御三家。

それは、首都圏中学受験界に燦然と輝く、究極の伝統エリート校を指す。

男子は開成・麻布・武蔵。女子は桜蔭・女子学院・雙葉。

5万人ともいわれる首都圏中学受験生の頂だ。

挑戦者を待ち受けるのは、「親の力が9割」とも言われるデス・ゲーム。

子どもの頭脳、父の経済力、そして母の究極の献身が求められるこの戦場に、決して安易に踏み込むなかれ。

運命の2月1日、「真の勝者」は誰だー。



元キラキラ女子で早くに結婚した深田 彩は、夫の真一の事業が思わぬ成功を収め、小学5年生の息子・翔と3人で、南麻布で暮らしている。

周囲が息子を2世としてちやほやすることに違和感を覚えつつも、3人で楽しく暮らしていた。そんなある日、翔が近所の中学校の文化祭に行ってみたいと言う。

二人は何も知らずに、男子御三家の超名門、麻布中学を訪れたがー。




―ウソ、みんな髪の毛が金髪やピンク…?!

麻布の文化祭に来た彩は、コの字型の校舎に囲まれたテニスコートのような中庭に入るなり、目を見張った。

ステージの上には、文化祭仕様なのだろうが極彩色に髪の毛を染めた男子たちが大量にうごめいている。

「ミス麻布コンテスト」とあるが、何かの間違いかもしれない。ここは男子校のはずだ。

ステージの下にもたくさんの私服男子中学・高校生がいて、中には仮装している者もいた。

そしてどこから来たのか、大勢の可愛い女子高生がステージを見ているではないか。

女子高生たちはキャーキャー叫びながら盛り上がっている。どうやらなぜかこの学校の男子は人気があるようだ。

「すっごいや麻布…これってほんとに中学生や高校生がやってるの?」

翔がステージの狂乱に目を奪われたまま、彩に尋ねた。

「う、うん、どうなんだろ?…確かに先生、さっきから一人も見ないよね?」

彩は、カオスという表現がぴったりの空間に、すっかり驚いてしまった。エネルギー渦巻くこの空間の運営スタッフは、完全に生徒のみで、先生の影も形もない。

しかしイベントはうまく仕切られているような気がする。一見奇妙な風貌の学生たちだったが、彩たちを誘導するさまは堂に入っていた。

それにしても、なんの準備も予備知識もなくふらりと誕生日パーティの帰りに来てしまったが、幸いFOXYのワンピースはネイビーの膝丈で、そう悪目立ちはしていないように思う。

なぜならば、不思議なことにネイビーやブラックのセットアップやワンピースの母親たちが何人も、小学生の男子を連れているのだ。

親子はみな、遠巻きに大騒ぎのステージを、まるで憧れのスターを見るようなまなざしで見ている。

ついに女装したミス麻布候補がステージ上に並び始めている始末だったが、親子の憧憬のまなざしは変わらない。

―なんで小学生がこんなに来てるんだろう?兄弟かな…?

