるんだけど、いやいや、3歳児から練習を始めて、スケートリンクが使える場所を転々とするという努力。それはお金があるだけじゃ済まないよね?っていうケースを我々は嫌というほど知っています。

そういう幼少期からの訓練なんてことを考えると、動画というのもなんとなくでは済まない時代になっている。ましてや、みんなが動画を見慣れちゃった時代で、“抜きん出る”っていう風に考えた時に、Tiktokレベルの“なまじのやり方”で動画の仕事ができる様になると思ってもらっちゃ困るんです。だから、時代の中での人のあり方は、気をつけて見る必要はあるんでしょうね。

(開会式後のフォトセッションで)

「プログラマー」と「アーティスト」ーーこれからの10年で起こること



富野 でもとても困ったことは、年寄りには話ができないこの技術革新みたいなものが、もうしばらく続くということです。つまり、技術が主導して、人が生き方を対応していかなくてはいけない。こうした流れの中では、昔の方法論を言いづらい部分はあるんです。僕自身もそうなんだけど、これだけデジタルが流行っていると迂闊なことはできないし、言えないんだよね。迂闊なことを言うとコンピューターのプログラマーって言われている人たちに全部却下されて、「私たちに任せてください」ってなっちゃうから。

今そういうことがはっきり起こっていて、プログラマーって言われている人たちは確かに技術的には上だから、何にも言えない。ただ、プログラマーはあくまで入力者なんです。アートをするというのは人に見せる、つまり工芸の「芸」の部分を作る。これはやっぱり芸術家にしかできないので、プログラマーとは職種が違うんですよ。だけどデジタル上で画像をいじっているから“アーティストだ”と思っているプログラマーとこの2、3年で何十人か出会いましたが、彼らはアートの面ではまったく褒められません。紙を1枚渡して「好きな絵を描いて」って言っても誰も描けませんから。

――それは根本の部分で身についていない、物事を理解していない、ということでしょうか?

富野 そう、だからそれをどういう風にして学習するかっていうと、やっぱり“根本のことを押さえられる”のと、“技術に対応していくだけのもの”は本当に違うことなんです。いま一見プログラマーの人たちを馬鹿にする様な言い方をしたんだけど、そうじゃなくて、プログラマーがいなかったらアーティストは画像の1ビットをいじることもできない。だから、その両方をいじることができるアーティストが生まれてくるのがこれからの10年だと思います。

それらのタイプのアーティストがどういったことをやるか?ってのは全く想像がつかないから、楽しい面もあるし怖い面もある。このことについて分かりやすくいうと、美術関係の本で、イラストレーター170人を紹介する本があるんですけど、最近どういう絵描きがいるのか調べてみたら「”ほんとに美しい絵”ばっかりだった」。これ以上は言いません(笑)。

(ダイターン3と記念撮影できるスポットも)

アニメが持つ可能性について「もう限界だと思いたい」ーーその真意とは?



――話は戻りますが、先ほど「もう実写はアニメに勝てない」とのお話があった通り、日本映画の歴代興行収入ベスト5が全てアニメーションになるなど、とても勢いを感じます。ここまで人を熱狂させるアニメーションが持つ可能性について、富野監督は今どうお考えでしょうか?

富野 実写もデジタルを億劫がらず使うようになったこの2、3年の傾向を見ていると、実を言うともう「今が限界」ですね。これ以上に拡大することはないと思う。時代性にあった作品が出てくる可能性もあるけど、やっぱり『鬼滅』も偶然なんですよ。これだけのヒットはいくつかの要素の偶然の組み合わせだから、やっぱり『鬼滅』のレベルが限界かなっていう気がしないでもないです。

ただ、ネット環境が持っているとても恐ろしいことがあります。それは楽曲が出た時に1億回再生というのがまさかと思ったし、またその再生回数を突破するのが“まさか”と思うくらい短期間で行われた。こういう予測できないヒットがまだ続くのかもしれないネット環境というのが、僕みたいな人間から見ると想像できないんですよ。

米津玄師とか3億とか5億だろ? これを突破するということはもう無いよね、って思っていると米津自身が更新してたりするから、まだまだ限界値なんてなくて、商売になりますっていう言い方もあります。あと、いまだに名前を覚えられないんだけど綺麗なお姉ちゃんが並んで足振り上げてるダンス見てても「困ったな…」って思うのが、今までのAKBラインの雰囲気とは違う「新しさ」があるっていうのは分かるわけです。この連鎖を考えると「今限界値だってのはおかしいんじゃないですか?」っていう風に言われるんだけど、僕は限界値だと思いたいのね。

(「概念の展示」は不可能なのだが……)

――それはどうしてですか?

富野 これ以上タレントをいじくり回して気が済むのか、これ以上動画という物を複雑怪奇にしていいのか、そういうものが追いつかないんじゃないの?という風に思いたいんですよ。だからもう限界値が来たと思いたいけど、芸能の世界って底抜けなんだよね。だから「まだまだ可能性はあるんですよねぇ、富野さん?」「はい」っていうのが一番いいんでしょうけど、絶対に「はい」って言いたくない(笑)。

――確かに、勢いや輝かしい成果の反面で、待遇や労働環境など、業界の負の側面が取り沙汰されることもあります。その部分については、どのようにお考えでしょうか?

富野 結局僕が「はい」って言いたくないのは、その部分を本能的に体感しているからです。つまり、足あげて喜んでカメラの前で踊れている子が8人いる裏で、どれだけ泣いている奴がいるかという深刻な部分がある。そのことで家庭崩壊までいったかもしれないとか、自己破綻が起こっている状態の子たちもいると考えたときに、この風潮を良しとするのがすごく危険な部分があると思います。

じゃあどうしたらいいんですかって、自分に才能があると思うのならやっぱり頑張って修行して、良い師匠について、良いグループに入って、良いグループに入れなかったらもうパッと廃業宣言して、別の職業で本当の人生を送りましょうよって、パッと言いたいのよ。僕自身も“本当に食べられる職業に就きなさいよ“という意味で何人かの人に、「もう辞めたら」と言ったことがあります。現にそれでアニメ業界からいなくなった人もいます。

この繰り返しをやっていくしかないんだけど、今の映像環境で、1つだけどうにも気に入らない部分がある。テレワークがいい例で、ネットでタレントを引っこ抜いて、グループを結成しちゃうみたいなゆるい関係で来ちゃって、やってみたけどやっぱりパンクしたとかいう話は結構あるわけですよ。なので、表面にあることだけで、皆さん方が“プロの世界に混ぜてもらえるかもしれない”という精神構造だけは絶対にやめて欲しい。だから本当に気をつけてください、ということを先に言っておきます。

それを踏まえて、もう1つどういう見方をしたらいいかというと、信用できる人と付き合ってください(笑)。恋愛でも同じじゃないですか。それの繰り返しでしかないし、特にこの世界の場合には詐欺師まがいのやつはいっぱいいるから。オーディションもなんでもそうなんだけど、やっぱり名のある所以外にはとにかく近寄らない方がいいですよ。そういう気をつけ方をお互いにしていけば、それなりにやっていける世界にもなったんじゃないのかなという気はしてます。(後編に続く)



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