みなさまごきげんよう、歴史エッセイストの堀江宏樹です。「夜這い」以外にも古代日本では、フリーセックスの祭典というべき、すごいイベントがありました。それが「歌垣(うたがき)」です。

若い男女が特定の日時に多数集まって、飲んで食べて歌って、最後はコレとお互いに思った見知らぬ相手とエッチしてしまうという、目的が非常にわかりやすいパーティこそが、古代の庶民の間の「歌垣」でした。

春は「今年の秋も豊作になりますように!」と祈りがこめられて行われ、秋には「今年の豊作を神様に感謝し、来年の豊作を祈る」という趣旨で開催されたのが歌垣の源流です。

春や秋といえば、農業ではいちばん忙しい時期のはず。しかも歌垣に来るのは若い男女ばかりで、彼らこそが作業の中心だったはず。逆に言えば、セックスこそが「豊作に通じるパワー」だと庶民の間で考えられていたのですね。

水辺や山でピクニックを兼ねた、ローカルに行われる小規模な歌垣もあった一方、「日本三大歌垣」とされる有名会場がありました。現在の茨城県の筑波山、兵庫県の歌垣山、佐賀県の杵島山です。関東・関西・九州とバランスよく配置されていますね〜。こちらで現代的にいえば「大婚活パーティ」に、アフターパーティとして「フリーセックス」が行われていたのです。規模が大きいだけに、強烈なエネルギーも乱れ飛び、全国的に豊作も期待できたのではないでしょうか(笑)。

これがきっかけに正式に結婚する男女もいれば、その場限りの出会いもあったようです。こういうスタイルで出逢ったり別れたりしていた昔の庶民たちのことを、現代のあなたは大胆すぎると思いますか? それともけっこうリアルでいいと思いますか?

なお8世紀ごろ、奈良時代の古代宮廷の行事の中にも「歌垣」の名前は見られます。とはいえ、こちらはフリーセックスの祭典というわけにはいきませんよね(笑)。当時の宮廷での歌垣の様子は次のとおりです。

「日本の皇族・貴族をはじめ、外国からやって来た渡来人系の氏族の男女をふくむ230〜240人が2列に並んだ。そして古くから伝わる歌を合唱しながら、舞い踊った」……のだそうで、優雅な大舞踏会だったんですねぇ。

異性から歌いかけられた女性は、すぐに返歌せねばなりませんでした。酒の席でのことですから、たいていはジョークめかした口説きの言葉だったと思います。現在も異性とのメールで、きまじめな返答ばかりしていては、飽きられてしまうように外見的な魅力だけでなく、ユーモアや知性(それと、恐らくはシモネタへの耐性)までもが必要とされたんですね。

後世のわれわれとしては、小難しく考えがちですが、じつは文学としての「歌」つまり「和歌」の原点も、実はこういう所にあったのです。
また、先ほどお話した歌垣の名所・筑波山といえば、和歌に「筑波」にからんだ単語を用いるだけで、歌垣という例のイベントを想像させる地名にまでなっていきました。『百人一首』にも納められた、平安時代の皇族・陽成院の歌にも登場しているのですね。「筑波嶺(つくばね)の 峰より落つる 男女川(みなのがわ) 恋ぞつもりて 淵(ふち)となりぬる」がそれです。

「筑波山の頂から流れ落ちるのが男女川。川が運ぶ水が淵になるほど溜まってしまうように、私の貴女への恋心も日々、募るばかり」という意味の歌なのですが……今回注目したいのは、歌垣というイベントの社会的地位の高さです。

陽成院は相当、恋愛面でも生活面でも「やんちゃ」な方でしたが、そもそも皇族の和歌にも登場するのですから、筑波山などでの歌垣も、下品なことでは断じてない……と昔の人は考えていたのでしょうね。


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著者:堀江宏樹
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