彩は首を傾げながら、将棋部を目指す翔に手を引かれるままに、なぜかシュプレヒコールがこだまする校舎へと入っていった。


「この学校、モンスターの集まり…?!」世間知らずの彩、ようやく気が付く


「じゃあ、死に物狂いで勉強するんだぞ」


「君、5年生?」

「はい…」

さっきまでの勢いはどこへやら、翔は肩をすぼめてうなだれている。

それもそのはず。意気揚々と飛び込んだ将棋部の教室で、将棋部の生徒と対戦し、こてんぱんにやられてしまったのだ。

「とりあえず入学までには初段とって。全国目指してるなら時間貴重だからさ。あ、あいつとも指してみる?ちょくちょく大会で優勝してるよ」

「えっと、まだ、だいじょうぶです…」

スケールの大きな話に、翔は気圧され気味だが、将棋部員たちは意に介することなく笑顔で言った。

「そっか。じゃあさ、とにかく今は初段とって、あとは死ぬ気で勉強しな。いいか、死に物狂いだぞ。麻布で待ってるよ」






その夜、彩は珍しく必死で、慣れないサイトをにらんでいた。

翔は、文化祭から帰宅するや否や、「僕絶対に麻布に行きたい。どうしたら入れるのかな?」と目を輝かせていた。

明日の朝までに、とりあえず手掛かりを見つけて報告してやりたい。

麻布が私立の中高一貫男子校ということくらいは知っていたが、それ以外のことを彩は何も知らないのだ。

学校のウェブサイトには行事の様子が紹介されている。何気なく「卒業生の進路状況」をクリックしたとき、彩の頭はフリーズした。

―東大100名?東大って、あの東大?こんなに入るってどういうこと?

彩が生まれ育った田舎の中堅県立高校からは、知る限り東大に行った生徒はいない。県内トップ校だって、東大に行く生徒は毎年10名前後といった調子のはずだ。

ーその東大に、100人単位で行く学校…。

Googleに「麻布 偏差値」と入れてみると、どこかの塾の偏差値一覧表が出てきた。

そこで彩は、ふたたび呆気にとられた。麻布はたくさんの学校群の頂上近く、とんでもないところに位置しているのだ。

おそるおそる「麻布 入るには」と検索する。

すると目に飛び込んできたのは、「御三家」というワードだった。

―御三家って…つまり東京の最難関てこと?!

そのまま読み進めると、麻布受験生のママブログ、というものに突き当たったが、どこを読んでもとんでもないことが書いてある。

『夏休みは1日も休みなく塾に行った。6年生の10月の塾代は35万円だった。追い込みは週5日通塾。週末の特訓は朝から晩まで塾で、お弁当2個持ち。

寝る以外は全て勉強、お風呂の脱衣所から歴史のポイントを母親が読み上げる。1月は全部学校を休んで1日15時間勉強。

そしてそれでも麻布は不合格だった…。』

―…き、きっと大げさな話かな、小学生が受験勉強のために学校1か月も休むなんてあるわけないし…。

ネットでは何が本当なのかわからない。しかしとにかく麻布に入るにはかなり真剣に「中学受験」をしなくてはいけないらしい。

彩は、パソコンを閉じると、明日の朝イチである人に連絡をしてみようと決意した。


彩が「電話をかけた相手」とは?そして「彼女」が語る、中学受験驚愕の最前線


「あなた、一番中学受験しちゃいけないタイプ」


「それで急に、麻布に入りたい、なんて言い出したわけね」

白いシンプルなティーカップに、薄く形のいい唇をかすかに当てながら、叔母の岬 祐希は少しおかしそうに彩を見た。

叔母と言っても、彩の母と15歳も離れた妹で、彩とは8つしか違わない。

近所の三田で一人暮らしをしているが、独身らしく自由を謳歌している祐希と、子育て中の専業主婦である彩では生活時間が合わず、最近はずっと時候の挨拶程度のやりとりになっていた。

しかし今朝、彩が久しぶりに電話をして頼ったのには訳がある。

祐希は数年前まで、大手中学受験塾の講師をしていた。講師として相当の評判だったらしいと母から聞いたが、なぜか40過ぎて退職し、今は一般企業で働いている。

彩からの突然の連絡に、ちょうど健康診断で午後は半休を取っているからそれが終わったら、と自宅マンションに招いてくれた。




「彩はやめたほうがいいわよ。中学受験」

祐希の部屋のダイニングでクッキーをつまんだ手を止めて、彩は彼女の顔を見た。

「え?祐希ちゃん、どういうこと?」

「彩は、中学受験に踏み込んじゃいけないタイプ。悪いことは言わないからやめときなさい」

子供の頃から彩をよく知っている祐希にそう言われると、本質を見透かされているような気になり、とたんにしょんぼりとカップを置いた。

「そうなんだ…。そりゃそうだよね、私中学受験のこと何もしらないし…。でも、受験するのは翔だもん、私は関係ないよね?」

すると祐希は、カップをソーサーに置いて、なぜか不敵に笑う。

「麻布。男子御三家の泣く子も黙る名門校よ。彩が見たとおり、進学実績も素晴らしいけど、それ以上に自由でダイナミックな校風で、日本の政財界に大勢のリーダーを輩出しているわ」

