これこそ私の求めているクラブの理想の哲学であり、願いがかなうのであれば直に試合を見てみたいと妄想を抱く対象になったのでした。

1971年のチャンピオンズカップのトーナメント2回戦のインテル・ミラノをホームに迎えた対戦は7−1と言う大差でイタリアチャンピオンを葬り去ります。興奮した心無いファンが投げ込んだ空き缶がインテルの選手の頭に当たり無効試合となってしまうのですが、ボルシア・メンヘングラッドバッハのクラブの格を上げる事になりました!

輝かしい黄金時代は永遠に続くものと思われましたが、何故かクラブの財政状況は芳しいものではありませんでした。

当時の本拠地であったベーケルベルク・シュタディオンの収容人数は34,000人程度で十分な入場料収入を確保することが難しかったためです。また、産業都市であったメンヘングラッドバッハが法人税による収入で潤っていたためサッカーに対しあまり協力的ではなかったことも少なからず影響していたようです。(新たなスタジアム建設の手助けをするような協力体制が期待できなかったようですね!)

クラブが強くなっていくにつれ、高騰していく選手達の人件費を賄うことが難しくなり、スター選手たちの移籍金収入を当てにせざるを得なくなりました。

ギュンター・ネッツァーがレアル・マドリッドへ去ると後を追う様にアラン・シモンセン、ライナー・ボンホフ、ヘニング・イェンセン等がクラブを救うためにメンヘングラッドバッハを去りました・・・・。

クラブの経営戦略として身の丈にあった経営を求められた結果、あの輝かしいキラメキを提供してくれたクラブは無残にも解体され、すっかりと普通のチームになってしまったボルシア・メンヘングラッドバッハは長い停滞期を迎えてしまいます。

2度の2部落ちを味わいすっかり地味な存在になってしまいました。

現在ではボルシアと言えばメンヘングラッドバッハではなく、ドルトムントと言うイメージがすっかりと定着してしまいました。
近年(1990年以降)の実績に限ってはボルシア・ドルトムントはブンデスリーガを連覇したり、チャンピオンズリーグに毎年出場するレベルにありメンヘングラッドバッハのかつての栄光を知らない世代の方達にとっては立場はすっかり逆転してしまっています。

・・・・

 クラブの「格」を決める要因としては、過去の歴史や実績、どれほど熱狂的なファンを抱えているかが要因として重要でありますが、一番の要因はやはり「現在の経済的基盤が如何なものか?」が重要であり、経済的基盤を決めるものとしてはスタジアムの集客数やスポンサーからの収入、放映権料収入の規模によりヒエラルキーのどの階層に所属するかが決まってしまっている様に思います。

たまたま若く活きの良い選手達が同じクラブにいた等と言う偶然の産物による黄金期は長く維持することが難しく、また育て上げた選手達の価値が増せば増すほどクラブへ繋ぎ止めておくことが難しく、上位階層に属するクラブの搾取に耐えうるほどの経済的基盤を持たない下位下層のクラブは如何に多額の移籍金を得ることが出来るのかが重要な経営戦略となります。

ビッグクラブの属するトップカテゴリーの上位階層、シートのトップをビッグクラブが独占するのを崩そうとする中位階層、そして下部リーグへ降格しないよう堪える下位階層のヒエラルキーはどのリーグにも存在するように思っています。

これは上記の様な歴史の繰り返しによって分類され、出来上がったものだと理解しております。

他のクラブで言えばイタリアではジェノアやトリノ、ナポリはかつて強烈な黄金期を築いた時代がありました。
イングランドでは世界最強リーグ時代にリバプールやマンチェスター・ユナイテッド等のビッグクラブ以外にブライアン・クラフと言う名将の下輝きを放ったノッティンガム・フォレストという存在が際立っていた時代がありました。