「そ、そうなの?」

近所にそんな名門校があったにもかかわらず、名前くらいしか知らなかった。なんだか居心地が悪くなる。

「麻布に行くには、一般的に小3の2月から中学受験塾に行くのが当たり前。

でも実際は、その時点ですでに計算の先取り、親が仕込んだ生活体験に根付く理科社会の知識、膨大な読み聞かせからの自主的読書習慣と、追い込み時期に耐えうる体力が身についているのが前提ね」

彩はぽかんと口を開けてその説明を聞く。

「ちなみにこの1、2年はさらに中学受験自体が過熱して、新小4年生から入塾、のセオリーは崩れつつあるの。このあたりだと、このまえ小学校1年生で定員になって入塾を締め切ったわ」

「1年生?!ってまだやっとひらがな読めて足し算引き算…。しかも入試まで5年以上塾に通うってこと?」

そういえば白金のほうにある有名大手塾前は、いつでも小さな子と送迎の母親であふれかえっている。

「そう。そしてなんとか『塾活』に成功して入っても、例えば1校舎あたり十数クラスある中でどこにいられるか、熾烈な競争が待ってる。

選抜クラスにいたって御三家はそうそう入れない。6年生は年間塾代が150万とも言われているけど、難関を目指す家庭はさらに個別指導や家庭教師をつけるから天井知らずね」

クラスにも塾に通っている子は多いようだったが、あの子たちはそんな生活をしていたとは…。絶句する彩に、祐希は追い打ちをかけた。

「でもね、私が彩を止めた理由はそこじゃないの。中学受験で、最難関に入れるかどうかは、親にかかっていると言っても過言じゃないからよ」

「親の力?!コネとか財力とかそういうこと?」

彩の頭に、近所にある慶應幼稚舎が浮かぶ。あそこにいれるために、幼稚園の友達が人脈を駆使し、幼児教室代や準備にベンツ数台分のお金を使ったと言っていた。

「そんな単純なものじゃないのよ。中学受験で難関校合格に必要なのは、母親の知性と献身、とにかく父親の経済力、そして肝心の本人の地頭。

麻布に受かる家庭はこのカードがほぼ揃っているわ。家族の総力戦なの。そして中でも母親の舵取りが合否を握るといってもいい」

「…私にかかってるってこと?」

彩は空恐ろしくなって思わず腰を浮かせ、クッキーを丸のみした。

受験というからには本人が相当な勉強をしなくてはいけないとは思っていたが、まさか自分がそんな重要な役目を担うとは考えていなかったのだ。

「たった12歳の子供に、普通の大人じゃ太刀打ちできないような問題を解かせる。そのためには通り一遍の勉強じゃ無理。

一目でも御三家の問題を見たら、それがわかるはずよ。もしも5年生から目指すなら、一瞬たりとも無駄がないルートを親が見つけ出してやらないと、返り討ちにあう。その鍵を握るのはあなたなの」

いつの間にか、祐希はいつもの穏やかな叔母ではなく、元最大手塾カリスマ講師の顔で言った。

「生半可な気持ちで踏み込まないほうが身のため。彩みたいにぼんやりした子が今から何も知らないでうっかり中学受験すると、塾のカモになるうえに、御三家は無理。ライバルたちはもう、とっくに見えないところを走ってるのよ」

彩は、言葉もなく、ただただ茫然とするしか術がなかった。

しかし、その翌日。

彩は、緊張の面持ちで、大手塾が入ったビルの前に立っていた。

▶NEXT:10月26日 土曜更新予定
難関校の登竜門で彩を待ち受ける洗礼。そして翔にライバル出現?!

▶明日10月20日(日)は、人気連載『オトナの恋愛塾〜解説編〜』

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